その懸念と消えない悔恨 Ⅰ
ラウラとルカスの姉弟の顔利きで、ボロボロの宿屋を貸し切り状態にできた。そして、一夜明け、ベッドで休養しているニコラの部屋に一同が会す。
ニコラがベッドの上で上半身を起こし、一同がそのベッドに側に集まる中、グリアムはひとり、開け放たれている扉に体を傾けていた。
本調子ではないニコラに代わり、口下手のジョフリーが20階までの道中の様子を必死に伝える。だが、あの地獄とも言える惨状が何度も頭を過り、その度に身ぶるいしてしまった。それでも、助けて貰った恩に報いようと必死に言葉を紡いだ。
「⋯⋯それで気が付いたら、助けて貰っていました。本当にありがとうございました」
そう言ってジョフリーは、何度目かの感謝を伝える。
「あの野郎⋯⋯」
驚異的な回復を見せるラウラが、奥歯をギリっと噛みしめながら眉間に皺を寄せた。普段は見せない険しい表情を見せ、【ライアークルーク(賢い嘘つき)】へ怒りを露わにする。
そんなラウラとは対照的に、アリーチェは冷静に話を聞いていた。
「それで、【ライアークルーク】のパーティーに、あんた達が会ったっていうカロルを名乗る猫はいたの?」
「いいや。いなかった」
まだ蒼い顔をしているニコラが首を横に振る。パオラのヒールと治療のおかげで、劇的な回復を見せてはいるものの、受けたダメージの大きさに、全快にはほど遠い姿を見せていた。
ニコラの否定は、アリーチェの中にある『偽者』だったという可能性を大きくし、アリーチェはひとまずの納得を見せる。
「カロルのことは置いといても、アイツら許せない。人を何だと思ってんのよ!」
ラウラの怒りは収まることを知らない。自らの欲のために、人間を使い捨てる非人道的な【ライアークルーク】の行いは、正反対の考えを持つ【ノーヴァアザリア(新星のアザリア)】の人間としては許せない所業なのだろう。
「ラウラ、おまえは病み上がりなんだ、ちと落ち着け」
「だってさぁ~」
「分かってるって」
鼻息荒いラウラに、グリアムはやれやれと呆れて見せた。
ラウラの怒りを受けて、サーラは厳しい表情で言葉を向ける。
「【ライアークルーク】の潜行に参加された皆様は、ご自身の意志で参加しています。強制でないのは、ギヨームさんを見れば分かります。強制であったらギヨームさんは、潜行に参加し、【クラウスファミリア(クラウスの家族)】の本拠地に訪れることはなかったでしょう。そうなれば、私達もここにいなかったということです」
「そうだけどさ⋯⋯何とも腑に落ちなくない?」
「それはとっても分かります。でも、【ライアークルーク】としては、希望者を連れて行っただけだと言い張れます。それに対し、私達は【ライアークルーク】に何もできないのが現状です」
サーラはグリアムに代わりラウラに、やんわりと釘を刺した。
No.1とNo.2パーティーがぶつかり合うのは、この世界を混乱に陥れかねない。ただ、その火種がくすぶり始めてしまった危うさに、グリアムとサーラは、不安を感じてしまう。そして、そのきっかけの中心に自分達がいること、巻き込んでしまったことに少なくない負い目を感じていた。
□■
まだ本調子ではないニコラを抱えての行軍も、下層、上層を残すのみともなれば、パーティーにも余裕が生まれる。緩衝地帯到着という大きな山を越え、休みを挟んだパーティーの足取りは軽かった。14、13、12階と順調に進み、パーティーの足はさらに軽くなる。
先頭はグリアムとギヨームに代わり、今までの不甲斐なさを取り戻そうと、ギヨームは率先してモンスターを駆除して、気負う姿を見せていた。
人が三人も並べば、手狭になってしまうほど細い通路に差し掛かり、パーティーは、長く伸びていく。グリアムが後方を少し気にかけ、振り返るとラウラが笑顔で手を振り返し、ルカスと共に、後方に睨みを利かせていた。
グリアムは軽く手を上げラウラに応えると、十字路を前にして順調な足取りを見せているパーティーの足を止める。左右を覗き込み、安全を確認していった。
直進は問題ねえな。
だが、左右に伸びる通路は長い罠が伸びており、パーティーの進入を拒んでいた。グリアムはあまり深く考えず、行軍を再開する。
わざわざ罠を踏みに行く者などいるわけがないのだからと⋯⋯。
