その入り混じる不安と望み Ⅱ
「大蜘蛛の姿が見えん」
オッタはパーティーに向き直ると開口一番、表情を険しくさせながら囁いた。
いない?
ここじゃねえのか?
「ハズレか?」
グリアムは、意外とばかりに少し困惑を見せる。大蜘蛛の巣として、ここしか考えられなかった。あの巨躯を隠せる休憩所がここ以外にあるとは思えない。そんなグリアムの思いを汲んだのか、オッタはすぐに言葉を続けた。
「いや、当たりだ。奥の壁際に、ドデカい繭がクソほどあるし、音と気配は間違いなくここにいる」
オッタの瞳に鋭さが宿り、その言葉から自信が窺える。
「突入しましょう。どちらにせよ、大蜘蛛を倒さないと捜索は厳しいですよ」
イヴァンの言葉はパーティーの総意だ。もし、まだニコラとジョフリーのふたりがエンカウントしていなかった場合、ここで潰しておけば生存の可能性はぐっと上がるはずだ。
「分かっている。ただ、姿を確認してからだ。闇雲に突っ込むのは自殺行為過ぎる」
グリアムの言葉に、イヴァンは逸る心を抑えこみ渋々と頷いた。
気配があるのに見えない。そんな状況で突っ込んでいいほど、このダンジョンは甘くはない。
イヴァンの頷きを確認し、グリアムもオッタと共に巣と化した休憩所をそっと覗く。グリアムのオッドアイに映る【アイヴァンミストル】の放つ淡い白光が、中に広がる広間を照らし出す。
床も壁も、白い大蜘蛛の糸に覆われ、奥の壁沿いに大きな繭が乱雑に積み重なっていた。キラキラと白い糸が【アイヴァンミストル】の光を乱反射している。美しいはずのその輝きも、今は不気味に映った。
グリアムのオッドアイが忙しなく動き続け、大蜘蛛の姿を探す。
オッタの言う通り、気配は間違いなく、ここにいると言っている。
カサっと微かな擦れる音に、オッタの耳がピクリと反応を見せ、その音の元へと顔を上げた。
天井の中心で、不気味に光る赤い複眼を向ける大蜘蛛の姿をオッタの瞳が捉える。
「上だ! 天井に張り付いていやがった」
「上か!?」
10メートルはあろうかという高い天井に、大蜘蛛は身を潜めていた大蜘蛛が地面へスルスルと降り立つと、そのまま一気にグリアムとオッタとの距離を詰めた。カサカサと長い手足を器用に操り、入口へと迫る。
長い前脚が、入口で覗くふたりに襲い掛かる。鋭く尖る足先が、ふたりを突き刺そうと入口から飛び出して来た。
「くっ!」
カツン! と、グリアムのナイフから硬い衝突音が響く。鋭く尖った前脚を弾いたが、グリアムのナイフも腕ごと弾かれてしまう。無防備になったグリアムの胸に、再び前脚が襲い掛かる。
「どけ!」
オッタの槍が、その前脚に振り下ろされた。矛先が前脚を地面に叩きつける。オッタは確かな手応えを感じた。斬り落とした前脚が地面に転がるはず。だが、前脚は地面に落ちることはなく、オッタの刃は、前脚に半分ほど食い込んだ状態で止まっていた。
「どいてー! 【炎柱】」
ふたりの後ろからヴィヴィが手をかざす。ヴィヴィの手に収束する赤い光にも、大蜘蛛は逃げる事なく、その光の元へと前脚を伸ばす。想像とは違うその大蜘蛛の動きに、少しばかり驚きを見せるが、そのまま赤い光を大蜘蛛へ放つ。
「ああ! 思い出しました! ヴィヴィさん! ストップです! ダメです! 大蜘蛛の糸は良く燃えるらしいのです。もし、ふたりが繭に捕らえられていたら、一緒に燃えちゃうかもです!」
「ええっー!?」
ヴィヴィに迫る前脚を払いながら、早口でまくし立てるサーラの言葉は時すでに遅し。ヴィヴィは反射的に狙いを天井に移すのがやっとで、ヴィヴィの手から業火は放たれてしまった。
天井に張り巡る糸が激しく燃え上がり、導火線のように、積み上がる繭へと迫る。大蜘蛛の鋭い足先が、パーティーの足を釘付けにする。その鋭い突きは、大蜘蛛の怒り狂う様を感じ取れた。
どうする?
繭にあいつらがいるとは限らない。このまま焼いちまうか?
