その追憶と託された者達 Ⅲ
「あ! そうだ! これをパオラさんにお渡ししておきますね」
サーラはそう言って、腰のポーチから布切れを慎重に取り出し、パオラにそっと手渡した。パオラは首を傾げながらも、その手の上にある布切れをゆっくりと開いていく。そこには、ひと房の緑髪が綺麗に束ねられており、それが何であるかすぐに理解した。
「これって⋯⋯」
「ごめんなさい。それだけしか、連れて帰れなくて」
「いいえ! とっても嬉しいです。ありがとうございます」
申し訳なさそうな顔のサーラに、パオラは何度も首を横に振り、笑顔で感謝を述べた。
ほんの一部とはいえ、大切な人が戻って来たことに喜びを隠せないパオラは、胸の前でベアトリを抱きしめ続ける。ベアトリとの思い出が、パオラの中で走馬燈のように頭を巡り、つい先日の出来事さえ、遠い日の出来事のように感じ、懐かしささえ感じてしまう。
「ベアトリはね、15階にいるんだよ。今度、一緒に行こうよ」
ヴィヴィがパオラの肩に手を掛けると、パオラは少し驚いた顔を見せた。
「お師匠様は、緩衝地帯まで辿り着けたのですか⋯⋯」
「ううん。みんなで運んだんだ」
「そうですか⋯⋯お師匠様に代わって、お礼を言わせて下さい。みなさん、ありがとうございました」
申し訳なさそうに俯くヴィヴィに、パオラが丁寧に頭を下げると、一同は顔を見合わせ、照れくさいような何とも言えない表情を見せ合った。
「パオラ、近いうちにこいつらと墓参りに行くといい。サーラとルカスのリハビリがてら、おまえらパオラと潜って来いよ」
グリアムのひと言に皆が頷き、パオラも満面の笑みを見せる。
「ぜひ! お願いします」
「あんたは潜らないのか?」
オッタがグリアムに向くと、グリアムは肩をすくめて見せた。
「さすがに15階なら、おまえらだけで問題あるまい。オレは、こいつの確認に行って来る」
グリアムはそう言うと、鍵の入っているもう一通の封書を振って見せた。
「何て書いてあるんだ?」
「読むか?」
グリアムがオッタに手紙を渡すと、オッタの背中越しに全員がその手紙を覗き込んだ。
—————— これは私からみんなへのプレゼント。
我が家の離れにある小屋の鍵だよ。きっと役に立つからさ、まぁ、上手い事使ってよ ——————
「これだけですか?」
イヴァンが覗き込みながら、あまりにもあっさりとした文面に、拍子抜けしてしまう。他の者達もイヴァンと同じく、結局この鍵が何であるのか分からず悶々としていた。
「ま、あいつのやる事なんて、考えるだけ無駄だ。おまえらが潜っている時に、ちと行って来る」
「分かりました。あ、そうだ! グリアムさん、パオラの昇級も一緒に狙っていいですか?」
「ああ? ベアトリと潜ってたんだろう。おまえが問題ないと判断すれば、昇級させちまっていいんじゃねえか」
イヴァンは、グリアムの言葉に大きく頷いた。
ベアトリの死によって沈んでいたパーティーの空気が、パオラの登場によって変わっていくのをだれもが感じ取る。ゆっくりと、だが確実にネガティブな空気は薄らぎ、代わりにポジティブな空気がパーティーに流れ始めた。
あの野郎、死んでも引っ掻き回しやがって。
笑顔の戻った居間を見つめるグリアムの口元にも、自然に笑みが戻っていた。
□■□■
15階を目指す【クラウスファミリア(クラウスの家族)】のパーティーと分かれ、グリアムはひとりベアトリの家を目指す。街道を逸れ、森の中をひとり進んでいた。
本当にこんな所にあんのかよ?
パオラに教えて貰った目印を頼りに森の中を進んで行くと、こぢんまりとした小屋が二棟、忽然と現れた。街の喧騒などまったく届かない、森の深部にこんな家があるとはだれも思わないだろう。主を失った家はどことなく寂しげに映り、グリアムは無意識に嘆息してしまった。
さて、どっちだ?
二棟の大きさはさほど変わらない。グリアムは二棟を見比べ、少しだけ小さな方の小屋の扉に、預かった鍵を差し込んだ。
ビンゴ!
カチャっと鍵は簡単に回り、グリアムはゆっくりと扉を開いていく。
窓から射し込む日差しが、部屋の中央を照らし、雑然としていながらも手入れが行き届いた部屋を浮かび上がらせていた。
部屋を囲むように本棚にはびっしりと本が並び、窓の下には備え付けのテーブルがあり、調合しかけの薬草がすり鉢の中で干からびている。
主を失ったあの時から、時間が止まっているのだろうか。
ただ、埃のあまりない部屋を見ると、パオラがしっかり管理していたのが分かる。
本棚から適当に本を抜いて、パラパラとめくる。魔術関連の本が多く見られるが、薬草、調剤、ダンジョンなど様々なジャンルの本が並んでいた。
この本を上手い事使えって事なのか?
