その惨劇の代償 Ⅶ
「こいつを借りるぞ」
グリアムの元へと急ぐオッタの手が、ベアトリの傍らに転がる鎌槍へ伸びた。ベアトリの返事を待たず、鎌槍を手にするオッタは、そのままグリアムの元へと急ぐ。
「オッタ、お願い!」
ヴィヴィの声はオッタに聞こえたかどうかは分からない。オッタの背中を見つめ、祈る事しか出来ない自分を、今一度もどかしく感じてしまった。
チッ! 間に合わなかったか⋯⋯ヤバいな。
先を急ぐオッタの目に映るのは、魔狼の群れにひとり飛び込むグリアムの姿。グリアムは、自らが防波堤となり、魔狼の波を堰き止める。
止まる事のないグリアムのナイフ、そして止まることのない魔狼の牙。グリアムは、自身に食らいつく魔狼を振りほどこうともせず、ヴィヴィ達を狙う魔狼にナイフを突き立てていく。
「すまん! 遅くなった」
「オッタ、一瞬だけ代わってくれ!」
グリアムの首元を狙う魔狼の眉間をオッタの槍が貫いた。グリアムは体中から流れ落ちる血を拭おうともせず、腰のポーチから回復薬を取り出すと、一気に飲み干す。空瓶を魔狼の群れに投げつけ、ぐっ、ぐっ、と拳を二、三度握り直すと、小さく息を吐き出し、意を決した。
「シッ!」
グリアムのナイフにキレが戻る。オッタの矛先を縫うように、群れの中へ飛び込んで行く。次々に切り裂かれる魔狼が地面に沈む。ふたりの刃は、魔狼に断末魔を上げる余裕さえ与えず、群れの勢いを削いでいった。
■□
ライカンスロープの爪が、サーラを狙う。サーラを引き裂こうと振り下ろされる鋭利な爪が、サーラの前髪を掠めた。湧き上がる恐怖をなんとか飲み込み、サーラは鉄拳を、ライカンスロープの顔面目掛けて振り抜く。
『グルゥ⋯⋯』
サーラの拳がライカンスロープの頬を掠めた。鬱陶しいとばかりに、ライカンスロープの赤い目がサーラを見下ろすと、振り落とした爪を振り上げる。無防備な態勢のサーラに襲い掛かる爪。
「くっ⋯⋯」
サーラは捻じれた体を強引に傾け、その爪から逃れようともがく。振り上げられる爪が、サーラの脇腹を抉ろうと迫る。
ガキンッ!
両手で握りしめるイヴァンの剣が、ライカンスロープの鋭利な爪と激しくぶつかり合う。サーラが後ろへ跳ねると、イヴァンの剣も鋭利な爪に弾かれた。仰け反るイヴァンのみぞおちに、ライカンスロープが足先を振る。その足先を叩き落とそうと、サーラは踵に体重を乗せ、飛び込んで行った。
ゴキっとライカンスロープの脛と鉄靴がぶつかり合う鈍い音が響く。
折った!?
サーラは手応えを感じ、後ろへ距離を置いたライカンスロープを睨む。
足を引き摺りながら、距離を置くライカンスロープ。
イヴァンはその姿に好機とばかり、剣を構え飛び込もうとした。
違う! あれは誘っている。
「リーダー、待って下さい」
「えっ!? 何で?」
サーラの声に、イヴァンは強引に足を止めた。出鼻を挫かれたイヴァンは戸惑いを隠せず、サーラに怪訝な表情を向ける。
「たぶんですが、足を引き摺っているのは嘘です。ベアトリさんが、最深層のモンスターは、人と相対するように対峙しろと、おっしゃっていたそうです」
「モンスターにそこまでの知恵があるかな?」
「単眼鬼もそうでしたよ。でも、この狼はもっと狡猾そうです」
「それじゃあ、どうする?」
「とりあえず足は怪我していないと思って、対峙しましょう」
「了解」
イヴァンとサーラは、じりりとゆっくり距離を詰めて行く。足を引き摺りながら後退るライカンスロープだが、その赤い目は不気味な光を放ち続けていた。
■□
魔狼の眉間に、ルカスは細身の剣を突き立てる。その隣でテールが、魔狼の頭を大きな手で潰した。ルカスも、テールも、乾いた血で全身赤黒く汚れ、腕や足、頬から止めどなく血を垂らす。肩で息するルカスは呼吸を整えようと、大きく深呼吸をする横で、テールが再び魔狼に飛び込んだ。
もう少しだ。
ルカスの目に映る魔狼の群れは、あと数匹しかいない。終わりの見えた戦いに最後の力を振り絞り、剣を握る手に力を込める。
「終わりだ!」
最後の一匹⋯⋯。
ルカスの正確な切っ先が、魔狼の眉間を貫いた。
「ふぅ~」
ルカスは天井を見上げ、大きく息を吐き出し、肩の力を抜く。だがすぐに視線は戦っている仲間に向き、次の飛び込み先を思案する。
『グルゥ⋯⋯』
「どうした? ワン公⋯⋯」
テールが後方を睨み低く唸る。イヴァン達が戦っているライカンスロープの奥から感じるイヤな圧を、ルカスも感じ取った。
「何か来るな⋯⋯」
ルカスは膝を落とし、テールの首を抱きながら、共に後方を睨んだ。
軽やかないくつもの足音が微かに聞こえる。ルカスは腰のポーチから回復薬を二本取り出し、まずは一本、一気飲みした。
「まっずぅ⋯⋯おまえも飲め」
そして少し嫌がる素振りを見せたテールの口に、もう一本を押し込んだ。
「よっしゃ! 行くぞ!」
ルカスとテールがイヴァン達を追い越し、迫り来る足音に相対する。
「おまえはここで待ってろ。ちょっと足止めしてくる」
ルカスはそう言って、【火炎種の罠】を取り出した。両手に【火炎種の罠】を手にして、ルカスは迫る足音へと駆け出す。聞き覚えのあるその足音は、予想通り魔狼のものだった。
先ほどと同じか、もしかしたらそれ以上の数かも知れない。一瞬、群れに飲み込まれたベアトリの姿が頭を過り、ルカスは背筋に冷たいものを感じた。
それでもルカスは怯まない。
口から舌をだらしなく垂らし、涎を垂れ流しながら向かって来る魔狼の大群との距離を測る。血走った両目はルカスとテールに向けられ、剥き出しの犬歯は喰らい付くのを今か今かと待ちわびているように見えた。
ルカスが【火炎種の罠】を指で擦る。刺激を受けたハチトリ草が開き始めるのを指先に感じると、ルカスは罠を地面に滑らせていった。
ルカスは踵を返し、テールの元へ駆け出すと、背中から大きな爆発音が届く。振り返ったルカスの目に何匹もの魔狼が宙を舞い、地面に叩きつけられる光景が映る。
クソ、思ったより減らねえな。
ルカスは手持ちの罠を確認する。
【火炎種の罠】はもうねえのか⋯⋯。
ルカスは魔狼の群れを睨み覚悟を決める。
「いいか、テール。一匹たりともあのクソ狼を後ろへ通すなよ」
『グルゥ』
ルカスは剣を握り直し、迫り来る魔狼の大群へ飛び込んで行く。地面を埋めつくす魔狼の大群が、ルカスとテールを飲み込みに掛かった。