その惨劇の代償 Ⅵ
こいつで終わりだ!
グリアムのナイフを握り締め、地面に座り込んでいるライカンスロープの眉間を狙おうと覆い被さって行く。
「ぐぼぉっ!」
グリアムの狙いすましたナイフは、眉間に届かない。グリアムは届かぬナイフを握る手を伸ばしたまま、みぞおちからの激痛に動きが止まってしまう。グリアムがみぞおちに視線を移していくと、狙いすましたライカンスロープの足先がめり込んでいた。
野郎! こいつを狙ってやがったのか。
鈍く痛むみぞおちを押さえながら、グリアムは一度距離を置いた。
ぬかったな⋯⋯舐めてたのはこっちか。
グリアムは一度大きく息を吐き出し、ナイフを握り直す。ライカンスロープはグリアムに犬歯を剥き出しにしながら、ゆっくりと立ち上がった。
『アォーン!』
「はっ?!」
((アォーン!))
片腕のライカンスロープが天井を見上げ、また長い鳴き声を響かせた。その声に呼応する遠吠えが、ダンジョンのどこかから響き渡る。
「クソ!」
グリアムは、無防備な姿を晒したライカンスロープの眉間に、ナイフを突き立てた。その瞬間、ライカンスロープの赤い目が、グリアムを見下したように感じる。まるで、勝ち誇ったかのような表情にも見え、グリアムの胸にざわつきが生まれた。
仰向けに倒れていくライカンスロープの向こうから、軽やかないくつもの足音が聞こえる。グリアムは後方のパーティーに視線を向けた。ベアトリを必死に治療しているヴィヴィ。その向こうでパーティーが魔狼の群れとまさに交戦中だった。
あのバカ、何やられてんだよ!
しかし、どうする? これ?!
近づく足音。その距離はあとわずか。その足音が魔狼の群れである事は、簡単に予想出来る。
群れをひとりで⋯⋯止められるのか?
自問するグリアムは、ナイフを構えながら焦燥と困惑に次の一手が打てないでいた。
■□
パーティーの切り拓いた道を、イヴァンが駆け抜けて行く。ライカンスロープの赤い目が、イヴァンを見つめた。感情のない赤い目を、イヴァンは睨み返し、その懐へと飛び込んで行く。
「ぐ⋯⋯」
ライカンスロープが振り落とした爪を、イヴァンの剣が受け止めた。だが、そのあまりにも重い斬撃に、イヴァンは思わず膝を落としてしまう。態勢の崩れたイヴァンに、ライカンスロープの鋭い蹴りが飛ぶ。
マズイ⋯⋯。
イヴァンは咄嗟に剣を出し、ライカンスロープの足を受け止める。しなやかで、力強いその足は、剣を構えたイヴァンをそのまま高々と蹴り上げ、地面に叩きつけられた。
「かはっ!」
背中からの激しい衝撃に呼吸が止まる。一瞬の行動不能をライカンスロープが見逃すはずがなかった。
体に似合わぬ大きな足が、イヴァンの頭を潰そうと踏み抜かれる。
イヴァンは、目を見開き、地面を転がった。イヴァンの頭があった場所から、土砂が舞い、地面は大きく抉られる。その一撃に、人の頭など簡単に潰せる力があるのは一目瞭然だった。
速い⋯⋯そして、強い⋯⋯。
イヴァンの体中から冷たい汗が吹き出し、緊張が呼吸を急かす。
対峙して伝わる、強者の雰囲気を纏うライカンスロープ。
気後れしてしまいそうな自分を鼓舞する言葉を探すが、素早いライカンスロープの足踏みを前に、見つかるはずがなかった。
「こんのぉおおー!」
魔狼の群れを抜けたサーラが、飛び込みながらライカンスロープを蹴りつける。ライカンスロープの感情の薄い赤い目が飛び込んで来た鉄靴へ視線を向けると、鋭利な爪で叩き落とし、サーラの喉元に犬歯を向ける。
「サーラ!」
イヴァンは立ち上がりながら叫んでいた。
サーラの喉元へ迫る強靭な顎。サーラの瞳は、冷静にその動きを見つめていた。
「ハッ!」
サーラの鉄拳が、迫り来るライカンスロープの顎へ、カウンターとなるアッパーカットを叩きつける。体重を乗せたその拳に、ライカンスロープの頭がガクンと仰け反ると、今度はイヴァンの剣がそれを見逃さなかった。
「シッ!」
仰け反るライカンスロープの首元に、イヴァンが剣を振り抜く。その首元から頭を切り離そうと振り抜く刃に、イヴァンは全身の力を込めた。
ガンッ!
