その惨劇の代償 Ⅹ
グリアムは振り下ろされる鋭利な爪を掻い潜り、ライカンスロープの懐へと潜り込んで行く。懐へと飛び込むグリアムの速さは、振り下ろすライカンスロープの爪を凌駕し、鋭利な爪は虚しく空を切った。
グリアムの鋭い視線が、見下ろすライカンスロープの視線とぶつかり合う。だが、ライカンスロープは、グリアムの圧に思わず視線をそらしてしまう。
ダセェな! おい! テメェの命貰うぞ。
グリアムのナイフが、ライカンスロープの顎を狙い振り上げられた。ライカンスロープは、振り上がるナイフから顔を守ろうと、反射的に顎を腕で隠す。
振り抜くグリアムのナイフが、ライカンスロープの腕を捉える。肉にめり込む刃の感触に、グリアムは腕に力を込めた。グリアムのナイフが、血飛沫を上げながら振り抜かれる。
ライカンスロープの腕から、血が噴水のように噴き上がり、斬られた腕は地面に転がった。
ライカンスロープは混乱を見せ、何が起きたのか理解出来ない。落ちた片腕を一瞥すると、ライカンスロープは、混乱と怒りの矛先をグリアムへ向けた。
チッ! 顎に届かなかったか⋯⋯鳴かれるとヤバいんだよ。もう、魔狼の群れに対峙する力は、もうこのパーティーに残ってねえ⋯⋯。
顔をしかめるグリアムに、ライカンスロープは敵意を剥き出しに低く唸ると、天井を見上げた。
『ガルゥゥゥ⋯⋯アオー⋯⋯』
クソ! 鳴かれた!
「ハァーッ!」
懐に潜り込んでいるグリアムの頭上を、イヴァンの鋭い切っ先がすり抜けた。イヴァンがグリアムの頭上を越えて、ライカンスロープへ飛び込んで行き、遠吠えしようと無防備になった下顎へ切っ先を向ける。
『フシュゥ⋯⋯ブフゥ⋯⋯』
下顎から鼻に向かって、イヴァンの切っ先が貫いた。血濡れたイヴァンの刃が鼻先から突き出し、穴の開けられたライカンスロープの口からは、空気が漏れ、ライカンスロープは鳴き声にならない声を上げていた。
ジロリとライカンスロープが、懐のグリアムを見下ろすと、大きな足がグリアムのみぞおちを狙い蹴り上げていく。
ガツッ!
グリアムは、それを読んでいたかのように足先の爪をナイフで止めた。両手で握るナイフは、しっかりとそれを受け止めると、イヴァンと共に後ろへ跳ねる。一度距離を置き、血塗れのライカンスロープと睨みあった。
ライカンスロープから強者の圧は消え失せる。腕からも口からも、止めどない激しい出血に、ライカンスロープは全身を血で汚す。それでも、満身創痍のライカンスロープは犬歯を剥き出し、折れない敵意を剥き出しにした。
「イヴァン、やっちまえ」
「はい」
グリアムが声を掛けると、イヴァンは両手でしっかりと剣を握り直し、ライカンスロープへ再び飛び込む。
「ハァーッ!」
振り下ろされるライカンスロープの爪にイヴァンが身をかがめると、その爪はイヴァンの頭上をすり抜けて行く。振り上げられるライカンスロープの足がイヴァンの目に映り、それに合わせて上へと跳ねた。
首元を狙うイヴァンの刃が、ライカンスロープの首に食い込んで行く。その刃に、目を剥くライカンスロープ。だが、イヴァンの目には、刃の食い込むライカンスロープの首しか映っていない。
イヴァンの刃が、ライカンスロープの首元を振り抜いた。
ライカンスロープの動きは緩慢になり、赤い瞳から生気は一気に抜け落ちる。そして、ゆっくりと、ライカンスロープの頭が地面に転がり、戦いの終わりを告げた。
□■
「ルカス! 立て!」
「⋯⋯分かってるって」
ルカスは、オッタの檄に意地を見せ、体を無理やり起こしていく。悪態をつく体力すらルカスには残っておらず、気力だけでなんとか体を動かしていた。
オッタの槍が魔狼の輪を破ろうと突き続ける。ルカスもテールも、オッタに続けと最後の力を振り絞り、魔狼に対峙した。
気力を振り絞り、魔狼の輪を必死に解いていく。ルカスは剣を振り、テールも牙を向け、襲い掛かる魔狼の牙と爪に抗った。
オッタの槍は、ルカスとテールを守りながら魔狼の眉間を正確に貫き続ける。ルカスとテールの足掻き、そしてオッタの槍が、囲んでいた魔狼の輪に綻びを生む。
よし!