次々と襲い掛かる鋭い足先を弾きながら、グリアムは一瞬の逡巡。
「行きます。氷の女王シバよ、凍てつく吐息をこの刃に纏い全てを凍り尽くせ【氷結】」
イヴァンの剣が氷を纏う。冷気を放つ剣を握り締め、燃え上がる休憩所の中へと飛び込んで行った。
「【氷壁】」
ヴィヴィも地面に向かい青い光を放つ。青い光は地面を這い、冷気と共に炎を相殺していく。だが、思うように火の勢いは衰えない。燃え始めた炎は糸を燃料にして、火の粉を巻き上げながら、地面や壁へ次々に引火していった。
『シャアアアアアアッーツ』
咆哮にならない甲高い声を上げながら、大蜘蛛は足先から糸を放つ。その先には繭へと迫るイヴァンの姿。炎が燃え移った糸が、イヴァンの背中に熱を伝える。
「やらすか!」
ルカスの細身の剣がしなやかにしなり、炎を纏う白糸をかち上げた。空中に舞い上がる白糸が火の粉を散らす。舞い上がる火の粉は瞬く間に地面へと燃え移り、繭へ迫る炎の勢いが増してしまう。
「【氷壁】」
ヴィヴィが再び青い光を放つ。だが、業火の勢いは衰えない。入口から吐き出される熱気は、飛び込む事を躊躇させてしまうほどだ。そんなパーティーの戸惑いを断ち切ろうと、オッタが飛び込むとラウラもそれに続く。オッタの矛先とラウラの曲刀が、大蜘蛛に襲い掛かる。
「ヴィヴィ! 撃ち続けろ! サーラ! アリーチェ! イヴァンのフォローに回れ! ギヨーム、おまえはここでパオラを守れ。いいな」
ギヨームは剣を握り締めながら緊張の面持ちで、何度も頷いて見せた。そんなギヨームの肩をポンと軽く叩き、グリアムも大蜘蛛へと飛び込む。
肺に吸い込まれる空気は熱気を孕み、喉を焼こうと張り付く。噴き出す汗は一瞬で乾き、剥き出しの皮膚が焼かれる感覚がヒリヒリと伝わった。
「こいつ、炎も氷も効かないのかな?」
ラウラがグリアムの隣に並び立ち、大蜘蛛を睨む。
「いや、効かないって事はねえだろう。見ろ、腹に火の粉が付くと必死に払っている」
「てことはさ、身体が弱点?」
「それは⋯⋯どうかな!? ⋯⋯クッ!」
グリアムの刃が弾いた前脚を、ラウラが斬り落とそうと曲刀を振り下ろす。
「こんのぉ!」
弾かれそうな刃にラウラはさらなる力を籠めていった。
ググっと押し込まれる刃を嫌がり、大蜘蛛は脚を引く。そして同時に、グリアムの顔へ糸を吐き出した。反射的に顔を背けるグリアムの顔面が糸に覆われ、舞う火の粉はすぐにその糸へ着火する。
「ぐああっ!」
「グリアムさん!」
グリアムは、ジュっと手の平を焼きながら燃え盛る糸を顔からむしり取った。手の平同様、蒼白い顔は半分焼けただれ、痛々しい姿を見せる。
「問題ねえ。集中しろ。サーラの言葉を借りるなら、核は間違いなく頭胸部だ。腹を守るのはそこにガキが詰まっているからだろう」
「頭だな」
「斬り落としてやる」
ルカスとオッタが大蜘蛛の頭を睨むと、ラウラもグリアムの隣で同じように睨んだ。
「あの手? 足? が邪魔だよね。硬くて鬱陶し過ぎ」
「ああ。そう簡単に斬り落とせねえからな。潜り込もうとしても、しっかりガードされちまう」
「でもさ、いけるっしょ」
「もちろんあれに比べたら絶望でもなんでもねえ」
「ああ~あれに比べたらね~」
ふたりは頭の中で、最深層で圧倒的な存在感を示していた龍の存在を頭に浮かべた。
あの時に比べたら、絶望的状況でもなんでもないと思えてしまう。
ヴィヴィは休むことなく冷気を放ち続け、イヴァンも迫る炎を氷で断ち切っていく。
「消えろ! 【氷壁】!」
ヴィヴィの手から極大の青い閃光が、天井に向かって放たれる。魔力を最大限に込めたその光が、休憩所の熱を奪い取った。降り注ぐ冷気に、巻き上がる火の粉も一瞬で氷つき、グリアム達の吐息も白くなる。
魔力の限界を超えたヴィヴィの体は膝から崩れ落ち、パオラとギヨームがそれを急いで支えた。膝をつくヴィヴィを心配してか、テールがヴィヴィに寄り添う。ヴィヴィは、返事の代わりに力の入らない手を、テールの頭の上に優しく置いた。
「ヴィヴィちゃん、ナイス!」
ラウラはヴィヴィを労うと、炎が消えた事に一瞬戸惑いを見せた大蜘蛛の長い手足を掻い潜り腹部へと迫った。
「まずはここ頂き!」
ラウラは、大蜘蛛の頭胸部と腹部の接合部を目掛け、曲刀を振り上げる。大蜘蛛の長い手足が、腹部を守ろうとラウラの背中に襲い掛かった。
「よく見ろ! バカねきが!」
ルカスの細身の剣が、ラウラに向いた鋭利な足先を払いのける。
「シッ!」
ラウラに連動するかのように、グリアムも頭胸部へと潜り込む。白銀のナイフを大蜘蛛の胸に目掛け突き上げていく。
オッタの槍と、ルカスの剣は休むことなく振り続き、長い手足を牽制し、グリアムとラウラをフォローする。
そして懐から襲いかかるふたりの刃を、同時に抑える事など今も大蜘蛛には不可能だ。
これで終いだ。
勝利を確信するふたり。
だが、得てして事はそう上手くいかない。大蜘蛛の姿はふたりの視界から急に消え去り、ふたりの刃が空を切る。
どこ行きやがった?
グリアムは激しく視線を動かし、大蜘蛛の姿を求めた。
「グリアム! 上だ!」
オッタの叫びに天井を見上げる。天井に張り付き、赤い複眼を向ける大蜘蛛の姿は、怒りに溢れているのが伝わった。
その姿からは、餌を、そして自身の子供を守ろうという強靭な意志が、天井に張り付く複眼からひしひしと感じ取れた。