その惨劇の代償 Ⅷ
足を引き摺るライカンスロープに、イヴァンが剣を振り下ろす。鋭利な爪がその刃を簡単に弾くと、金属片のような爪は、イヴァンを引き裂こうと足掻くかのように振り下ろされた。イヴァンの刃が、振り下ろされる爪に抗う。だが、刃物のような爪先は、抗うイヴァンの刃をすり抜け、腕の肉を削ぐように抉った。
「くっ!」
「リーダー!」
「大丈夫、かすり傷だよ」
二の腕の浅くない傷から止めどなく血を流しながらも、イヴァンはライカンスロープを睨み続けた。足が折れていると思えないほど鋭い動きを見せたライカンスロープに、ふたりは嘘を確信する。そんなふたりに対し、ライカンスロープは斬り裂けなかった苛立ちからなのか、低く唸りを上げ、犬歯を剥き出しにした。
イヴァンが再び剣を振り下ろす。ライカンスロープの爪と激しく切り結び、刃からは火花が散った。金属がぶつかり合うような甲高い音をダンジョンに響かせ、激しいイヴァンの息遣いは、その音に掻き消されてしまう。
「ハァッ!」
イヴァンの刃の合間を縫い、サーラは拳を突き上げ、蹴り上げる。イヴァンとサーラ、ふたりの止まることのない攻撃は、ライカンスロープを壁際へと追い込んで行った。
ライカンスロープの背中が、壁に遮られる。
逃げ場を失ったライカンスロープを、イヴァンとサーラはさらに追い込んでいく。
イヴァンとサーラに焦りも驕りもない。
ライカンスロープとの距離をゆっくり詰めて行き、自分達の距離へと持っていく。
これで決める。
ここで決まる。
ふたりの思いは同じ、剣を握る手に力を籠め、拳を強く握り直す。イヴァンは剣を振り下ろし、サーラは拳を振り抜く。
ガキッ!
ライカンスロープの鋭利な爪はイヴァンの刃を再び弾き、サーラの拳はライカンスロープの手にがっちりと握られていた。
え?
サーラは困惑から目を見開く。何が起こったのか把握するより早く、ミシっとサーラの拳から、何かが潰れる音が響き、そしてサーラの視界は激しく揺れる。
「あがっ!!」
サーラは全身を駆け巡る痛みに顔を歪めた。
イヴァンの目に映ったのは、棒切れのように振り回されるサーラの姿。
壁へと打ち付けたサーラをライカンスロープが、ズルズルと地面を引き摺り、イヴァンへゆっくりと迫る。悠々と近づくライカンスロープの姿から感じるのは、強者の圧。イヴァンの体は対峙した強者の圧に、萎縮し、思考は混乱してしまう。
まさか、これを狙って壁際に?
地面を引き摺られるサーラの姿が映り、イヴァンは飛び込む事を躊躇した。
イヴァンが戸惑いと困惑の渦中、サーラは背中からの激しい衝撃に、意識は黒く塗り潰され、目を閉じたまま引き摺られていた。ズルっと引き摺られる嫌な感覚と、体が弾け飛んだのではないかというほどの痛みに、サーラの意識はゆっくり覚醒していく。
「サーラ!」
「ぅ⋯⋯」
イヴァンの叫びに、サーラは反応出来ない。痛みによって覚醒した意識は、厚い膜が張ったようにぼんやりしていた。
一体自分の身に何が起きているのか⋯⋯。
引き摺られているサーラが理解する事など出来る訳がなかった。
飛び込もうとするイヴァンに、ライカンスロープはサーラを振り回す。そしてまた、サーラの背中を壁へと打ち付けられ、覚醒しかけた意識は、また黒く塗りつぶされた。
意識のないサーラの体は、魂のない人形のように、ライカンスロープの思うがままに振り回されてしまう。
「くっ⋯⋯サーラを放せ!」
どうする?! どうすればいい⋯⋯。
イヴァンの焦りは、思考を鈍らせる。
サーラを助けるべきか、ライカンスロープを倒すべきか⋯⋯。
そんなイヴァンの迷いが、隙を生む。大上段に構えたサーラを、ライカンスロープはイヴァンへと振り下ろす。まるで棒切れでも振るかのように、サーラが棒立ちのイヴァンへと振り下ろされる。
どうする!?
