その入り混じる不安と望み Ⅶ
「⋯⋯ぅぅ⋯⋯」
ジョフリーの瞼がぴくぴくと小さな反応を見せ、ゆっくりと開いていく。みんなの視線は自然とジョフリーに向けられた。
「⋯⋯ジョフリー」
「ギ、ギヨーム? あれ? 何でおまえが??」
「よかった⋯⋯本当によかった⋯⋯」
ギヨームはジョフリーの側に膝を落とし、安堵の溜め息をこぼした。ふたりの姿を見つめるパーティーも束の間の安堵を得て、休憩所に流れる空気が少し和らいでいくのをだれもが感じる。
「ジョフリー様、こちらをお飲み下さい」
「⋯⋯どちらさん? というか、これってどういう状況?」
パオラが回復薬を差し出すと、ジョフリーは辺りを見回し、自分に向けられている視線の数に思わず戸惑ってしまう。
「オッタさんの仲間が、おまえを助けてくれたんだよ」
「助けて⋯⋯そうか⋯⋯みなさん、ありがとうございます」
ジョフリーは状況をすぐに飲み込み、上半身を起こすとゆっくりと頭を下げて感謝を伝えた。オッタがギヨームの横にしゃがみ込み、微笑む。
「気にするな。おまえが無事でよかった」
オッタの静かな声色が、ジョフリーに落ち着きを取り戻すと、あらためて休憩所の中を見回した。
「ニ、ニコラは? ニコラは!?」
今にも取り乱しそうなジョフリーに、ギヨームは黙って地面に横たわるニコラを顎で指した。
「⋯⋯ニコラ?! これって⋯⋯」
ジョフリーは、まったく動かないニコラの姿に続く言葉を飲み込み、絶句したまま固まってしまう。
「まだ死んじゃいねえよ。今、パオラさんが一生懸命治療してくれている」
ギヨームがジョフリーの焦燥をすぐに察した。
「まだ⋯⋯って事は、あぶないって事か?」
「正直、そうですね。今は、ニコラ様の気力にかかっている状態です。この場でできる事はすべてやりました。ですが、できる事は限られていますから⋯⋯」
パオラの言葉から、やるせないもどかしさが伝わる。意識の戻らないニコラを見つめるパオラの瞳は憂いを映し、事態の深刻さを映し出していた。
「よいしょ、と」
ラウラは重い体を起こし、ジョフリーの側に座り込むと、不思議そうに見つめるジョフリーの肩に手を回す。戸惑いを見せるジョフリーに構うことなく、ラウラは笑顔を見せた。
「ジョフリー、そちらはあのラウラ・ビキさんだ」
「え?! あのって⋯⋯あのA級の!?」
ギヨームの言葉にジョフリーは驚きを見せ、ラウラに視線を向ける事ができない。
「アハ、あのラウラ・ビキさんだよ。君達は本当にツイてるね。ここにパオちゃんがいることが奇跡なんだよ。ダンジョンで、こんなちゃんとした治療して貰えることなんてないんだから、ホントだよ。ここに超優秀な治療師がいて、君達は超ラッキーだね」
「そうなんすね⋯⋯」
ラウラにそう言われ、ジョフリーは心強さを感じ、ギヨームはあらためて前を向いた。
今の状況で、見守ることしかできないグリアムは、手持ち無沙汰になった指で張り巡らされている大蜘蛛の糸を弄ぶ。
しなやかで軽い、そして強い。
グリアムはナイフを手に取り、糸に刃を押し当てた。軽く力を入れるだけでは傷もつかない。グっと力を入れると糸は大きくしなり、そこからさらに力を籠めた。
プツっと糸は切れ、切れた糸は勢いのまま弾ける。
思い切り力を籠めて、何とか切れる感じか。
グリアムは切れた糸の端を手に取って、まじまじと見つめる。
炎と氷の攻撃を受けたってのに、劣化している気配がまったくねえ⋯⋯これって!?
