その入り混じる不安と望み Ⅲ
繭へと迫る炎が、ヴィヴィの放った極大の冷気によって勢いを失う。導火線と化していた業火は、今は白い煙と化した。イヴァンは、少しの安堵に包まれながら手を止めると、刃に纏っていた冷気を止める。
「ふたりを探そう!」
ひと息入れる間もなく、イヴァンの号令で、アリーチェが積み上がる大きな繭のひとつに手を伸ばす。体を折った人間なら優に入ってしまうほどの大きな繭を、アリーチェは両腕で抱え込み地面に置いた。
「重っ!」
「アリーチェさん、開けるときは慎重にお願いします。中が人とは限りません」
「分かってるって」
アリーチェはサーラを一瞥すると、すぐに繭へ刃を向ける。
「これってひとつずつやらないとダメな感じ?」
「はい。中が分からない以上、そうするしかないかと」
「そっか⋯⋯硬っ! なにこれ? ぜんぜん切れないよ」
アリーチェは手を掛けた繭に剣を突き立てようとするも、思うようにいかない様に苛立ちを隠さない。イヴァンは剣を構え、サーラは拳を握りながら、何が飛び出すか分からない状況に、繭を睨み続けるだけだった。だがアリーチェの刃は、何重にも折り重なった糸に跳ね返され続け、思うように事は進んではくれない。
「どうすればいいのよ、こんなの!」
アリーチェがやけを起こし、乱雑に刃を繭に向ける。刃は不貞腐れているアリーチェが乗り移ったかのように、雑な太刀筋を見せるが、繭はその雑な太刀筋にもビクともしない。
跳ね返され続けていた刃が、スッと繭の側面を撫でる。すると、繭の側面がハラハラと剥がれ落ちた。サーラは、その様子を興奮気味に指差した。
「アリーチェさん! 今、剥がれましたよ」
「どうやってた? 私??」
「なんかこうスッと⋯⋯」
「スッと?」
「こう、スーって」
「スー??」
言葉で説明できないもどかしさにサーラは身もだえる。アリーチェもたまたま振った刃が偶然削いだ形になっただけで、再現に苦慮しながら繭へと刃を向け直す。
振り続けるアリーチェの額に汗が滲み始めると、繭の一部分がハラハラと解け、中が露わになった。イヴァンは剣を握り直し、サーラも拳を握りながら繭を睨む。
アリーチェの刃に慎重さが増し、コツを掴んだその刃は繭を次々に解いていく。イヴァンとサーラの繭を睨む瞳が集中を上げる。
そして、中が露わになる。
「見えて来た! 人?」
イヴァンの睨む先に、髪の毛らしき一部が見えると、それが人だと分かり、緊張の度合いがひと段落した。
イヴァンが繭を覗き込む。ピクリとも動かない様に、生の匂いは漂って来なかった。
三人は互いに顔を見合わせると、サーラが一歩、繭へと足を踏み出した。
「だ、大丈夫ですかー?」
サーラの呼びかけにも無反応。アリーチェが繭を倒すと、ズルっと体からすべての力が抜け落ちた状態の女が地面へ滑り出た。何かの体液にまみれた体、そして血の気が失せた紫色の顔から、呼吸している素振りはまったく見えない。
「これはダメだね」
アリーチェは首を軽く横に振りながら、女の両脇に手を突っ込んだ。
「間に合わなかったか⋯⋯」
淡々と隅へと女を寄せるアリーチェを手伝いながら、イヴァンは次の繭を見つめる。
もっと早く対処出来ていれば、彼女は助かったのかな?
もし、ニコラとジョフリーがここにいるなら⋯⋯。
もし、捕らえられてから時間が経っていたら⋯⋯いや、時間が短ければ助けられるんじゃない。
もし、まだダンジョンを彷徨っていたら⋯⋯この繭を確認する時間って⋯⋯。
積み上がる大きな繭を見上げ、積み重なる“もし”が、イヴァンの焦燥を煽る。
「急ごうか」
焦燥を抑える事なく、イヴァンは繭へと手を掛ける。内側で何かが蠢く感触がイヴァンの手に伝わった。
「動いた!」
その胎動のような感触は、吉と出るのか凶と出るのか。
焦燥はさらに煽られる。
アリーチェの刃が繭を削いでいく。何重にも巻かれた糸と糸の微かな継ぎ目。アリーチェが、その継ぎ目に対して正確に刃を沿わせ、堅牢を誇る繭を解いていく。
『ギャアギャア!』
繭は解け、上部が開き始める。
ガタガタ繭を激しく揺さぶりながら、中でコボルトが抜け出ようと大暴れているのが、解けた隙間から覗き見れた。イヴァンの淡い希望はその姿に吹き飛んでしまい、そしてその怒りをぶつけるかのように、コボルトの脳天に剣を突き立てた。そして、繭の中で微動だにしない躯がひとつ出来上がる。
「次にいこう」
イヴァンは自身を奮い立たせるかのように言い放った。後ろを振り返ると、グリアム達が天井を睨み動かないでいた。
向こうは任せて、自分はこっちに集中だ。
大蜘蛛の存在を一端頭から消し、眼前の繭の山に対峙していく。
□■
天井の大蜘蛛と睨み合う。
高みの見物でも気取ってやがんのか。
グリアムの眉間の皺が深くなると、大蜘蛛を睨んだまま入口に声を掛ける。
「ギヨーム! ヴィヴィのハンドボウガンをこっちに寄越せ」
「ハンドボウガン⋯⋯は、はい!」
体の力が抜け落ちているヴィヴィが、無言で左腕を差し出す。左腕を上げるだけでも辛そうに見えた。
あれだけ魔法を撃ち続けたもんな。しかし、魔法ってあんなに撃てるものなのかな?
