その入り混じる不安と望み Ⅳ
「グリアム!」
オッタは叫びと共に、手にした槍を天井に向かって投げた。
オッタの放った槍が狙うのは、大きく膨れている大蜘蛛の腹部。
槍は真っ直ぐに大蜘蛛の腹部を目指す。自分を狙う槍の存在に、大蜘蛛の赤い複眼は反射的に腹部へと向いた。
視線が逸れた!
オッタの槍が、大蜘蛛の注意をグリアムから逸らした。
そこに出来た隙を、グリアムが逃すはずはない。
カシュッ! カシュッ! と、ハンドボウガンが乾いた音を鳴らし、放たれた短矢が大蜘蛛の頭胸部を狙う。
大蜘蛛の長い足が、腹部を守ろうと槍を叩き落とす。だが、オッタの槍に気を取られ、迫る短矢の存在に気がつくのが一瞬遅れた。
大蜘蛛は、迫り来る短矢から逃れようと長い手足で必死に藻掻き、逃れるために後退る。短矢は大蜘蛛を掠め天井に突き刺さってしまった。
クソ! 逃がすかよ。
グリアムのハンドボウガンは、間髪容れずに乾いた音を鳴らす。この好機を見逃すなと、グリアムの集中力は上がり続けた。
⋯⋯行け!
大蜘蛛の長い手足を器用に折り畳み、向かい来る短矢を払いのける。勢いを失った短矢がパラパラと地面に落ちていった。だが、グリアムは手を緩めない。弾倉に残る矢の数など気にも留めず撃ち続ける。
グリアムは、攻撃の手を緩めない。
次々に放たれるグリアムの短矢に、大蜘蛛は天井の隅へと追い詰められていった。
貰った!
グリアムのハンドボウガンが、行き場を失った大蜘蛛の頭胸部へ照準を合わす。
カチッ。
引き金を引いたグリアムの手に、ハンドボウガンから感じるはずの反動が伝わらない。
弾切れ!?
頭胸部を狙い射出されるはずの短矢が放たれない。グリアムがハンドボウガンへ視線を移すと、空になった弾倉が視界の隅に映った。
短矢の勢いが止むと、形勢は一気にひっくり返ってしまう。
追い込まれていたはずの大蜘蛛の口から再び矢のような糸が、天井からグリアムに襲い掛かった。
「フッ!!」
地面に転がっていた槍を拾い上げ、オッタが再び天井へと投げる。グリアムに気を取られ、大蜘蛛の注意は緩慢になっていた。オッタの手から放たれた槍が、長い手足の間を縫うように大蜘蛛の腹部を貫く。
チッ! ズレた。
オッタは狙い通りにいかなかった事に、顔をしかめた。
『キシャアアアアァァァァ』
大蜘蛛は声にならない声を上げ、パンパンに膨らんだ腹部に、オッタの槍がプラプラと所在なくぶら下がる。グリアム達を見つめる複眼が、怒りを帯びる。怒りに満ちた複眼を赤く染め上げ、大蜘蛛は柔らかな地面にぼたっと落ちた。
地面に降り立つ大蜘蛛は、怒りに満ちた複眼をグリアム達に向ける。大蜘蛛の威嚇に、グリアムは一瞬の硬直を見せてしまう。
「行くよ!」
「指図すんな! バカねき!」
ラウラとルカスの姉弟が、落ちる際を狙い飛び込む。手をこまねいていた鬱憤を晴らそうと、ラウラの曲刀が豪快に振り下ろされ、ルカスの細身の剣が鋭い突きを見せた。
グリアムとオッタのふたりも、ナイフを握り姉弟に続く。グリアムがオッタに目で合図を送り、ふたりは赤い複眼の死角を突こうと、左右に分かれて回り込んでいった。
大蜘蛛は後ろへ大きく跳ねる。
刃に込められた殺気に反応でもしたのか、その刃達から逃げるように後ろへと下がった。四人の刃は空を切り、刹那、大蜘蛛の口から糸の矢が襲う。
飛び込むことを拒み許さない糸の矢が、弾幕のように吐き出され続ける。それは何かを守る姿にも見えた。
そして⋯⋯。
「なんだありゃあ?」
グリアムは盛大に顔をしかめ、思わず動きが止まってしまう。
大蜘蛛の尻から次々に、白い幼虫が蛇口を一気に開いたかのように、勢いよく吐き出されていく。
手の平ほどしかない、白い大蜘蛛の幼虫が地面を埋め尽くすその勢いに、呆気に取られてしまう。その数は簡単に数百を超えていく。
すぐに壁の一面を埋め尽くし、大繭と対峙しているイヴァン達、そして、入口で待機しているヴィヴィ達にも、白い幼虫が迫ろうとしていた。壁を伝い、天井も幼虫に覆われていく。壁も地面も、そして天井も白色がゆらゆらと蠢き始め、まるで生き物の体内のような錯覚に陥り、不快感が増していく。足元に絡みつくと、カサカサとした感触と共に、体にまとわりついた。
