その欠片と情景 Ⅶ
扉から現れた女の姿にグリアムは目を見張った。
綺麗な茶髪は左側が剃り上げられ、肩まで髪をたなびかせている右側とはアシンメトリーな髪形が、いかつさを後押しする。
口元を大きな黒マスクで覆い、右頬にはそのマスクでも隠し切れない大きな傷跡が残っており、その相貌から以前の愛らしい姿は消え失せていた。
「アリーチェ? か⋯⋯」
グリアムは我が目を疑うほど変貌したアリーチェの姿に、その名を口にするのがやっとだった。
彼女である事は分かってはいても、その変貌した姿がアリーチェ本人だと理解する事を拒み、グリアムの隣でギヨームは、その荒々しさを感じるアリーチェの圧に、顔を強張らせてしまう。そんなアリーチェは、グリアムをジロリと一瞥だけして、アザリアへと向き直す。
「【クラウスファミリア(クラウスの家族)】の案内人⋯⋯? アザリアさん、カルロがどうかしたの? 伝声管の声が聞こえたんだけど」
アザリアとラウラにとって、アリーチェの変貌ぶりはもう当たり前のことなのだろう、変貌した姿に臆する素振りなど一切なかった。
「ちょっとね⋯⋯」
口が重くなるアザリアに、アリーチェは剣呑な表情を見せる。
「ちょっとって、何ですか? それにそこの犬は? 【クラウスファミリア】のメンバー?」
「彼はメンバーじゃなくて⋯⋯ねえ~ラウラ」
「へ? こっち? そう⋯⋯この子は、【クラウスファミリア】のお友達で、その⋯⋯」
ギヨームの話を伝えるべきかどうか口ごもるアザリアとラウラに、アリーチェは表情を硬くさせた。そんな口ごもるふたりに代わり、グリアムは仕方ないとばかりに口を開く。
「カロルを名乗る女に、こいつのパーティーが潜行を誘われたんだ。んで、いざ、行ってみるとそこにいたのは【ライアークルーク(賢い嘘つき)】の大パーティー。こいつは、その状況を怪しいと感じ、【クラウスファミリア】の本拠地に飛び込んだ。だが、残りのメンバーは【ライアークルーク】について行っちまった。こいつらに声を掛けた猫が、本当にカロルだったか、確認しに来たんだが⋯⋯アリーチェ、おまえ確か仲良かったよな。どこにいるか知らねえか?」
グリアムが事の経緯を説明すると、アリーチェはグリアムとギヨームを交互に見やり、知らないと首を横に振って見せた。
「私が怪我してから、絡みがなくなってね。なんか気にして、避けてるのか何だか知らないけど⋯⋯。何でそんな態度を取るのか、私も聞きたかったんだよね。ここに来ればカロルに話聞けるかもって思って来てみたけど、覗いた瞬間いなかったから、また空振りかって感じ。でも、カロルがいないんじゃ、彼も空振り⋯⋯てか、名前は?」
「ギヨームっす」
「ギヨームも踏んだり蹴ったりだね。ギヨームは、そのカロルらしいヤツに会っているんでしょう? その容姿を聞けば分かるんじゃないですか?」
アリーチェの言葉に顔を見合わせ、一同は表情を曇らせる。
「それがさ、この子の会ったカロルの様相って、カロルっぽいんだよね。まぁ、偽者が寄せたんだとは思うんだけど、なんだかモヤるでしょ?」
「カロルっぽいというだけですよね? あの娘が、【ライアークルーク】と繋がっているなんてありえない。ラウラさんも、そう思いますよね? たまたま、【ライアークルーク】がいて、ギヨーム達がだれかと勘違いされただけではないですか?」
「まあね、私もそう思うんだけどさ⋯⋯」
「そうですよ。カロルも、ギヨーム達を待ってたけど来ないから、どっか行っちゃっただけですよ!」
アリーチェの言葉に熱量が増していく。その言葉は、自分自身が納得いく為に必死に紡いでいるかのようにも聞こえた。まるでその熱で、疑心暗鬼な気持ちを消してしまおうと言わんばかりに。
「まぁ、空振りかも知れんが、【ノーヴァアザリア】の名を騙ったヤツがいるって事も知らせたかったんだ。とりあえず、カロルの偽者の件はまた今度だな。オレ達は、先行している【クラウスファミリア】の後を追う。時間取らせて悪かったな」