ヴィヴィが、容赦なく放ち続けた冷気の様を思い出す。もし、ヴィヴィがいなければ、繭はすべて焼けていただろう。その中にニコラとジョフリーがいたら⋯⋯と、ギヨームは今さながら身震いしてしまう。
「私も手伝いますね。ヴィヴィ様の魔力は異常ですよ。あんなに魔力の多い方なんて、私はふたりしか知りません」
まるでギヨームの心を読んだかのようなパオラの言葉に、ギヨームは少し驚いてしまう。
「やっぱ、すげえんだ」
「はい。私が知る限り、ヴィヴィ様と私の師匠のふたりだけです」
「師匠? あんたに師匠がいたのか」
「はい。いろいろ教えて頂きました」
ギヨームはハンドボウガンを外しながら、オッタにチラっと視線を向ける。
「オッタ様は優秀ですよ。きっとまだ底を見せていないのではないでしょうか」
ギヨームは、パオラの言葉にハッと我に返った。
「底?」
「何か遠慮されているように見えます⋯⋯外れました、グリアム様に渡して下さい」
「お、おう」
ギヨームは手を差し出すグリアムにハンドボウガンを手渡した。
天井を見上げているグリアムと並びギヨームも天井を見上げる。天井から赤い複眼が、自分達を見下しているのが分かった。グリアムはすぐにハンドボウガンを装備し、天井から人間を見下している大蜘蛛に狙いを定める。
「ギヨーム、下がってろ。クソ蜘蛛が、吠え面かかせてやる⋯⋯うお!」
グリアムが構えた瞬間、大蜘蛛の口からグリアムを狙う白い糸が吐き出された。まるで短い矢のような短い糸が、グリアムを次々に襲う。
危険をすぐに察知し、対処するその早さに、赤い複眼がお飾りではない事が分かる。糸の先は鋭く尖り、あの勢いで突き刺されば軽傷で済むとは思えない。横へ転がったグリアムが膝をつくとすぐに天井を狙い直した。
シュッ⋯⋯。
音もなく、そして寸分たがわずグリアムの眉間を狙う鋭い糸の矢が襲い掛かる。その度に糸が張り巡る柔らかな地面を、グリアムは転がった。そして大蜘蛛の手の先からは、ラウラ、オッタ、ルカスを捕えようと、しなやかなそして強靭な糸が次々に放たれる。刃で弾き、地面を転がり、自身を捕えようとする糸から必死に逃れていた。
「おっさん! 早くしろ! 鬱陶しくて仕方ねえ」
「分かってんよ!」
ルカスが細身の剣で糸を払いながら、グリアムに檄を飛ばす。グリアムが、ボウガンを構えるも、大蜘蛛の止まらぬ糸の矢に撃つ事を許されず、地面を転がるだけの自分に苛立ちが募る。
天井から降り注ぐ、止まない糸の連撃に焦りと苛立ちも相まって、グリアム達は無駄に体力を削られた。
これって⋯⋯口から吐く糸と、手足から放たれる糸の性質がまるで違う。
グリアムは、口から吐き出される糸の矢を避けながら、直線を描き襲い掛かる糸の矢を観察する。
口から吐き出される糸は、矢のように直線的で、手足の糸より硬そうに見える。
手足から放たれる糸は、軽く弧を描きながら鞭のようなしなりを感じる。
捕らえる糸と止めを刺す糸? 神経毒持ちって言っていた⋯⋯口から吐く糸に毒がある? だとしたら、掠るのすら命取りか⋯⋯。
厄介な野郎だ。
シュッ! シュッ! シュッ! と、吐き出される糸の矢の連撃にグリアムは転がり続ける。ハンドボウガンを構える隙さえ与えぬ連撃に、手も足も出せない。
あの野郎を引き摺り下ろせれば⋯⋯だが、どうやって⋯⋯。
大蜘蛛の手の平で踊らされている感覚に、苛立ちばかりが募っていった。