激しい衝撃音と共にイヴァンの剣が止まってしまう。ライカンスロープの爪が、イヴァンの剣を引っ掛け、その勢いを止めてしまった。仰け反る頭から赤い目が、ジロリとイヴァンへ向けられる。その瞳からは、そう簡単にはやらせぬという強者の意志を感じ取った。イヴァンとサーラは一度距離を置き、ライカンスロープと睨みあう。イヴァンとサーラ、並び立つふたりと、ライカンスロープの視線が、どちらも引かぬと絡み合う⋯⋯。
「リーダー、このモンスターは一筋縄ではいきませんよ」
「だよね。なんか、今まで相対したモンスターとは違うね」
「はい。これが最深層のモンスターだそうです」
「さ、最⋯⋯!? そう⋯⋯」
「師匠は、ひとりで相手してますよ」
「それじゃあ、ふたりの僕らは、なおの事負けられないね」
「はい」
ふたりは前をむいたまま、短い会話を交わす。
その会話から、負けられぬ、負けてはいけない相手であると、ふたりはあらためて、握る拳に力を込めた。
■□
「うぅ⋯⋯ぐふぅ⋯⋯」
「ベアトリ!」
ゆっくりと目を開けるベアトリに、ヴィヴィは喜びのあまり涙を零す。だが、顔面蒼白、肩で息する呼吸は弱々しく、助かったとはとても思えず、ヴィヴィの表情は一瞬で曇ってしまう。
「だ⋯⋯大丈夫⋯⋯ヴィヴィちゃん、大袈裟⋯⋯」
「いいよ、しゃべらなくて。ゆっくり休んでて」
ベアトリは、ヴィヴィの言葉に頷く力も残っておらず、ゆっくりと目を瞑り答えた。地面に仰向けのまま、前方のグリアムを見つめ、そのまま後方で戦っているイヴァン達へ視線を移す。その様子にベアトリは、弱い呼吸のまま、力の入らない左手を自身の胸に当てた。
「ハァ⋯⋯ハァ⋯⋯ハァ⋯⋯【癒白光】」
胸に当てられた左手の隙間から緑白の眩い光が零れると、ベアトリは目を見開き苦悶の表情を見せる。
「がっはぁっ!!」
ベアトリは、口から血を吐き出し、苦悶の表情を見せると、勢いよく上半身を起こした。
「べ、ベアトリ!? だ、大丈夫」
「ハァ、ハァ、ハァ⋯⋯」
ベアトリは、待てとヴィヴィに手を差し出し、荒い呼吸を整えていく。ヒールを落としたというのに、体中の傷はほとんど癒えておらず、痛々しい姿のままだった。それでも、さきほどまでと違って、ベアトリの瞳に力が戻ったように見え、ヴィヴィはそっとベアトリの背中に手を置き支える。
「ふぅ~大丈夫、ごめんね、心配かけて」
大きく抉られてしまった肩や、顔についた深い傷は跡として残ってしまい、ヴィヴィの表情は複雑だった。
「ベアトリ、傷跡残っちゃったね」
「ふふ~ん、カッコ良くなったでしょう?」
ベアトリは傷跡の残る右目で、ヴィヴィにウインクして見せた。だが、顔色は相変わらず蒼く、全快にはほど遠い。強がるベアトリだが、立ち上がる事さえままならないのは、時折見せる辛そうな姿から伝わった。
ベアトリは座り込みながら、再び前方と後方へ視線を移すと、ヴィヴィへと顔を向ける。
「ヴィヴィちゃん。ひとつお願い」
「うん? 何?」
「後ろからひとり、グリアムの所に向かわせて。グリアムのあの感じ、前から何か来そう。今、大きな声出せないから、お願いしていい?」
「もちろん。だれかー!! グリアムの手伝いに行ってー!!」
「ヴィヴィちゃん、あと宜しくね」
「任せて! ベアトリは、休んでていいからね」
「じゃあ、お言葉に甘えて⋯⋯」
ダンジョンに響き渡るヴィヴィの声。ベアトリは満足気に口端を上げると、目を閉じた。
魔狼を切り裂くオッタのナイフが、ヴィヴィの声に止まる。前方を見据え、魔狼と対峙しているルカスに声を掛けた。
「ルカス、ここを頼む」
「おう。おまえが行くか?」
「ああ。残りはおまえひとりで大丈夫だろう?」
「あぁ? 当たり前だ。こんなもん、オレひとりで余裕だっつうの」
軽い言葉のやり取りとは裏腹にふたりの体からは、血が流れ落ち、大きく肩で息をしていた。
オッタは脱兎のごとく跳ね、グリアムの元へと急ぐ。グリアムに近づくいくつもの足音は、オッタの長い耳にも届き始め、焦燥が足を急かせた。