オッタの耳が、ピクリと動き何かを捉えた。周辺を見回して、その音の元を探す。
「オッタ、どうした?」
グリアムはオッタの様子を見て、すぐにパーティーの足を止めた。オッタは、唇の人差し指を当て、耳に意識を集中する。
「来るぞ! 構えろ!」
オッタの叫びと同時に、前からも、後ろからもモンスターの大群が急襲する。
クソッ! 油断した。
グリアムの後悔より先に、一角兎の群れが牙を向けた。後方ではトロールがベイビートロールの群れを引き連れ、その怪力で叩きつけた拳が地面を抉る。
怪物行進か。面倒くせえ。
グリアムが一角兎にナイフを向けると、ギヨームがそのスピードに喰らい付こうと後を追う。
「雑魚しかいないけど、数が厄介だね」
本調子とは言えないラウラとルカスの姉弟が、振り回される拳を掻い潜り、人の倍以上ある巨躯を斬り裂いた。
「こっちからも来るぞ! イヴァン、サーラ、構えろ!」
オッタが左方の通路に槍を向け、鋭い眼光を向ける。うす暗い通路の奥から無数の赤い瞳が、パーティーへと迫っていた。徐々に姿を現す、その姿にサーラは目を丸くしてしまう。
「え?! 鼠人??」
「もうさ、下層とか深層とか関係ないでしょう」
鼠人を睨むイヴァンの瞳が鋭さを増していく。
「ですね、師匠もそう言ってました。捻り潰しましょう」
「そうそう」
「来るぞ!」
オッタの槍が鼠人の胸を貫いたのを合図にして、鼠人が一気に襲い掛かる。
「ちょっとどいて。【炎槍】!」
ヴィヴィの放った炎の槍が、次々に鼠人を貫いた。焦げた鼠の死骸が通路に積み重なり、鼠人の勢いは一気に萎んでしまう。炎の槍を掻い潜り、パーティーに辿り着いても、イヴァンの剣が、サーラの蹴りが、そしてオッタの槍が確実に地面へと沈めていった。
「すげ⋯⋯」
怪物行進をものともしないパーティーの戦闘力に、ニコラは感嘆の溜め息をこぼしてしまう。
憧れと同時にライバルと思っていた【クラウスファミリア】の力を素直に認め、自分達の甘さを再認識した。そして同時に、自分の欲望のために暴走した事が気恥ずかしくなってしまい、いたたまれない気持ちに襲われてしまう。
「もう終わるね。出番なしだよ」
動けないニコラや、戦闘に参加出来ないパオラやジョフリーのフォローにあたっているアリーチェは、物足りないと言わんばかりに嘆息して見せる。
「このくらい余裕なんだ⋯⋯」
「そらそうだよ。いくら怪物行進って言っても下層だしね。なんて言ってもラウラさんがいるんだから、余裕だよ」
アリーチェがそう言っている間にすべてが片付いていた。各々が息を整え、肩に入っていた力を抜いて行く。
パーティーの行く手を塞ぐように積み重なったモンスターの躯。グリアムはナイフでモンスターの山をまさぐりながら、持ち帰れそうなアイテムを探していた。
「何かあるっすか?」
「うん? そうだな⋯⋯角でもありゃ、そこそこの値段で売れるからな⋯⋯」
そんな何気ない会話をグリアムとギヨームが交わした時に起きた一瞬の出来事に、ふたりは固まってしまう。
突然横から飛び出して来た大猪の角がニコラを狙う。
まるでパーティーの緊張が解けるのを待っていたかのような、横からの強襲に体が動かない。
「ニコラくん!!」
イヴァンの体がニコラを突き飛ばす。突き飛ばされたニコラが地面に転がると、大猪の角がイヴァンに襲い掛かった。サーラの拳は、反射的に大猪の横面にめり込む。大猪の突進が止まる。
だが、その牙はイヴァンの体を突き飛ばしていた。
「イヴァンー!!」
ヴィヴィが名を叫びながら必死に手を伸ばす。イヴァンも叫びに呼応し、手を伸ばす。
だが、イヴァンの指先は、無情にもヴィヴィの指先を掠めながら遠のいて行く。
イヴァンの飛ばされた先にあるのは、長く続く罠。
イヴァンの体が地面に転がる事はなく、吸い込まれていく。ヴィヴィはその光景から、絶望しか感じ取れない。イヴァンは地面に吸い込まれながら、何かを伝えようと口を動かすが声を出す間もなく、視界から消えてしまった。ヴィヴィの拍動は信じられないほど速く脈打ち、体の震えが抑えられない。
「イ、イヴァンが⋯⋯イヴァンが⋯⋯イヴァン!! いやだ! もうなんで⋯⋯」
ヴィヴィの悲痛な叫びが響き渡る。そして、ヴィヴィは力なく膝から崩れ落ちてしまった。