これを避ければ、ライカンスロープに隙が生まれる⋯⋯。
でも、避けたらサーラは地面に⋯⋯。
イヴァンの思考は停止し、振り下ろされるサーラを凝視していた。
□■
ルカスに襲い掛かる魔狼の大群。切り捨てても、切り捨てても、その勢いは一向に衰えない。
ルカスの剣の隙間を縫い、群れから飛び出そうとする魔狼に、ルカスの切っ先が眉間を貫く。
「行かすかよ! ⋯⋯クソが!」
魔狼の牙が、ルカスの足に食い込み顔をしかめる。体の傷はねずみ算式に増えて行き、尽きかけた体力が悲鳴を上げた。両足を支えていた気力を、魔狼の牙が奪っていく。先の見えない戦いが、気力ごと肉を削り取っていく。
「野郎!」
ルカスが剣を突き下ろすと、足に食い込んでいた牙から力が抜け、魔狼は地面に崩れ落ちる。だが、すぐに次の牙がルカスを襲う。ルカスが再び剣を振り下ろす。迫る魔狼の脳天にその切っ先を突き刺した。
しまった!
ルカスが顔を上げた瞬間、魔狼が、ライカンスロープの元へと飛び出す。ルカスは剣先を伸ばすが、それを嘲笑うかのように魔狼の体はそれをすり抜けた。後を追おうと、ルカスは足に力を籠めるが、激痛が体を通り抜け、足から力を奪い取る。魔狼の爪や牙は、焦燥に駆られるルカスを、休みなく狙い続け力の入らぬ足に追い討ちを掛けた。
『ガアッ!』
飛び出した魔狼の喉を、テールが噛み切る。ルカスと同じく輝く白銀毛は土埃と血で赤黒く汚れ、ボロボロの姿を晒しながらも、テールはルカスと共に魔狼の大群に抗った。
「テール! こいつらを、ぜってぇー向こうに行かすな。何があってもここで止めろよ」
ライカンスロープの力は、身をもって知っている。
一匹たりとも合流させてはいけない。
その思いにルカスは、剣を強く握り直す。
ルカスの剣が、迫る爪を斬り落とし、喉元を狙う牙に切っ先を突き刺した。
飛び出そうとする魔狼の頭を、テールが叩き潰し、喉元を掻き切る。
魔狼の爪はルカスの肉を削ぎ、牙はテールの足に喰らいつく。ルカスとテールはそれを振りほどき、剣を突き刺し、頭を潰していく。終わらない牙と爪の乱舞に、踊らされぬよう、ルカスとテールは抗った。
「おい! テール! へばってんのか!? ダッセえな!」
『ガァッー!』
「ハッ! やれば出来るじゃねえか!」
テールに向けた言葉は、ルカス自身に向けた言葉でもある。気力を振り絞り、剣を握る力へと変えていく。だが、魔狼の大群は、ルカスとテールを取り囲む。群れとして、厄介なルカスとテールを狩ると、赤い瞳を一斉に向けた。
ルカスとテールを囲む魔狼の輪が、徐々に小さくなっていく。前にも後ろにも、もちろん横にも逃げ場はない。じりじりと狭まる魔狼の輪に、ルカスは覚悟を決める。
「テール、やりやすくなったんじゃね? こいつら、飛び出すの止めたみてえだ、ラッキー」
強がるルカスが、魔狼の輪を睨みながら口端を上げた。
『グルゥゥゥゥ⋯⋯』
テールもルカスに呼応し、魔狼の輪を睨みながら低く唸りを上げる。
「来るぞ!」
『『『ガァウッ! ガァウッ! ガァウッ!』』』
輪の中へと魔狼が次々と飛び込んで来た。血走った目は、ルカスとテールしか見ておらず、魔狼は我先にと、獲物に食らいついて行く。