その入り混じる不安と望み Ⅷ
「ど、ど、どうしたんすか?!」
ギヨームがパオラの切迫した声を聞くと、反射的にニコラの元へと駆け出した。ニコラの傍らで佇むパオラの側に立ち、ギヨームは恐る恐るニコラに視線を落とす。
「ニコラ様! ニコラ様! 起きて下さい。ギヨーム様も呼びかけてください」
「え? は、はい。おい、ニコラ!」
ふたりの焦燥を煽る声に、グリアムも駆け寄りニコラを覗き込んだ。
「おい、パオラ。どうした?」
「微かですが、ニコラ様に反応がありました」
パオラの言葉は希望を灯す。だが、パオラはすぐに言葉を続けた。
「⋯⋯ですが、これで起きなかったら⋯⋯とてもよろしくない、と思われます」
「正念場か」
「そうだと思ってください」
グリアムは、パオラの言葉に状況をすぐに理解した。だが、ギヨームは、現実を受け入れる事ができず、絶句したまま固まってしまう。
「正念場って⋯⋯」
「ギヨーム様、気をしっかり持って、呼び掛けて下さい。ニコラ様! 起きて下さい!」
ニコラの瞼がピクリと反応を見せると、パオラの声のボリュームはさらに上がる。パオラの圧に硬直していたギヨームも、呼びかけに追随していった。
「おい! 起きろ! ニコラ!」
「パオラ、ヒール落としてみろ。もし、改善の兆しが見えたら回復薬を突っ込む」
「ヒールですか⋯⋯」
体力が著しく落ちた状態でのヒールが、さらに体力を削り取ってしまう危険性に、パオラは一瞬の躊躇を見せる。だが、グリアムをチラッと覗き見ると、迷いのないグリアムの表情に覚悟を決めて詠い始めた。
「【癒光】」
淡い白光球が、ニコラに落ちて行く。グリアムは回復薬を握り締め、白光球の行方を見守った。
ニコラの体が拒絶し、光球が弾かれてしまえば終わり。回復の見込みはなくなり、命の灯が燃え尽きた事をそれは意味した。
落ちろ。
そうだれもが願い、その瞳は不安と希望を映し、光球の行方を見守る。
落ちてくれ。
光球がニコラの体に触れた。
弾かれるな⋯⋯そのまま行け。
呼吸を一瞬忘れてしまうほど、光球の行方に集中していた。グリアムとパオラの賭けが吉と出るのか、凶と出るのか、気が付くとふたりは揃って拳を強く握りしめる。
ゆっくりと光球が、白い光を放ちながら落ちていった。
やがて、白光がニコラの体に呑みこまれていく。
そして、閉じていたニコラの瞼が微かな反応を見せると、徐々に開いていった。
「ニコラ!」
ギヨームの声に、ニコラの視線がゆっくりと反応を見せる。意識は戻ったが、生気が戻ったとはとても言えず、顔色は蒼いままだった。
「⋯⋯ギヨーム⋯⋯」
「しゃべるな、これを飲め」
グリアムがニコラの口に乱暴に薬を押し付け、むりやりに飲ませる。
「ゴホッ! ゴホッ!」
むせるニコラは口端からこぼしながらも、薬を飲み込んでいった。
ニコラは浅い呼吸を繰り返しながら、視線を動かす。朦朧とする頭で、何が起こっているのか必死に考えようとしていた。
「よかった⋯⋯よかった⋯⋯」
ギヨームはニコラの傍らで項垂れ、安堵を噛みしめる。ここまでの努力が報われたと感じていた。
「浸っているところ悪いが、ここからだぞ。気を抜くな」
グリアムがギヨームに釘を刺す。長年の経験から、こういう時が一番危ないと理解していた。
ヴィヴィにラウラ、それと小僧がふたり。動けない人間を四人抱えての行軍か。
なんとか15階、緩衝地帯まで行けりゃあ、どうにでもなるんだが⋯⋯。今なら、この階にモンスターはいない。だが、もう少し休めば、ラウラ、あわよくばヴィヴィも多少の戦力になるくらいは復活できるか? こんな事ならケチらず万能薬持ってくりゃあ良かったぜ。
枯渇してしまったヴィヴィの魔力に、グリアムは心の中で軽く舌打ちをして、パーティーを見渡す。
イヴァン、サーラ、ルカス、オッタは問題なし。パオラとギヨームも動ける⋯⋯テールとアリーチェも大丈夫だな。戦力的には問題なしか。あとは動けないやつらを抱えて行けるかなんだよな。
「師匠、繭のチェック終わりました。生存者は、残念ですがいませんでした」
「そうか、ごくろうさん」
