その欠片と情景 Ⅻ
グリアムの肩越しにラウラもモンスターの欠片を覗き込み、口を尖らせた。ラウラは瞳に映った光景に、ギヨームの淡い希望をまたひとつ小さくしてしまうかもしれないと思わず口ごもってしまう。
「⋯⋯んっ⋯⋯ほら、でも、ギヨーム君のパーティーがやっつけてたら⋯⋯ねぇ~」
「こいつはモンスターが食い散らかしたんだ。明らかに何かが噛み千切った痕だ」
経験のある者が見れば一目瞭然だった。
ギヨームに対するラウラの気遣いを一刀両断にする、オッタの冷静な言葉にギヨームは肩を落とす。
この状況でも希望を持ち続けるのは前に進む原動力にもなるが、気力を必要以上に削るのはだれの目にも明らかだった。それでも現実を突き付けなければならない。いくら甘言を並べ立てたところで、もはやここでは何の意味もなさないのも、だれもが分かっている事だった。
「師匠、この感じ⋯⋯大物ですかね?」
サーラは何者かが食い散らかしたであろう、モンスターの欠片を見つめ眉をひそめる。
「多分な。怪物行進なら、もっと綺麗に喰うだろう。どっちに転んでもうまくはねえよな」
サーラはグリアムの言葉を受けて、エンカウントしそうなイレギュラーのモンスターを、頭の中でシミュレーションしていく。
道端に落ちている、人の欠片や、モンスターの欠片がパーティーの空気を重くする。現実は芳しくない方向へと転がっている感触を、否が応でも感じてしまう。
「あれは!」
ギヨームは目を見開き飛び出すと、転がっている鉄の籠手を拾い上げた。
所々凹み、薄汚れたその籠手を、震える手で抱きかかえる。その姿に、その籠手が何であるか、パーティーはすぐに理解した。そして、重い現実がまた一歩、パーティーに近づくのを感じてしまう。
「だれのだ?」
「⋯⋯ジョフリーです」
グリアムの背中越しの問い掛けに、ギヨームは振り返る事なく答えた。その震える声に、淡い希望が消えかけているのが伝わる。
「まだだよ」
イヴァンはギヨームの肩に手を掛けた。
「そうだよ。体はどこにもないんだから、諦めちゃダメだって」
ヴィヴィは、イヴァンの隣で檄を飛ばす。
「とりあえず、そちらは私が預かります」
パオラはギヨームから優しくその籠手を取り上げ、背負子の中へ仕舞っていった。差し出すギヨームの表情は絶望の色を濃くし、差し出したその手はしばらくそのままだった。
「とりあえず、この階までは確実に生きていたってことだ。ここをしらみつぶしに探すぞ」
ここまで生きていたのは分かった。どこかに身を潜めているか、喰われたか、逃げ回ったあげく罠に嵌ったか⋯⋯。ここにきて、ようやくふたりの存在を感じられた。あとはふたりの実力と運次第か。
グリアムがパーティーを導いて行く。先ほどのふたりの残滓との邂逅は、パーティーの歩みを遅くさせた。
全員が目を凝らし、ふたりの足跡を求める。見落とし出来ない状況にパーティーの集中は自然と上がっていた。
多いな。
そして歩みを遅らせるもうひとつの要因が、罠の多さだ。目の前に広がる罠に、何度となく足止めされる。
「⋯⋯うっ」
グリアムが思わず顔をしかめてしまう。ダンジョン内に流れる鉄臭さ。前方から漂うその臭いに、その先にあるものが容易に想像できる。今回はそれを避けては通れない。罠を回避しながら、その根元へと近付いて行った。
予想を超えるほどではない。だが、初めて直面したその惨劇の痕に、ギヨームは足を震わせ、立ちすくんでしまった。その凄惨な光景に、自分の仲間がここにいるかもしれないという不安が襲い掛かり、思考も体も止まってしまう。
「ギヨーム、おまえが探せ。おまえにしかできん」
オッタは、硬直したまま立ちすくむギヨームの背中を押す。押されるままギヨームは足を一歩踏み出すと、惨劇の痕が生々しい現場へと足を踏み入れる。
人の原型はもはや残っていない。真っ赤な血で染まる腕や、足。大きく抉れた顔が恨めしそうに、ギヨームに視線を向ける。その視線から逃れようと、ギヨームは視線を激しく動かした。だが、どう動かそうとも、視線の先にあるのは恨むような別の瞳。逃れられないその光景に、胃からせり上がる物を耐えきれず、ギヨームは隅へと駆け出した。
