その懸念と消えない悔恨 Ⅱ
「もういやだ⋯⋯なんで⋯⋯」
ヴィヴィは、蒼い顔で地面にしゃがみ込んだまま動けない。パーティーも一瞬の出来事に啞然としてしまい、言葉を失っていた。何が起きたのか、分からない、分かりたくない、そんな思いがパーティーに渦巻いている。
何が起こった? イヴァンが飛ばされた⋯⋯?
罠⋯⋯え⋯⋯何で? 直進すれば良かっただけだぞ⋯⋯。
気の緩み⋯⋯。
イヴァンが飛んだ⋯⋯。
グリアムも必死に冷静を取り繕おうとするが、信じたくない現実に思考は一向にまとまらない。脳内で何度も繰り返される、イヴァンが罠に飲み込まれる姿。一瞬の出来事が、とてつもなく長い時間に感じてしまい、鮮明な記憶として脳に焼き付いてしまった。
もしかしたら、泣き崩れているヴィヴィだけが、現実を把握しているのかも知れない。そう思えるほど、パーティーの思考は混乱していた。受け入れ難い現実を前にして、だれも何もできないでいた。
「グリアム、助けに行こう! 今すぐ。ねえ⋯⋯ねえってば!」
ヴィヴィがグリアムの体を激しく揺する。痛いほど気持ちは分っても、答えはひとつだった。
「⋯⋯無理だ」
「なんでよ! 案内人でしょ! 今すぐ案内して!」
「無理なもんは無理なんだよ! 落ち着け!」
「もういやだ!!」
ヴィヴィは、グリアムを睨み付けながら泣き叫び、グリアムも動揺を隠せない。
だれも何も言わない。
否、言えない状況に、ヴィヴィの声だけが坑道に響き渡った。
「す、すいません⋯⋯オレがボーっとしていたせいで⋯⋯」
ただでさえ顔色の悪かったニコラが、さらに顔を蒼くさせながら俯いてしまう。ヴィヴィも鋭い視線を向けるが、すぐにそれは間違いだとやるせない表情を見せた。
「ニコラさん、謝る必要はありませんよ。リーダーが突き飛ばしてなかったら、あなたが飛んでいたのですから」
サーラがやさしくニコラの肩に手を掛ける。サーラは憂いを見せながらも、必死に笑顔を繕って見せた。
「でも⋯⋯」
「そうそう。君が飛ばされたら十中八九助からない。でも、イヴァンくんなら⋯⋯」
ラウラもそう言ってニコラの肩に手を掛けた。
「グリアム、実際のところどうなんだ?」
オッタの問い掛けに、グリアムは目を閉じ逡巡する姿を見せる。時間の経過が、少しだけ冷静さを取り戻し始めていた。
「もし溶解の泉に飛ばされたら、正直厳しい。泉を抜け出たとしても、その時点で体力を使っているだろうし、装備もどうなるのか想像もつかん。階下に飛ばされたとしたら⋯⋯」
グリアムはイヴァンとふたりで初めて潜った日の事を思い出す。
あの日も、今日と同じように下層で飛ばされた。
飛ばされた先は確か17階。
もし飛んだ先が深層の上層部なら、あいつなら単騎で、緩衝地帯に辿り着けるんじゃねえのか⋯⋯。
イヴァンの助かる可能性がゼロではない答えに辿り着き、グリアムのオッドアイに力が戻る。
「グリアム? どうした」
「すまん。オッタは知らんだろうが、実はオレとイヴァンは一回飛ばされている」
「あ! 初めて会ったとき!」
ラウラがポンと手を打つと、グリアムは頷いて言葉を続けた。
「そのときは同じように下層で飛ばされた。飛ばされた先は17階。あいつは駆け出しの時、18階から生還した経験もある。その時に比べたら、今の経験値は雲泥の差だ」
グリアムの言葉にヴィヴィは目を見開き、希望に満ちた瞳を見せる。
「イヴァンは助かる!」
「早合点するな。飛ばされた先が溶解の泉ではなく、深層の上層という条件が重なってたら、って話だ。そんで緩衝地帯まで戻れりゃあ、まぁ、何とでもなるだろう」
「あの子はもってるから、きっと大丈夫だよ」
グリアムの言葉をラウラが後押しして、ヴィヴィに安心を運ぶ。ヴィヴィだけではなく、他の者達も、ふたりの言葉から希望を貰う事ができた。
「ちょっと、道塞いでんなよ⋯⋯って、ああ? 何であんたらがいんのよ」
先頭を行く猫人が、パーティーを認識した途端、不機嫌を隠さず顔を歪める。
「イヤル・ライザック⋯⋯」
その瞬間、ラウラの表情が一気に険しくなり、最深層を目指したパーティーとしては、極端に短い【ライアークルーク(賢い噓つき)】の隊列に睨みを利かせた。