「痛ってぇ! 何だこいつ?! 喰ってくんぞ!」
ルカスが腕から血を流しながら、幼虫をむしり取り地面に投げつけた。小さな傷ではあるものの、その傷は幼虫の口の形に肉が深く抉られていた。その姿にラウラは曲刀を群がろうと迫る幼虫に向ける。ルカスも腕から血を流しながら剣で振り払っていき、グリアムとオッタのナイフもそれに倣う。
「おまえら! この小っせえのに、喰われんなよ!」
グリアムの叫びに呼応し、イヴァン達も大繭から幼虫へと標的を移す。だが、一気に迫る大量の幼虫に翻弄されてしまう。次々に群がる幼虫を振りほどくのがやっと。服の上からでもお構いなしに、幼虫は強靭な顎で喰らい付き、人肉を食もうとした。
飛び込んでくる幼虫をふたつに斬り裂き、柔らかな背中を踏みつけても、白い波のように襲い掛かる幼虫の勢いは衰えない。その波はイヴァン達を通り抜け、大繭へと向かう。壁を伝い上から、そして床から、静かな津波のように大繭へと幼虫が迫った。
幼虫は、大繭を器用に噛み切り繭の中へと潜り込む。くぐもったモンスターの断末魔が、繭の中からイヴァン達の耳に届いた。イヴァン達は、一瞬だけ視線を交わし合うと、背中に冷たい汗が伝う。
もし、この繭の中にふたりがいたら⋯⋯。
言葉は交わさずとも思いは重なる。アリーチェの刃が繭に群がる幼虫を斬り裂き、サーラの回し蹴りが群がる幼虫をまとめて吹き飛ばした。
「氷の女王シバよ、凍てつく吐息をこの刃に纏い全てを凍り尽くせ【氷結】!」
イヴァンの刃が再び冷気を纏う。そして繭へと群がる幼虫の波を、纏う冷気が凍らせた。だが、その凍った波の上から、波は覆い被さるように止まる事なく襲い掛かる。積み重なる波の層に、終わりが見えない。
「リーダー! こっちお願いします!」
幼虫が、大繭に際限なく群がる。サーラが腕に喰らいつく幼虫を投げ捨てながら、繭へ群がる幼虫を、鉄靴で粉砕する。アリーチェは、飛び込んでくる幼虫を斬り捨てながら、大繭を死守すべく剣を振り続ける。幼虫は刃をすり抜け、鉄靴を掻い潜り、柔らかな人の肉を喰いちぎっていく。そして流れ落ちるアリーチェとサーラの血に釣られ、幼虫はさらにまとわりつき、刃を振る手を、振り続ける足の動きを鈍らせる。
終わりが見えない。
だれもがそう思い、徒労感が襲う。腕から、足から、痛みが止む事はない。それでもひたすらに剣を振り、拳を振り続ける。抗い続ける三人に、終わりはまったく見えてこなかった。
□■
「ぅ、うわぁぁああ~」
入口で情けない声を上げるギヨームの横で、テールの太い前足が幼虫を踏み潰す。
『⋯⋯グルゥゥウウウ』
テールは低い唸りを上げ、今まさに外へと飛び出す幼虫を威嚇した。
「ギ、ギヨーム様! ヴィヴィ様をお守り下さい」
パオラは、入口から吐き出される幼虫に焦りながらも、座り込んでいるヴィヴィを慮る。
「お、おう⋯⋯。って、あれの幼虫? 多すぎじゃね?」
「今は考えないでおきましょう。動けないヴィヴィ様は、格好の的になってしまいます。幼虫を近づけさせないで下さい」
「ああ⋯⋯」
壁にもたれているヴィヴィを守るようにパオラは仁王立ちする。
ギヨームは剣を握り直し、吐き出される幼虫を叩き斬っていく。だが、吐き出される幼虫の数に圧倒されてしまう。決壊したダムの水のように、入口から幼虫が止めどなく吐き出されていく。
「ぐあっ!」
気後れするギヨームに容赦なく幼虫はまとわりつく。大腿部に喰らいつく幼虫を、自身の肉と共に引き剥がすと地面へ投げつけた。ジンジンと脈打つたびに痛みが走る足に、気後れした自分を不甲斐なく感じてしまう。
「ギヨーム様、大丈夫ですか? ヒール落としますよ!」
パオラはギヨームを気遣いながらも、テールのようにヴィヴィを狙う幼虫を次から次へと踏みつぶしていた。パオラが必死に抗う姿に、ギヨームの心は冷静を取り戻し、自分のやるべきことを冷静に見つめ直す。
オレが、ここを任されたんだ⋯⋯。
ギヨームはギュっと剣を握り直し、長身から剣を振り下ろす。
「オレは大丈夫。あんたは大丈夫か? 無理すんなよ、オレが何とかする」
力強いギヨームの言葉に、パオラは少しだけ表情を崩した。
「ギヨーム様もお気を付けて」
ギヨームは前を向いたまま軽く頷くと、剣の勢いが増していった。