その入り混じる不安と望み Ⅴ
「むかつくね⋯⋯」
ラウラの口元から零れた言葉は、大蜘蛛への苛立ちと、不甲斐ない自分へ向けての言葉だった。何度曲刀を振っても、長い手足が拒み、刃をすり抜けるように後ろへと下がってしまう。
ラウラの刃は藻掻き続け、蜘蛛に届かないもどかしさが、澱のように積み重なる。
大蜘蛛は、足元に広がる幼虫の絨毯など気にも留めない。踏みつけられる幼虫は、赤い体液をぶちまけ、白い糸の地面を赤く染める。大蜘蛛は地面を赤く染めながら、糸の矢を撒き散らし、迫る刃を遠ざけた。
産んだらどうでもいいんだ⋯⋯。
子供が死んでもお構いなしか⋯⋯強いヤツが生き残ればいいんだね。
子にかける愛情など微塵もないのだろう。これだけの個体数を産み落とし、最終的に生き残るのはたった一匹。過酷な生存競争を生き抜いた個体が、易々と倒れない事など分かりきっていたはずだ。
甘く見ていたつもりはないけど、初見のレア(モンスター)はキツイわ⋯⋯んで⋯⋯やっぱ、あっちも苦戦しているか。
ラウラは、大繭を死守すべく剣を振り続けているアリーチェへ、一瞬だけ視線を向けた。そして、入口ではギヨームとテールが、幼虫の波を必死に堰き止めている。
大蜘蛛を何とかしたら、形勢は大逆転できる。
これを何とかしないと、か⋯⋯。
避け盾役はいるけど、近づけないんじゃ意味ないんだよねぇ。生粋の盾役いないのが、こういう時キツイ⋯⋯。
大蜘蛛の吐き出す糸の矢を避けながら、ラウラは必死に突破口を模索し続けていた。
そして、ラウラは覚悟を決める。
ま、何とかなるっしょ。
「ルカス、ついてきな。グリアムさん、あとはまぁ、何とかして⋯⋯」
「はぁ? 偉そうに」
「おい! ラウラ!」
ラウラは言うや否や、大蜘蛛を睨むと正面から突っ込んで行く。口から吐き出される糸の矢は、容赦なくラウラを襲う。曲刀が糸の矢を弾き飛ばす。
だが、弾き切れない糸の矢がラウラの腕を掠めた。
燃えるような激痛がラウラを襲い、顔は苦悶に歪む。それでも、ラウラはスピードを落とさない。糸の矢が肩口に突き刺さり、さらなる痛みが襲い掛かっても、ラウラの足が止まる事はなかった。
「こんのう!」
ラウラは、痛みを振り切り大蜘蛛の顔目掛け、曲刀を振り下ろす。振り下ろされる刃に、大蜘蛛は慌てふためきながらも、長い手足を顔の上で器用に交差し、ラウラの刃を受け止める。
ガツ! っと、ラウラの刃と硬い足先が、激しい打突音を鳴らした。
ルカスが、その打突音の下を掻い潜り、大蜘蛛の懐へ飛び込んだ。
ルカスの細身の剣がそのリーチの長さを活かし、大蜘蛛の顔面へと迫る。
「こいつで終わりだ! クソ蜘蛛!」
ルカスの目にも止まらぬ素早い突きが、大蜘蛛の顔面を捉える。大蜘蛛を串刺しにしようと、ルカスが腕を伸ばす。
ガン!
だが、ルカスの剣は打突音と共に、硬度を誇る足先に腕ごとかち上げられてしまう。千載一遇の好機を逃したルカスが、悔しさに顔を歪める。
プシュッ! プシュッ!
両腕をかち上げられてしまったルカスを狙う糸の矢が、眼前で吐き出された。
「うぉっと⋯⋯このクソが」
悔しさに浸る余裕すらなく、ルカスが地面を転がっていく。ルカスに追い討ちを掛けようと、大蜘蛛が長い手足を振り上げる。鋭利な足先で、地面に転がるルカスを突き刺そうと、体ごと大きく振りかぶった。
「⋯⋯チッ」
ルカスが軽く舌打ちをする横をオッタがすり抜けて行く。
疾風のごとく駆け抜けるオッタ。
大きく振りかぶる大蜘蛛の頭胸部は剝き出しになっていた。
オッタはそのまま、剥き出しになった頭胸部へ、槍を深々と突き刺す。無防備になっていた大蜘蛛の胸に、オッタの槍が深く突き刺さり大蜘蛛の動きが止まる。長い手足は、クタっと力なく下に折れると、オッタは槍を握る手に力を籠め、さらに押し込んでいった。
オッタの手に伝わるカチッと何かが割れた感触に、その刃が核を貫いたと確信する。
「美味いところだけ持って行きやがって」
ルカスは地面に倒れる大蜘蛛を睨みながら、オッタに口を尖らせた。
「ラウラ!」
オッタが頭胸部を貫くと同時に、グリアムはラウラへと駆け寄り、すぐに抱え上げた。顔は赤紫に色に変色し、口端から泡が流れ落ちている。体はビクン、ビクンと痙攣を起こし、典型的な神経毒の症状を見せていた。
「パオラ! 来い! 早くしろ!」
ラウラを抱え走り出すグリアムの怒声が響き渡る。走るグリアムの足に幼虫がまとわりつく。グリアムはまとわりつく幼虫を蹴り上げながら、パオラの元へと疾走する。
「ルカスはグリアムのフォローを頼む。オレはイヴァン達の援護に行く」
ルカスが頷くより早く駆け出した。
「ギヨーム様、ここをお願いします!」
ルカスが、グリアムにまとわりつく幼虫を斬り捨て、道を作る。パオラもグリアムの切迫した叫びに、荷物を投げ置き走り出した。
切迫感溢れるグリアムとルカスの姿に、ラウラの状態が危険である事をすぐに理解すると、パオラは足の運びを急かす。