グリアムの中で何かが閃いた。
「アリーチェ、おまえの剣はハイミスリルか?」
「え? そうだけど? なんで?」
アリーチェの問い掛けに答えることなく、グリアムは先ほどの光景を思い出す。
アリーチェの剣は繭を斬れなかった。だが、オレのナイフ、オッタの槍は、何とかだが斬る事ができた。つまり打撃を受け止めることはできんが、斬撃ならオリハルコン級でも難儀するほどの硬さを誇るってことだ。
「おい、手の空いてるやつらで、この糸を出来るだけ持ち帰るぞ。空瓶でもなんでもいい、巻きつけられるものに巻きつけろ」
そう言ってグリアムは、地面の糸にナイフを向けた。アリーチェとギヨームが反応を見せ、地面に転がっている回復薬の空瓶に糸を巻き付けていく。
「⋯⋯タダで帰る事にはならなそうだ」
グリアムも糸の切れ端を手にして、空瓶に巻き付けていった。
「あいつら何やってんだ?」
大きな繭を前にして、ルカスは必死に糸を巻き付けているグリアム達を見つめ首を傾げる。
イヴァンとルカス、そしてサーラの三人は残っている繭の確認作業に追われていた。ひとつ、またひとつと繭を減らし、そして溜め息を積もらせていく。
「チッ! またかよ」
ルカスは繭を覗き込み、暴れるモンスターの脳天に剣を突き刺した。
「あのふたりが生きていたのは奇跡だね⋯⋯ほら⋯⋯」
イヴァンは別の繭を覗き込み、表情を曇らせる。
「あのう~生きてますか? 大丈夫ですか~? ⋯⋯て、ダメですね。この方も息していません」
サーラは肩を落とし、イヴァンは別の繭へと手を掛ける。滴り落ちる額の汗を拭うことすらせず、黙々と作業する三人に繭の山はみるみる減っていく。繭から覗き見えるのはモンスターか、モンスターの死骸か、死人。生存者がいるという思いは急速に萎えてしまう。
「これ、生きてるやついるのかよ」
「どうだろうね⋯⋯でも、わからないでしょう」
ルカスが当然の憤りを見せ、イヴァンはそれに苦笑いを返す。
「さぁ、ルカスさん、次ですよ次。ほらほら」
サーラが大きな繭を抱え、ルカスの前にトンと置く。溜め息混じりにルカスは剣を構え直し、サーラも拳を握る。
「じゃあ、行くよ」
イヴァンがふたりに目で合図をしながら、刃をノコギリのようにして、繭の上部を切り取っていった。
□■
だいぶ減ったな。
グリアムは糸を巻きながら、遠巻きにイヴァン達の様子を眺めていた。やっと終わりの見えた繭の山に、生存者がいる可能性は限りなく低く感じてしまう。
「ねえ、ちょっと、この辺を切ってよ」
「⋯⋯ああ、わかった」
アリーチェが壁の一角を指差すと、グリアムは言われるがまま糸を切る。イヴァン達同様、黙々と作業を続けるグリアム達も、相当量の糸を集めていた。グリアムは、糸の束を手に取り、改めてその軽さに感嘆の声をあげそうになってしまう。
普通の糸より軽いぞ。どうなってんだ?
「もう巻き付ける物がないんだけど、どうすればいいっすか?」
「ああ⋯⋯こいつ⋯⋯で、どうだ」
グリアムが大蜘蛛の前脚の爪先を切り取って、ギヨームに渡した。
「うわぁ~なんか気持ち悪いな」
「文句言うな」
グリアムはもう片方の前脚の爪先も切り取り、覗き込んだ。爪の真ん中に、糸を吐き出す為の穴が開いている。他の爪先も切り取っていき、地面に投げ置かれている背負子に投げ入れた。
「おい、パオラ。そっちはどうだ?」
グリアムが投げ入れるついでに、パオラに声を掛けると微妙な表情を見せる。
「今のところ何とも言えません。血が圧倒的に足りていないので、ニコラ様の気力次第なのは変わらずです」
グリアムは寝ているニコラに視線を移す。パオラの言う通り、蒼白の顔から、血が足りていないのは伝わってきた。地面に転がる点滴用の空き袋を拾いあげ、丸めて背負子に投げ込む。
「点滴をもうひとつ入れるのはどうなんだ?」
「残っている血が薄まり過ぎてしまう⋯⋯と思われます。なにぶん私も、実地は初めての事で手探りでして⋯⋯」
こいつもギリギリのところで何もできず、もどかしいよな。
グリアムが、厳しい顔でニコラを見つめているパオラから視線を戻し、また糸を巻き始めようとした時だった。パオラの大きな声が、休憩所に響き渡った。
「ニコラ様ー!」
その切迫した声に、全員の視線がニコラに向いていく。