一端、解け始めれば脆いもので、オッタの槍に勢いが増していく。その勢いが、ルカスとテールの背を押し、最後の足掻きを見せる。
魔狼の躯が地面を覆いつくす中、最後の一匹がオッタの槍に沈む。それを確認すると、ルカスは膝から崩れ落ちてしまった。
「おっと! 大丈夫か?」
「⋯⋯問題ねえよ。だが、少しだけ休ませろよな」
「分かった、とりあえず下がるぞ。テール、おまえも良くやったな」
オッタが崩れ落ちそうになるルカスの腕を掴み、そしてテールの頭を撫でていった。
□■
戦いが終わり、満身創痍のパーティーは互いの顔を見やった。
安心感は、一気に体の力を奪い取り、サーラとルカスは地面に横たわる。束の間の休息を、パーティーはようやく得る事が出来た。だが一時の安堵を得ても、明るい表情を見せるメンバーはだれひとりいない。
思っている以上に傷が深いサーラとルカスに、ヴィヴィが回復薬を飲ませながら、ふたりの回復を図っていく。地面に横たわるふたりは、見るからに辛そうな表情を見せ、パーティーはしばらくの間、足を止めるしかなかった。
「あんた達、やるじゃねえか! すげーよ! やるとは思ってたけど、ここまでとは思わなかったぜ!」
「ああ、本当にな」
饒舌なのは、ずっとガタガタ震えていた【ライアークルーク(賢い噓つき)】のふたりだけで、絶望していた表情は消え去り、ふたりは揃って明るい表情を見せる。グリアムはそんなふたりに、苛立ちを隠さず睨みつけた。
「チッ! うるせえな。現金なヤツらだぜ。おい、ヴィヴィ、サーラとルカスの傷が思ったよりひでぇ。ベアトリを起こせ」
「分かった」
「しかし、よくもまぁ、深層でグースカ寝れるよな。肝が据わってんだか何だか⋯⋯駆け出しのパーティーを信頼し過ぎだろう」
「ねえ、グリアム。ベアトリが起きない⋯⋯」
「はぁ? 結構寝たんだろう?」
「だって、起きないよ」
「まったく、しょうがねえな⋯⋯おい、ベアトリ起きろって。ヒールくれ。おい⋯⋯」
グリアムは寝ているベアトリの側にしゃがみ込むと、頬を軽く叩いた。何の反応も見せないベアトリに、グリアムの表情は曇っていく。ベアトリの白く細い繊細な首元に、グリアムはそっと手を当てた。その様子をパーティーは、少し不可解に思いながらも黙って見つめる。微笑みを浮かべ眠るベアトリを、グリアムは黙って見つめていた。
クソ⋯⋯何やってんだよ。
グリアムはベアトリの首元から手を外し、眠るベアトリを見つめる。
悔恨と嘆きがグリアムの心を掻き乱そうと襲い掛かるが、それを無理やり抑え込んだ。脳裏にフラッシュバックするベアトリとの思い出を掻き消し、頭の中をクリアーにしていく。
いろいろと、まだやんねえとなんだよ、悪いな。
落ち着いたらゆっくり⋯⋯な⋯⋯。
グリアムは何も言わずにベアトリの首元にあるタグを引き千切った。
イヴァンとヴィヴィがその行動に目を剥く。それが何を意味しているのか、ふたりはすぐに理解する。サーラとルカスは、横たわりながらその光景をぼんやり見つめる事しか出来ない。それでも掠れ気味の意識の中で、嘆きと悲しみはふたりを襲う。
オッタはその光景を冷静に見つめているが、その瞳には、深い憂いが見え隠れしていた。
「だって、ヒールで⋯⋯治って⋯⋯だって⋯⋯」
ヴィヴィの言葉は涙に飲まれ、声にならない。零れ落ちるヴィヴィの涙が、次々と地面に吸い込まれていく。
「ベアトリさん⋯⋯」
イヴァンは悔しさから唇噛み、体を震わせた。
パーティーは深い悲しみに覆われ、消えない後悔を嘆き続ける。