その欠片と情景 Ⅸ
グリアムの視界に映る光景は、まるでスローモーションのようで現実感の薄い映像だった。
大猪に吹き飛ばされたグリアムの手がギヨームに届く訳もなく、大猪の薄汚れた大牙が、ギヨームを貫く姿がその先に想像出来た。
「ギヨーム!!」
「うわぁあああああっ⋯⋯」
グリアムは、名を叫ぶ事しか出来ない自分を呪う。ここまで連れて来たのは自分の判断ミスだと、この一瞬で頭を駆け巡った。
大猪が、動けないギヨームを貫こうと牙を向ける。
グリアムはその瞬間、見たくない凄惨な姿を想像してしまい目を閉じてしまった。
ガン!と激しい打突音に、グリアムは再び目を開ける。
壁から激しい土煙が上がり、ギヨームの姿を隠してしまう。そして、ギヨームの叫びも消えた。その一瞬の出来事に、後悔の念が全身を駆け巡る。
ギヨーム⋯⋯。
グリアムは後悔に押しつぶされ、土煙を見つめたまま茫然と佇んでしまう。
「グリアムさん! 前! 前!」
へ? 誰?
聞き覚えのある声に、我に返ると眼前に大猪の牙が迫っていた。
痛む体を押し殺し、グリアムは地面を転がる。激しい打突音と共に大猪は壁に激突。
壁は抉れ、そして⋯⋯。
「こんのぉおおお!」
大猪の首を斬り落とさんとばかりに曲刀が振り下ろされていく。
「ラ、ラウラ?!」
斬り落とす事は出来なかったが、首から激しく血を吹き出し、覚束ない足取りを見せる大猪の胸元に、ラウラがすかさず曲刀を突き刺す。ラウラの刃が核を貫くと、大猪は力なく地面に沈んだ。
「ラウラさん、こっち!」
ギヨームを引き摺るマスク女の叫びに、グリアムも痛む体を無理矢理起こす。
「アリーチェ??」
視界に飛び込んで来たふたりの姿に、グリアムの頭は追いついていない。混乱しながらも九死に一生を得たのだと、胸を撫で下ろした。
グリアムは痛む体を押し、ラウラと共にギヨームとアリーチェを狙う大猪に飛び込む。動きの鈍いふたりは、格好の餌なのだろう。土煙を上げ、大猪は地面を重い足で蹴り上げていた。
迫る大猪の巨躯にも、アリーチェに焦る様子は見られない。アリーチェはギヨームの体を引き摺りながら、シビレキノコの罠を器用に滑らせた。
パリ! っと、電流が走ったかのように、一瞬の静止を見せる大猪。
そこに好機とばかりに、ラウラとグリアムが飛び込む。グリアムのナイフは眉間に突き立てられ、ラウラの曲刀は寸分の狂いもなく胸元の核を貫く。そして、ふたりの飛び込みに合わせて視界を失い混乱状態の大猪に、アリーチェは飛び込んだ。アリーチェの一撃が核を貫き、地面に転がる三頭の大猪が出来上がった。
「ふぅー」
グリアムは天を仰ぎ、大きく息を吐き出し、窮地を脱した事を全身で感じる。
そして、ラウラとアリーチェに向き直り、照れくささの混じる苦笑いを見せた。
「いやぁ、マジで助かった。いつもスマンな」
「シシシ、そんな事ないよ。でも、間に合って良かった。久々にあぶなかったね」
「いやマジで、諦めたわ。アリーチェも助かったよ、ありがとな」
「べ、別に、ラウラさんの手伝いしただけだし。てか、こいつC級でしょう? 大猪程度で何やってんのよ」
ギヨームは、何とかひとりで立ち上がったものの、脇腹からは血が滲み、顔面蒼白で焦点は定まっていない。その様子に、グリアムはポーチから回復薬を取り出した。
「初めての深層なんだ、そう言ってやるな。オレが見立てを間違ったのかも知れんしな。ギヨーム、これを飲んで落ち着け。もう大丈夫だ」
ギヨームは震える手で、差し出された回復薬を手にする。震える手のせいで、思うように開栓出来ない。
「怖かったよね。もう大丈夫だよ」
ラウラが優しく声を掛けると、ギヨームは震えながらも薬を一気に飲み干していった。
「グリアムさんは大丈夫?」
「オレは大丈夫だ。休憩所で合流出来れば、治療師がいる」
「え? 【クラウスファミリア(クラウスの家族)】の治療師?」
「あ! 言ってなかったな。治療師が、ついこの間加入したんだよ。んで、助けて貰っておいてなんだが、何でおまえらが、ここにいるんだ?」