確かに個人の書庫としては十分過ぎるほどだが、ギルドの書庫に行けば事足りるよな。
グリアムは本を戻しながら、また部屋を物色する。本棚の隣に並ぶ扉付きの棚を開けると、ふわっと、いろいろなハーブの匂いが混じり合いながら鼻孔をくすぐった。ハーブの種類ごとにしっかりと保管されており、いい加減な性格のベアトリを思い出し、グリアムは首を傾げた。
あいつが整理整頓していた? いや、パオラか⋯⋯。
だとしたら、ベアトリが託した物が何であるか、パオラは知っていそうなものだが、何も言わなかったな。そもそも、知っている素振りもなかった。
喧騒から遠く離れた静かな小屋に、コツコツと床を叩くグリアムの足音だけが響く。グリアムはまた本棚や棚を見返していき、何か見落としたものがないか覗き込んでいった。
コン。
うん?
部屋の真ん中辺り、足から響く音が変わる。
コツ、コツ⋯⋯コン。
床を軽く蹴っていき、コンと響いた音を鳴らす床を凝視した。その響きから、床下に何か空洞らしきものがあるように感じ、グリアムはしゃがみ込み、床を舐めるように覗き込む。
こいつは⋯⋯。
床板に僅かな凹みを見つけ、グリアムはそこに指を掛け、床板を引き上げた。
そこに現れたのは、人ひとり通るのがやっとの穴。グリアムはその穴から、床下を覗き込む。
暗くて、良く見えんな。
顔を上げると、棚の上にあるランプを見つけ、すぐに火を灯した。そのほのかな灯りを頼りに床下を再度覗き込むと、目を見開く。
あの野郎⋯⋯。
床下には天井の低い部屋が広がっており、グリアムはすぐに床下の倉庫部屋へとつながる梯子を下りて行った。
頭を屈めながら乱雑に積まれている倉庫部屋を見回す。上階と違い、手入れがされていない部屋は埃っぽく、お世辞にも綺麗とは言えなかった。
「なるほどね⋯⋯」
グリアムは思わず口から言葉が零れ落ちてしまう。
顎に手を置き、少しだけ逡巡する姿を見せると、その中のひとつに手を伸ばし、床下部屋をあとにした。
□■□■
「ただいま戻りました」
イヴァンを先頭に、パーティーが本拠地の居間へと現れる。
ソファーでだらけていたグリアムは一瞥だけして、またソファーにだらしなく体を預けた。
「師匠、鍵の件はどうでした?」
サーラは開口一番、目を爛々と輝かせながら好奇心を隠せない。
グリアムはゆっくりと体を起こし、帰還したばかりのパーティーを見渡した。
「そっちはどうだったんだ?」
「ばっちりでした。トラブルもなく簡単に緩衝地帯に辿り着けましたよ」
「そうか」
サーラの言葉にグリアムが軽く頷くと、イヴァンが続ける。
「パオラの昇級も、問題ありませんでした。17階までは潜った事があるそうです。先日のオッタも含めて、みんなC級に無事上がりました」
「そうか⋯⋯次はB級か⋯⋯」
「また準備して、次こそ20階ですかね」
「そうだな⋯⋯まぁ、そうだな」
少し歯切れの悪いグリアムを、イヴァンは不思議に思いながらも頷いた。
「それで師匠、鍵の方は⋯⋯」
「ああ! そうだったな⋯⋯ほれ⋯⋯」
グリアムはサーラに答えながら、テーブルの上に大きな酒瓶を一本、ドンと置く。
全員の視線が一斉にその瓶に注ぎ、そして笑顔を見せ合った。
「さすが、ベアトリさん。期待を裏切りませんね」
「ですね」
イヴァンが納得の笑みを見せると、サーラもそれに釣られ破顔する。
「私、呑めないよ~。パオラも呑めないでしょう?」
「いえ⋯⋯私は⋯⋯」
「まぁ、堅いこと言うな、せっかくだ。パオラの昇級の祝いをベアトリが寄越したと思って、みんなで空けようじゃないか」
「オッタってお酒好きだよね」
「普通だろう」
膨れるヴィヴィの事などお構いなしに、オッタはベアトリの酒を開けていく。
熟成された酸味と甘味を感じる芳醇な香りが、酒瓶の口から溢れ出す。
「あいつにしては悪くない選択だ」
グリアムはそう言って、カップを差し出した。