「⋯⋯ウオェエエエ⋯⋯」
パーティーはその光景を黙って見守る。
「ハァ⋯⋯ハァ⋯⋯す、すいません」
頭を下げるギヨームにグリアムは肩をすくめて見せた。
「気にすんな。最初はみんなそうだ。それより、おまえのパーティーはいたか?」
「⋯⋯いえ、今のところは。探します」
ギヨームが口元を乱暴に拭いながら答えると、グリアムは頷くかわりに、地面に落ちていたタグを拾い上げる。
見知らぬ名とB級の刻印。
B級といえど実力は様々だ。20階の経験や、イレギュラーに遭遇したことのない者もいたに違いない。
腐った人参に喰らいついた結果がこれか。欲を抑えられず、欲に呑み込まれた者の末路。自業自得とはいえばそれまでだが⋯⋯ギヨームの仲間のように、右も左も分からんヤツもいたかも知れん。
恐怖と戦いながら必死に捜索を続けるギヨームの背中を見つめながら、グリアムはそんなやるせない思いに顔を曇らせた。
「おい! パオラ、さっきの籠手を見せろ。この籠手の片割れと、犬人がいないか探すぞ」
グリアムの号令で、パーティーは一斉にニコラとジョフリーの残滓を求め痛ましい光景の中に散っていく。血溜まりに沈む腕を拾い上げ、喰われかけの顔を覗き込んだ。
ギヨーム達はC級か、しかも経験の浅い⋯⋯。むしろよくここまで辿り着いたもんだ。
「それらしいものはないね」
ラウラはそう言って頭を上げる。
「まだ生きているって事ですか?」
ギヨームの縋るような眼差しから、ラウラは思わず目を逸らしてしまう。耳あたりの良い言葉を並べたところで、それがギヨームの為になるとは思えない。
「⋯⋯ん、まぁ、だといいよね」
言い淀むラウラに代わり、オッタがまた口を開いた。
「そんな事はだれにも分からんよ。ここにはいなかった。それだけだ。だが、おまえは最後まで希望を捨てるな。今は必死に探せ、いいな」
「はい」
「次、行く⋯⋯」
グリアムがパーティーを進ませようと顔を上げると、激しい違和感を覚えた。第六感にも近い何かがグリアムの足を止める。視線を左右、前後と動かしその違和を探す。
考え過ぎか⋯⋯?
足を進めようと前に踏み出した瞬間、眼前に人の三倍はあろうかという大蜘蛛忽然と現れた。予期していなかった突然のエンカウントに、動揺がパーティーに走る。硬直するパーティーに、グリアムが声を荒らげる。
「下がれ!!」
その怒声は、パニックになりかけたパーティーを立て直す。いくつもの赤い複眼が、パーティーを捉える。顎の触手がさわさわと蠢き、パーティーの不快感を煽っていた。
大蜘蛛⋯⋯。
グリアムの長いダンジョン生活でもエンカウントは初めてだった。文献でしかお目に掛かれないレアモンスター。初見のエンカウントに、思わず躊躇してしまう。
「おっさん! 行くぞ!」
細身の剣を握りしめたルカスが、勢いよく飛び出す。長い手足を掻い潜り、大蜘蛛の脇腹へと回り込む。ルカスの刃が巨大な尻部を斬り落とそうと振りかぶった。
「ルカスさん待って! お尻はダメですよ!」
「チッ⋯⋯」
サーラの叫びにルカスの剣はピタっと止まり、軽い舌打ちをしながら一度下がった。
「サーラ! なんで尻がダメなんだよ」
ルカスは大蜘蛛を睨みながら、サーラに叫ぶ。
「大蜘蛛は、繁殖の時期だけ姿を現します。あの膨れたお尻の中に子供が何百⋯⋯下手したら何千と詰まっているかもです。むやみに斬ってしまうとその子供が解き放たれ、私達に群がってくるでしょう。一匹の毒は少ないですが、少しずつ毒が蓄積されれば、致命傷になりかねないそうです」
「んじゃ、どうすんだよ!」
「ヴィヴィさん、焼いてください」
「任せて! 【炎柱】! って、あれ??」
ヴィヴィの手に魔力が集約され始めると、大蜘蛛は目くらましするように大量の糸を吐き出しながら、一瞬でパーティーの視界から消えてしまった。