「シシシ、ねえ~アリーチェ」
「私はラウラさんについて来ただけですよ」
「またまた~私がアリーチェについて来たんじゃない」
要領を得ないラウラとアリーチェのやり取りに、グリアムは渋い顔をして見せた。
「本拠地で、大人しく引き下がったと思ったら、こうきたか⋯⋯まぁ、助けられたし、何も文句はねえけどな」
「やっぱさ、パーティーの名を騙ったのは許せないよ。ウチを舐めすぎ⋯⋯って、思ってたら、この娘が、直ぐに潜る準備始めてさ、まぁ、ほら、ウチは深層より下の単独は禁止でしょ、だから私がついて行くかってなったのよ」
「え?! ラウラさんが先に準備始めたじゃないですか」
「えぇー違うよ! アリーチェだよ」
「まぁまぁ、どっちでもいいよ」
不毛な議論を続けるふたりを、グリアムは嘆息しながらなだめた。
「とりあえず、治療師のいる休憩所へ急ごうよ。この子の傷、思ったより深いよ」
ラウラが脇腹を押さえ、苦悶の表情を浮かべているギヨームに真剣な眼差しを向ける。
「だな。すまんが、手伝って貰えるか?」
「もちろん」
ラウラが答えると、グリアムはギヨームに肩を貸し、休憩所を目指し、助かった安堵を噛みしめながらゆっくりと歩き始めた。
□■□■
「ア、アリーチェ!?」
ヴィヴィは休憩所へ現れたアリーチェの変貌した姿に驚愕の表情を真っ先に見せた。
「ラウラさん? なぜ??」
グリアム一行の姿に困惑を見せるイヴァンに目もくれず、グリアムはパオラに声を掛ける。
「パオラ! ヒールを頼む。こいつの傷が深い。ギヨーム、おまえはここに寝ろ」
「はい! 任せて下さい」
「師匠も怪我されてるじゃないですか!?」
「オレは大したことねえ。ギヨームが先だ」
休憩所に辿り着き、グリアムの緊張が解けると、鈍い痛みが体中を襲い、腰を下ろしながら思わず顔をしかめてしまう。サーラはその様子に気付き、心配そうに気遣って見せた。
「なんで、ラウラとアリーチェがいるの? アリーチェ、元気になった?」
ヴィヴィが心配そうにマスク姿のアリーチェを覗き込むと、鬱陶しいとアリーチェは顔を背けてしまう。
「あれからどれだけ時間が経ったと思っているんだ。大丈夫に決まっているだろう」
「アリーチェはね、頑張ったんだ。あんな事があったから、もう潜行はしないと思ったんだけど、頑張ってあのトラウマを乗り越えたんだよ」
「そっか。アリーチェ、エライ、エライ」
「馬鹿にするな!」
「してないよ。本当にエライと思ったんだよ」
照れるアリーチェは、マスクの下の顔を赤らめ、俯いてしまった。
「でも、どうして【ノーヴァアザリア(新星のアザリア)】のおふたりが、ここにいるのですか?」
首を傾げるイヴァンに、ラウラは口元だけ笑みを浮かべて見せた。
「ウチを騙ったバカに繋がる何かが見つかればと思ってね」
「ギヨーム達を誘った⋯⋯」
「そうそう。カロルを名乗ったんでしょう? だから、この娘も、放っておく訳にはいかないってね」
イヴァンの横で話を聞いていたサーラが、ラウラの言葉に大きく頷いて見せる。
「アリーチェさんは、カロルさんと仲良しでしたものね。何か手掛かりだけでも見つかるといいですね」
「だね。ウチの名を騙った証拠を手に入れる事が出来れば、【ライアークルーク(賢い嘘つき)】にひと泡吹かせられるからね。ウチを舐めた報いは必ず受けさせてやる」
そう言うと、ラウラの瞳が冷えていった。
「たしか、パーティーの名を騙る罰則って、キツイのですよね? 罰金とか、活動休止とかでしたっけ? 今回の場合はどうなるのでしょう?」
「さすがサーラちゃん、詳しいね。あまりにも酷かった場合は、資産没収のうえ、パーティーの解散もあるよ。今回はまだ全容が見えないから、何とも言えないけど、気分的には解散まで持っていきたいよね」
「そこまでですか!?」
ラウラの言葉にサーラは素直に驚いた。口調は軽かったが、その裏に本気の思いが透けて見え、ラウラの本気度は十分に伝わった。