その欠片と憧憬 Ⅲ
「お! ジャンがいる、ちょうどいい。おーい! ジャン!」
ルカスはひとりで街を歩いている猫人の青年に声を掛けた。ルカスの呼びかけに振り返ると、少し驚いた顔を見せたがすぐに人懐っこい笑顔を見せる。
「なんだよ! ルカスじゃんか。おまえ、生きてるなら顔くらいたまには見せろよ」
「いやぁ~意外に忙しくてな。今日は博戯走か?」
「いや、今日は練習だ。最近急に人が増えちまってよ、走りづらくて仕方ねえ。おまえ、次はいつ走るんだ? 今、賞金めちゃくちゃ美味しいぞ。賭け金がバカみてえに増えて、賞金も爆増だぜ」
「へぇ~そうなんだ。しかし、何だってこんなに人が増えちまったんだ? 【アイヴァンミストル】の買い取り額が増えただけでこうなってんのか?」
「みたいだぜ。オレは潜行者じゃねえから、詳しく知らねえけど」
ジャンはそう言って、道端でうずくまっている人間に視線を向けた。
「そっか。それで儲けたヤツらが、道端で酔っぱらってんのか」
「多分な⋯⋯詳しく知りたいなら、宿屋の主人にでも聞いてみたらどうだ?」
「そうすっか、サンキューな」
「おう! またな!」
ジャンが颯爽と街中を抜けて行き、ルカス達はいつもの宿屋へと足を向ける。
たしかにパオラの言ってた通り、陽気に騒いでいるヤツがいねえ。裏路地でしゃがみ込み、鬱々とうなだれているだけだ。そいつが、この何とも言えない気持ち悪さに繋がってんのか?
ルカスは街の様子を眺めながら、街から感じる違和を強くしていった。
「よお! 主人! 聞きてえ事があるんだが?」
「ああ? ルカスか⋯⋯悪いが、今日はもう埋まってるぜ。他当たりな」
「へぇー珍しいじゃん、部屋が埋まってるなんてよ」
「へへ⋯⋯ギルド様々だぜ。買い取り額アップの影響で一気に潜行者が増えてな、もっと部屋が欲しいくらいだぜ」
「どうせまた、ぼったくってんだろう」
「人聞き悪い事言うなよ、需要と供給、適正価格ってやつさ」
よほど儲けているのだろう、主人は笑いに堪えられず、だらしなく表情を崩す。
「けっ! 言ってろ。そんなボロ儲けのご主人様よう、道端に転がっている酔っ払い、急に増え過ぎじゃねえ? やっぱ、【アイヴァンミストル】の買い取り額が上がった影響か? あいつら鬱陶しいんだよな」
その言葉にカウンター越しの主人は、ボロ椅子の背もたれに体を預けた。ギイっと、椅子は歪んだ音を鳴らし、主人の表情から笑みが消える。
「あれか⋯⋯」
饒舌だった主人の口は急に重くなり、口元に手を置いたまま黙ってしまった。
「何だよ? どうした?」
「⋯⋯まぁ、なんだ。あんたとは、知らねえ仲じゃねえ⋯⋯興味あるのか?」
「うん? 興味? まぁ、そうなるのか」
怪訝な表情を見せるルカスに、主人は座ったまま斜に構える。その訝る主人の姿に、ルカスは困惑してしまう。
「悪い事は言わねえ。あれは止めておけ」
ルカスは後ろに控えているオッタと軽く視線を交わし、主人に向き直した。
「あんたが今言ったあれってやつの事を教えろ。そいつは何だ?」
「だから、止めろって。オレの優しさだぜ」
会話の噛み合わない感じにルカスは表情を曇らせ、主人はルカスを憐れむ。
何か裏にあるのか? 触れてはいけない、何かアンタッチャブルなものでもあるのか?