「おまえら道を開けるぞ。隅に寄れ」
グリアムが素直にパーティーを端へと避けるが、ラウラは睨んだまま動こうとしない。
「おい、ラウラ、譲ってやれ。先に行かすぞ」
グリアムはラウラの腕を引き、半ば強引に端へと避けた。
「ほら、どいた、どいた。さっさと隅に寄りなよ」
グリアムが隅へと誘導したことに満足したのか、イヤルは口元に勝ち誇った笑みを浮かべる。その笑みに比例するかのように、ラウラの表情は険しくなり、瞳には殺意に近い怒りを見せた。
「イヤル、わざわざ道を開けてくれたんだ、そんな言い方は失礼だよ。申し訳ない。道を開けてくれてありがとう」
一見、丁寧な対応にも見えるが、そこはかとなくいやらしさが垣間見られる物言いに、グリアムは引っ掛かりを感じながらも表情には出さずなんとかやり過ごす。
リオン・カークスか。食えねえヤツだ。
イヤルと盾役のドワーフ、エルフ、それとあの傷持ちの犬人が、エースパーティーってところか。
後ろに続く者達からは、まったく覇気を感じない。俯き、重い足を引きずるようにして、必死に食らいついているように見えた。
先頭を行くイヤルが蔑む笑みを向け、ゆっくりと眼前を通り過ぎる。
ラウラは、歯が砕けるんじゃないかというほど奥歯を噛みしめ、何もできない悔しさを押し殺す。ニコラとジョフリーは俯き、ガタガタと体を震わしていた。【ライアークルーク】との遭遇が、あの時の絶望を想起させたのだろう。
「⋯⋯リオン」
ラウラが普段出さない静かな声で呼び掛けると、口元に飄々とした笑みを湛えながら、リオンはその声に応じた。
「なんだい? 急に。今回の成果が気になるかい? それはギルドの発表を待っておくれよ。アハ、でも、勘のいいきみなら、もう気付いちゃったかな?」
ラウラとは対照的に上機嫌のリオンは、ヘラヘラと軽薄な笑みを浮かべ続けていた。
「ウチの名を騙らないと、人集めもできないクセに、よくもまぁ、舐めた口叩けるな」
「騙る? おいおい、舐めているのはそっちだろう。そんな必要ないのに、なんでわざわざそんな事をしなくちゃならない? そもそも、パーティーの名を騙るのは重罪だ。必要もないのに、そんな危ない橋を渡るわけがないだろう」
口調は穏やかだが、リオンは舐めるなとばかり、グっとラウラに顔を寄せる。ラウラも一歩も引かず、リオンに冷たい視線を向け続け、ひりついた空気がダンジョンに流れた。
「カロルの偽者を使って、勧誘したのは分かってるのよ!」
先に憤りを抑えられなくなったのは、ラウラではなくアリーチェだった。【ライアークルーク】を睨みながら、その憤りを爆発させた。
「はぁ? カロル? 偽者? ハッ! そんなわけないでしょう。つか、あんただれ? その紋章って事は【ノーヴァアザリア(新星のアザリア)】か。おまえ、粉かけておいて、逃げんなよ」
イヤルがアリーチェに凄むが、アリーチェも一歩も引かない。怒りに溢れる瞳を、イヤルに向け続けた。
「ふたりとも、ちょっと落ち着け。あんたらも、こっちは素直に道を空けたんだ、サッサと行ってくれ」
グリアムがラウラとアリーチェの前に割って入り、【ライアークルーク】を促す。だが、今まで軽薄な笑みを浮かべていたリオンの顔から笑みが消えていた。
「一介の荷物持ち、しかも【忌み子】のあなたが、しゃしゃり出る場面ではないよね?」
ジロリと舐るような視線を向けられ、グリアムは視線を外し、大きく溜め息をついた。
「はぁ~、分かったって。頼むから、もう行ってくれ」
「目上の人間に頼む物言いではないよね?」
「悪かったって。育ちが悪いんだ、勘弁してくれよ」
「【忌み子】だもんね。仕方ないか」
リオンは、吐き捨てるようにグリアムに言うと、また口元に軽薄な笑みを湛える。
『行くぞ』と、リオンがパーティーに声を掛けるが、イヤルが睨みを利かせたまま動こうとしない。グリアムは怪訝に思いながら、イヤルの睨む先に視線を向けると、サーラが怒りの形相でリオンを睨み、オッタもヴィヴィも、ギヨームまでも、険しい表情で【ライアークルーク】を睨んでいた。