その追憶と託された者達 Ⅱ
「ただいま、戻り⋯⋯あれ?? マノンさん、この方は?」
玄関を塞いでいる見知らぬブロッコリー頭の女の子を見下ろしながら、退院して来たサーラは開口一番、驚きを見せた。
「こちらはパオラさんです」
「は、初めまして! パオラレナ・カルツォーラーリ! です⋯⋯」
「は、はい! 初めまして! サーラ・アムです!」
何故かサーラは気をつけの姿勢になりながら、パオラに深々とお辞儀して見せた。互いに名乗ったものの、だれもこの状況を理解できていない。だれかが口を開くのを待ち、互いに様子を見てしまい、玄関に無音の時間が流れて行く。
そして、サーラとマノンの思いは同じ⋯⋯。
で、どなた様??
緑髪のミニアフロを見下ろしながら、困惑を深めるサーラとマノンのふたりに、パオラはぎこちない笑顔を作り続ける。
「あ、あのですね、グリアム・ローデン様が、こちらにいらっしゃると伺って、お訪ねしたのですが⋯⋯」
「ああ! 師匠のお知り合いなのですね」
「それなら早く言って下されば⋯⋯、中へどうぞ」
グリアムの名が出た事に、サーラとマノンの肩の力が一気に抜け、パオラを居間へと案内する。
「グリアムさん! お客様です、パオラさんがいらしてますよ。パオラさん、どうぞ中へお入りください」
マノンは扉を開けるなり、グリアムに声を掛けた。
パオラ??
グリアムは、まったく聞き覚えのない名に、ソファーでだらけていた顔を上げ、扉に視線を向ける。そこにいる小さなエルフに、見覚えは一切なく、居間に困惑が渦巻いていった。
「だれだ? あんた」
「パオラレナ・カルツォーラーリ⋯⋯です!」
「お、おう⋯⋯?」
「師匠、お忘れですか?」
「お忘れつうか⋯⋯オレ、どっかで、あんたに会った事あるか?」
「ありません!」
直立不動で元気良く答えるパオラに、グリアムだけでなく、サーラもマノンも盛大に首を傾げた。
「おっと! お客さん?」
困惑深まる居間にオッタとルカスも、裏庭で行っていたトレーニングから戻って来ると、微妙な空気が流れる部屋の雰囲気に困惑を見せる。
「お疲れ様、こちらはパオラさん。グリアムさんの知り合いだそうですよ」
「へぇー、おっさんの知り合いか」
「なんだ、グリアムの子じゃないのか?」
「んなわけねえだろう」
「そんな事ないだろう? あんたの年齢を考えれば、このくらいの年の子がいたっておかしくないだろう」
「だいたいそいつはエルフだぞ、見れば違うって一発で分かるだろう」
「そうか?」
イヴァンの説明にも、あまり興味を示さないルカスは乱暴にソファーに体を預け、カップの水を一気に飲み干し、オッタは必死に否定するグリアムをからかうように微笑んだ。
「まぁまぁ、パオラも突っ立ってないで、こっちに座りなよ」
「はひっ! 失礼します⋯⋯このワンコは噛まないですか? 大丈夫ですか?」
「うん? テール? うひっ! どうかなぁ~」
「ひ、ひぃー」
「ヴィヴィ、客で遊ぶな」
「はーい。でも、何でパオラはグリアムの事知っているのに、グリアムはパオラの事知らないの?」
「何でって言われてもな⋯⋯」
グリアムが視線をパオラに向けると、みんなの視線もパオラに一斉に向けられた。ただでさえ体が小さいパオラはソファーの上で、さらに小さくなってしまう。だが、ハッと何かを思い出し、懐から二通の封書を取り出した。
「こ、これです⋯⋯お師匠様から、グリアム様宛にこちらを預かっています」
「師匠? オレ宛?」
グリアムは怪訝な表情で、パオラから二通の便箋を受け取った。一通は手紙、もう一通には手紙と鍵が入っている。訳が分からないまま、グリアムは手紙を広げていった。
「お師匠様が、“もし、自分に何かあった場合、【クラウスファミリア(クラウスの家族)】の本拠地に行って、この手紙をグリアム・ローデンに渡しなさい”と言われておりまして、突然お邪魔してしまいました」
もし、自分に何かあった場合⋯⋯その言葉に、一同の表情が一気に硬くなった。思い当たる節は、ただひとり。皆が同じ顔を思い出す。
「師匠って、もしかしてベアトリか?」
「はい。ベアトリーチェ・ ディバーニャ様です」
パオラはここに来て初めて柔らかな笑みを見せた。それと同時に弛緩しかけていた部屋の空気が、一気に緊張を帯びた。グリアムが手紙に目を通そうと広げていくと、一同はグリアムの背中越しにその手紙を覗き込んでいく。
———やぁ、グリアムくん。
この手紙を読んでいるって事は、私は死んじゃったね。