グリアムは消え去った繭の山を見つめ、サーラは額の汗を拭った。
「グリアムさん、どうします? ニコラの意識戻ったんですよね。すぐに出ますか?」
「思案中だ。おまえらは、少し休め」
「分かりました」
イヴァンは素直に頷き、その場にしゃがみ込む。サーラとルカスもイヴァンに倣い地面に座り込んだ。
「パオラ、ニコラの容態はどうだ?」
「山は越えたかと思いますが、まだ意識ははっきりとしていません。出来ればもう少し様子を見たいところです」
「ラウラ、少しは回復したか?」
「もうピンピン。全快だよ」
何が全快だ。強がるってことは、本調子にはまだ遠いって事だよな。
今動くのは得策じゃねえのか。
明らかに強がっているラウラに、グリアムは苦笑いだけを返す。思っていた以上に疲労の色が濃いパーティーに、休息を選択するべきだと思いは傾いていく。
「少し休んでから出発ですかね」
いつの間にかしゃがんでいたはずのイヴァンが、グリアムの横に立ってパーティーを見つめていた。イヴァンも同じ考えに至り、パーティーは束の間の休息を選択する。地面に座り込み、思っていた以上に疲弊した体を緩めていった。
グリアムも地面に座り込み、張り巡らされている糸を弄ぶように集めるだけで、弛緩した時間を過ごしながらパーティーの回復に気を配る。
「パオラ、ニコラはどうだ?」
「良くはありません。今は眠っております」
気を失っていたものが、眠りに変わっただけでも良しとするか。
ラウラはだいぶ復活したな、ヴィヴィも自力で歩けるくらいには復活したか?
あとは、あっちのデカいのがどこまで復活したかだな。何とかでも自力で歩ければ、出発できるか⋯⋯。
「ギヨーム、ジョフリーは大丈夫か?」
「歩くくらいなら何とか。オレが支えます」
「グリアムさん、ボチボチ行きましょう。ダンジョンに哭かれると厄介じゃないですか」
「確かにな」
イヴァンはグリアムが頷くとすぐに立ち上がった。
「少し辛いかも知れないけど、出発して15階まで頑張ろう。グリアムさんとルカスくんで先頭をお願いします。後ろはオッタとサーラでお願い。僕は真ん中でヴィヴィとギヨームくん達のフォローに回ります。ラウラさんとパオラも真ん中でいいですか?」
「オーケー」
ラウラは笑顔で親指立てて見せる。
「装備を外して、テールにニコラ君を運んで貰おう。それじゃあ準備を始めるよ!」
イヴァンの合図で一同は立ち上がり、帰還に向けて動き出した。
「パオラ、荷物は大丈夫か?」
大蜘蛛の糸でパンパンに膨れている背負子を背負うパオラを、グリアムが気遣った。
「薬が減ったので、行きより随分と軽いです。問題はありません」
パオラの微笑みに、グリアムはイヴァンに向かって軽く頷いて合図した。
「では、行こう! まずは15階、緩衝地帯まで頑張りましょう」
イヴァンの号令を合図にして、グリアムが休憩所から足を踏み出す。血をたっぷりと吸った坑道が、【アイヴァンミストル】の光に照らされていた。
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「ふぅー」
グリアムが、緩衝地帯到着と同時に大きく息を吐き出し、その両肩にのしかかっていたプレッシャーからようやく解放される。パーティーも本気の弛緩を見せ、15階とは思えないほど高く明るい天井を見上げた。
「オレが宿屋探して来る」
「私も行くよ。こう見えて結構顔が利くからさ」
ルカスとラウラが、緩衝地帯の中心部へと足早に向かう。パーティーはその背中に託し、足を止めた。
「あのふたりに任せておけば大丈夫だろう」
グリアムの言葉にイヴァンも、ほっとした表情で頷いた。
「ですね。みんな、もう少しで休めるから頑張ろう」
イヴァンの声掛けに、みんなの表情は緩み安堵する姿を見せる。
ニコラは相変わらずテールの上で眠っており、ギヨームに支えられているジョフリーは、気が抜けたのか膝から崩れ落ちそうになってしまう。
「おっと⋯⋯ジョフリー、もうちょっとだけ踏ん張れ、すぐに休めるぞ」
「分かってるよ」
そう言って、ギヨームに支えられるジョフリーは体を踏ん張ってみせた。