「パオラ! 毒消しだ! 急げ!」
「は、はい! 【解毒】!」
グリアムは滑り込むように膝をつき、パオラは飛び込みざまに、抱えられているラウラに手をかざした。
パオラのかざした手が水色の光を放ち、ラウラを照らす。
永遠にも感じる長い時間。実際はほんの数秒だが、焦燥感が時間を引き延ばす。
幼虫はここぞとばかりに、グリアムとパオラの背中に群がろうとよじ登り、ルカスがそれを何度も払いのけていく。
グリアムはラウラを抱えたまま膝をつき、微動だにせずパオラの治療を見守る。水色の光に照らされているラウラの容態を注視し続けた。
パオラの光が弱くなっていくと、グリアムはラウラの容態を確認する。
だが、ラウラの顔色は優れないまま。赤紫色だった顔が土気色に変化しただけで、腕の中のラウラは、ぐったりと力が抜けた状態でグリアムに体を預けていた。
クソ、効かねえのかよ。
「パオラ、休むな。もう一回だ」
「分かりました! 【解毒】」
頼む! 効いてくれ。
グリアムの腕の中にいる、ラウラの体はまだ温かい。
間に合え⋯⋯まだ、死んじゃいねえんだ⋯⋯。
モンスターの放つ神経毒の危険性は十分理解している。
そして、一瞬の判断が生死を分けるのも理解している。
土気色の顔が水色の光に照らされる。ただでさえ血の気が失せている顔に、水色の光は青味を強くさせ、容態の把握を困難にしていた。
待つ事しか出来ない時間はもどかしく、焦燥がより煽られる。
「グリアム様、どうです? 効いていますか?」
パオラの放った水色の光は、小さくなっていく。ラウラの顔色は相変わらず優れず、血の気は失せたままだった。
毒が消え切っていない? もう一度か?
三回も解毒を落とす意味ってあるのか⋯⋯?
どうすべきか。
グリアムの中で答えが出せない。
グリアムの険しい表情で逡巡している姿が、パオラの瞳に映る。パオラはギュッと拳を握り、顔を上げた。
「グリアム様、一度ヒールを落としましょう。体力を削ってしまいますが、神経毒の蓄積によって受けてしまったダメージが体を壊して、ラウラ様の回復を邪魔しています」
しっかりとしたパオラの口調につられて、グリアムは思わず頷いていた。
「頼む⋯⋯」
「はい。【癒復回光】」
パオラはしっかりとした口調で詠う。思わず目を背けてしまうほどの眩い白光が、そのヒールの強さを物語る。
パオラは賭けに出た。弱いヒールを何度も落とす手も考えた。だが、体の中に強い毒が残っていたら、毒が体を巡る時間を与えてしまう。
時間が掛かるのは悪手だ。出来るだけ短時間で治療にあたるべきだと、パオラは勝負に出る。
これだけ強いヒールだと、ラウラの体力を大きく削ってしまう。あとはラウラの生命力にイチかバチか賭けるしかなかった。
「⋯⋯ゴフッ!」
「ラウラ!」
ラウラの口からどす黒い血が吐き出された。口元から垂れ落ちるどす黒い血に、グリアムは目を見開き体も思考も硬直させてしまう。
「【解毒】」
パオラは間髪容れず詠う。水色に光る両手をラウラにかざすと、光はラウラに吸い込まれていった。
ラウラのこめかみが微かに震え始めると、いきなり目を見開く。そしてそのまま勢いよく上半身を起こし、グリアムを慌てさせた。
「うわっ! いきなり起きるな」
「⋯⋯ハァ、ハァ、ハァ⋯⋯蜘蛛は?」
「オッタが核を潰した」
「そっか⋯⋯」
安心したのか、ラウラはまたグリアムに体を預けた。顔色は優れないものの、パオラの治療が功を奏したのだろう。ラウラの表情は柔らかくなり、安堵の笑みを見せると、パオラも大きく息を吐き出した。
「ふぅ~。⋯⋯本調子にはほど遠いので、どうか無茶はしないで下さいませ」
「はーい。パオちゃん、ありがとね」
「い、いえいえ、とんでもございません。ラウラ様が無事で何よりです。グリアム様、ラウラ様をこちらへ」
パオラがヴィヴィの隣へ手招きする。グリアムがラウラを抱え、歩き始めるとラウラがニマニマと緊張感のない笑みを見せた。
「まだ終わってねえぞ、ヘラヘラしてんな」
「いやぁ~この状況、アザリアだったら卒倒しているわ」
「?? 何だそりゃ? つか、無茶し過ぎだ。もう、あんな事はすんな。何かあったらアザリア達に顔向けできん」
真剣な顔で諭すグリアムに、ラウラがバツ悪くなり顔を背けた。
「はーい。まぁ、パオちゃんがいるから何とかなるかなって⋯⋯彼女優秀でしょ?」
グリアムはその問い掛けに答える事なく、ヴィヴィの隣にラウラをそっと座らせる。
「⋯⋯ラウラ⋯⋯大丈夫?」
「今なら、ヴィヴィちゃんより大丈夫だよ。ちょっと休めばオーケーだね」
「無理しちゃダメだよ」
「ハハ⋯⋯お互いにね」
ふたりは力なく微笑みあい、壁に体を預け直す。
「ふたりともこれを飲んでおけ。一気に残務処理してくる」
「あ、グリアムさん、これ使って」
ラウラが曲刀を差し出す。グリアムは素直に曲刀を受け取り、ふたりに回復薬を渡すと、幼虫の大群へ再び飛び込んで行った。