これもまた運命だと、ちょっとカッコつけさせてよ。
いきなり現れたパオラにびっくりした? この娘の事は何も話してなかったからね。まぁ、私からのちょっとしたサプライズだよ。
パオラは、私と違って臆病だからちょっと心配だったんだけど、【クラウスファミリア】と出会えた事は、私にとって僥倖だった。やっとこの娘を預けられる、信頼出来るパーティーを見つける事が出来たからね。
パオラは私以上の治療師になれる素質の持ち主。この私が言うんだから間違いない。
きっと君達の力になるはず。
だから、出来ればこの娘を仲間に入れてやってはくれないか? 君が鍛えてくれれば、世界一の治療師になるのだって、夢物語じゃない。
信頼出来る君に最後のお願いだよ——————
手紙を読み終えると、また一斉にパオラに視線を向ける。“へへ⋯⋯”と少し照れて見せると、パオラはまた俯いてしまう。そんなパオラから、ベアトリが言うような凄い治療師だという雰囲気は一切感じない。
「パオラさんは、ベアトリさんのお弟子さんだったんですね。師匠が亡くなってしまうなんて、さぞ辛かったでしょう⋯⋯」
「はい。ただ、もうお別れはそう遠くない未来にあると聞かされていたので⋯⋯心の準備はしておきなさいと言われていました」
パオラはまっすぐサーラに向いて答えると、そのまま天井を見上げた。それは、涙が零れ落ちないようにと、ささやかな抵抗でもあった。
「お師匠様から、自分が死んでも泣かれないのは悲しいから三日三晩泣いたら、あとは笑って過ごしなさいと言われていました。ずっと泣かれるのは、それはそれで鬱陶しいって⋯⋯」
「ベアトリさんらしいですね」
パオラの涙につられサーラの目からも涙が零れ落ち、ヴィヴィやマノンもそれにつられて、涙を零した。
イヴァンやオッタも神妙な面持ちで、パオラの言葉に耳を傾け、いつも憎まれ口でやかましい、ルカスですら大人しくしている。表にはあまり出さないが、ベアトリの死後一番変わったのはルカスかも知れない。オッタを誘い、毎日のように裏庭でトレーニングに励んでいた。その姿は、不甲斐なかった自分を悔いているようにも見え、皆、黙ってその様子を見守っている。
「んで、イヴァン。どうする?」
「どうすると言われても⋯⋯ベアトリさんの推薦ですし、パオラがイヤでないのなら、こちらからお願いしたいくらいですよ」
グリアムの問い掛けにイヴァンが答えると、パオラからようやく緊張が解けていった。
「本当ですか! ぜひ、お願いします! 頑張ります!」
パオラは満面の笑みで頭を下げる。ベアトリの一件以来ずっと重かったパーティーの空気に変化が訪れ、一同の表情から笑みが零れた。
「パオラさんは、どうやってベアトリさんとお知り合いになられたのですか?」
「私は、こんなエルフらしくない見た目なので、エルフの郷で爪弾きになっていました。いつも森の端で大人しく過ごしていたのですけど、ある時ベロベロに酔っ払ったお師匠様と出会いまして、介抱しているうちに一緒に暮らすようになって⋯⋯いろいろ教えて貰いました。滅茶苦茶な所もいっぱいあったのですけど⋯⋯とても優しさに溢れた方でした⋯⋯グス⋯⋯」
パオラは零れ落ちそうな涙を必死に堪え、サーラに笑顔を向ける。
「お酒大好きでしたものね、このソファーで良く寝ていらっしゃいました。何をお出ししても美味しいって、笑顔で言ってくれて⋯⋯魅力溢れる素敵な方でしたね」
「はい⋯⋯」
マノンが笑顔を見せると、パオラは大きく頷いて見せた。
「パオラはダンジョンに潜った事あるの?」
「はい、あります。よくお師匠様と下層を探索していました」
「て、事は級は⋯⋯」
「まだD級です。イヴァン様は、B級ですよね。お師匠様から聞いてます」
「僕達に“様”はいらないよ。そっか⋯⋯ベアトリさん、僕達の話をしてくれてたんだ」
「分かりました、イヴァンさ⋯⋯ん。最近はこちらにいる事が多かったですけど、帰ってこられた時は、よくお話しをされてましたよ。とても楽し気に話す姿が、印象的でした。あんな楽しそうなお師匠様、初めて見たかも知れません」
「そっか⋯⋯でも、もっと早くパオラの事教えてくれても良かったのにね」
「どうなんでしょうか? そこは私には分かりませんね。でもきっと、お師匠様に何か考えがあったのではないかと思います」
「ねえよ。やつの事だ、酔っぱらって、言うのをいつも忘れてただけだ」
グリアムが、イヴァンとパオラに口を挟むとふたりは揃って苦笑いを浮かべた。