主人の言葉に、ルカスは思わず勘ぐってしまう。
「そんなにヤバいのか?」
「あんたが言ったばかりじゃねえか。見たんだろ? 道端でうずくまって動かなくなっちまうんだぞ。あんな物に手を出すもんじゃねえ」
眉間に皺を寄せ、語気を少しばかり強める主人の姿に、ルカスは何かに気が付いた。
「ああ⋯⋯そういう事?! いや、別に手を出したいわけじゃねえよ。原因を知りたいだけだ。“あんな物”って言うって事は、そういった類のものが、やっぱり何かあるんだな。そいつを教えろよ」
「ほれ、やっぱりやりたいんじゃねえか」
「違えよ! 何が出回っている? サッサと教えろや!」
ルカスの噛み合わない困惑は苛立ちへと変わり、口調は一気に荒くなる。
「ルカス落ち着けって。なあ御主人さん、出回っている物を知りたいだけで、別にオレ達がそいつを欲しいわけじゃない。逆に、今後手を出さずに済むように、出回っている物について教えてくれないか?」
オッタが静かに尋ねると、主人も、落ち着きを取り戻した。
「そういう事なら、そう言ってくれよ」
「言ってたじゃねえか!」
「ルカス、落ち着けって。それで?」
主人カウンター越しに顔を寄せ、だれもいないのに辺りを気にするかのように、声を潜める。
「実際の物を見た事はねえが、何か粉薬みてえなもんで、酒に入れて呑むとぶっ飛ぶらしい。ここの三軒先に酒を売っているボロい店がある。そこで手に入るって話だ。ここだけの話、相当儲けていやがるぜ。しかし、何でヤツなんだよ。ウチで捌けりゃあよう⋯⋯まぁ、どういった経緯で、ヤツが手に入れたのか、ぜってぇ口を割らねえんだ。美味しいところを独り占めしてえんだろうな」
「んだよ、ボロい店しかねえじゃねえか」
ルカスが小声で悪態をつくが、オッタは何ごともなかったように扉に手を掛けた。
「時間取らせて悪かったな、ありがとう。ルカス、行くぞ」
店を出ると少し遠めから、主人の教えてくれた店に目を光らせる。
指輪やネックレス、ブレスレットと、嫌味なほど着飾る瘦せこけた店主が、時折訪れる客に高圧的な態度を見せていた。いくら着飾ろうとも、貧相という言葉が一番しっくり来てしまうのは、下世話を後押しする小物臭からかも知れない。
「随分と横暴なお店ですね」
「そうだな。お行儀の良い店なんてここにはねえけど、それでもあれは、なかなかひでぇな」
「オッタ、どうする? つうかさ、そんなに顔突っ込まなくて良くね? 原因は分かった訳だし、放っておけばいいんじぇねえのか」
「そうですよ。ルカスさんの言う通りだと思います。私達に何か出来るとは思えません」
「まあな、そうなんだけどさ⋯⋯」
ルカスとパオラの言葉に、オッタは煮え切らない態度を見せる。
「おまえ、まさか買う気か?」
「いやぁ⋯⋯そこまでは⋯⋯ルカス、おまえの顔は割れているよな。オレがちょっと行って、様子だけ窺ってみる。まぁ、ちょっと話だけでも聞いてみるよ」
「けっ! 物好きが」
「気を付けて下さいね」
オッタはふたりに軽く頷き、店の前にゆっくりと向かった。
「あ? 冷やかしなら帰れよ。こっちは忙しいんだ」
客なんてほとんどいねえのに、忙しくなんてねえだろう。
オッタは店主の言葉に呆れながらも、微笑みを浮かべながら店先に並ぶ酒瓶を覗き込む。
「そう言うなよ。今日はちょっと当たり日でな、いつもより儲かったんだよ。でな、祝杯でも軽くあげようかって話になっているんだが⋯⋯いろいろあって迷うな」
「ほう、そうかい。こいつはどうだ、ウチで一番出ている蒸留酒だぜ。口当たりは滑らかだが、しっかりと重みのある味をしてるぞ」
「へぇ~蒸留酒か、悪くない」
金づると見た途端、分かりやすく態度変えやがって。
オッタは微笑みを湛えたまま、少し大仰に感心して見せた。
「果実酒もエールもある。どれにするよ」
「そうだな⋯⋯手っ取り早く酔えるのはどれになる? やっぱ蒸留酒かい?」
「ほう⋯⋯手っ取り早くね⋯⋯」
食いついたか?
オッタは表情を変えず、勧められた果実酒を手に取る。
「ちなみに、こいつはいくらだ? ん? どうした?」
口元に手を当て真剣な表情を見せる店主に、オッタはわざとらしく首を傾げる。
「簡単に酔うなら、いいのがあるぜ。いくら出せる?」
「いくら? そうだな⋯⋯10万くらいかな。ここは高えからな」
「5⋯⋯7万ルドラで、果実酒とセットでぶっ飛べるいいもん付けてやるよ」
「果実酒が、7万ルドラ? ここの相場だってそんなしねえだろう?」
「簡単に酔いてぇんだろう? 効果は保証するぞ」
オッタは逡巡する素振りを見せ、店主はその姿を勝ち誇ったかのように口端を上げながら見つめていた。
宿屋の主人が言っていた通り、コイツが売人か。趣味の悪い宝飾品も、儲けた金を使って買い漁ったのか? しかし、こうも簡単に話が進むとは⋯⋯。
ま、緩衝地帯で何をしようが、ギルドの目が届かず、お咎めを食う事がないと分かっていれば、堂々と売り捌くか。
オッタは店主に満面の笑みを見せる。
「あ! 手持ちが足りん。一端、仲間のところに戻って、金取ってくるわぁ」
「モタモタしてると、売り切れるからな」
「分かったよ」
オッタは最後まで笑顔を絶やさず店をあとにすると、遠目から様子を窺っていたルカスとパオラに合流した。
「どうだった?」
「宿屋の主人が、言っていた通りだ。500ルドラの価値しかない酒とセットで7万だと」
「な、7万ルドラ!」
パオラが金額に目を白黒させる姿に、オッタは思わず吹き出してしまう。
「フッ⋯⋯ぼったくりが基本のここでもなかなかの金額だ。知りたい事は知れた、帰ろうぜ。もうここで出来る事はねえさ」
少しだけ後ろ髪を引かれる思いを残しながら、一同は地上を目指して街中をゆっくりと抜けて行った。