「いえ! とんでもない。むしろ教えて頂きありがとうございます」
「そうそう。グリアムさん、私も連れて行ってよ。結構、頭来てんだよねぇ」
頭を下げるアザリアの隣で、ラウラは口元だけは笑みを浮かべ、その瞳は鋭さを帯びていた。
「さすがに裏取り出来てない状態で、ラウラを連れて行くのはマズイだろう」
「ちぇ~」
ラウラは珍しくすんなりと引き下がり、そんなラウラの姿を、グリアムは少しばかり意外に感じた。
「こちらも、調べてみます。パーティーを騙る者がいるとなっては、黙ってはいられませんので」
「分かった。こちらも何か進展があれば、伝えよう」
アザリア達と軽く挨拶を交わし、グリアムとギヨームは【クラウスファミリア】の後を追う。
□■□■
「大丈夫か? 少し休憩しよう」
「だ、大丈夫っす⋯⋯」
15階、緩衝地帯へと辿り着いたグリアムとギヨームだが、グリアムの快足に必死に食らいついていたギヨームは、膝に手をつき肩で息をしていた。
良くついて来られたもんだ。それだけこいつも、必死って事だよな。
グリアムは、素直にギヨームに感服していた。
【クラウスファミリア】から遅れること二刻。ヴィヴィやパオラの足を考えれば、相当詰められたはずだ。
焦りは禁物。
グリアムは、焦り逸るであろうギヨームの気持ちを理解しながら、その足を緩めた。
「ほれ」
グリアムは小さな水筒をギヨームに投げ渡す。少し驚きながら、ギヨームは受け取り、一気に喉へと流し込んでいった。
「補給も取っておけ。取れる時に取っておくんだ」
「はい」
ギヨームは素直に頷き、携行食を口に突っ込む。
【ノーヴァアザリア】、しかもリーダー、副リーダーと対等以上に話すグリアムに、ギヨームのグリアムに対する疑念は綺麗さっぱりなくなり、尊敬の念さえ抱いていた。しかも、ここ緩衝地帯までの、スピード感。ついて行くのがやっとの速さと無駄のないナイフ捌きに、崇拝に近い思いを抱いていた。
「あいつらが、先行して探している。焦るなよ」
「はい」
グリアムの目を見て、真っすぐに頷く姿に焦りはないと理解出来た。
しかし、オッタの野郎が言っていた通り、クズのオンパレードだな。
道端にしゃがみ込み、項垂れている潜行者達の姿にグリアムは顔をしかめる。廃れ切った街の雰囲気は、悪化の一途を辿っているのが手に取るように理解でき、不快感が街を侵し始めていた。
グリアムは気を取り直し、素直に補給を取っているギヨームに向き直す。
「深層は初めてか?」
「はい、緩衝地帯も初めて来ました」
「そうか。この先から難易度は急に上がる。無理だと判断したら、早めに言え。おまえは15階に戻って待つんだ、いいな」
ギヨームは、緊張の面持ちで大きく頷く。グリアムはそれを確認すると、16階、深層に向けて歩き始めた。
□■□■
「それらしい人はいませんね」
「若い小柄な犬人と、大柄な男性の二人組って言ってたものね」
サーラとイヴァンは、視線を忙しなく動かしながら、ニコラとジョフリーの姿を求める。
【クラウスファミリア】の足取りは慎重で、見落としがないようにゆっくりと進んでいた。
階層の端からゆっくりと回り、ニコラとジョフリーを探す。地面に転がるモンスターは確認できたが、地面に転がる潜行者は未だ確認していない。確認できたのは、この階層で、いくつものモンスターとの戦闘があった痕跡だけだった。
「いないね、結構見て回ったよね」
「ですね。⋯⋯と言いますか、残っているのは、17階へ向かう正規ルートだけです。師匠達も、ぼちぼち追って来ると思うので、見落としのないように正規ルートで、休憩所を目指しましょう」
「分かった。テール、あなたも一緒に探してね」
ヴィヴィがテールの頭に手を掛けると、頭をクンと上げヴィヴィを見つめた。