その惨劇の代償 Ⅴ
ヴィヴィの眼前をふたつの影が駆け抜けて行く。
「シッ!」
「おばはん!」
オッタとルカスのふたりは焦燥のまま、ベアトリに群がる魔狼へ飛び込んだ。ベアトリの上に重なり合う魔狼を引き剝がしていくと、血塗れのベアトリが現れる。
ふたりは、その凄惨な姿に思わず顔を歪めてしまう。
眼前に現れたルカスとオッタ、ふたりの姿にもベアトリはまったく反応を見せず、状態はまったく読めない。
生きているのか?
死んでいるのか⋯⋯。
だが、魔狼に向けた、ふたりの刃が止まる事はなかった。餌に食らいつこうとする魔狼の集塊を薙ぎ払っていく。
「どうです? ベアトリさん、大丈夫ですか?」
サーラもふたりから少し遅れ、魔狼の群れに飛び込んで行った。
「分かんね! サーラ! 頼む⋯⋯」
「分かってます!」
オッタの叫びより早くサーラが、埋もれていたベアトリへ手を伸ばしていた。襲い掛かる牙や爪をものともせず、ベアトリを抱きかかえる。
抱きかかえたサーラの腕に伝わるヌルっとした残酷な感触。
それがベアトリの血である事は、散見される深い傷からすぐに理解した。
「おい、サーラ! おばはんの事頼むぞ」
「任せて下さい! ヴィヴィさん! 薬の準備を!」
サーラが後方に控えているヴィヴィに叫ぶ。ヴィヴィは何度も頷き、震える覚束ない手つきで、腰のポーチから回復薬を取り出して行く。
手から零れ落ちそうな回復薬をしっかりと握り締め、ヴィヴィは祈る気持ちで、サーラの到着を待った。魔狼の群れから、離脱を図るサーラの背中にいくつもの爪が襲い掛かる。獲物を横取りされた怒りなのか、爪と牙が一斉にサーラの背中に向けられた。
「ハァ⋯⋯ハァ⋯⋯ハァ⋯⋯させないよ!」
しかし、イヴァンの剣が魔狼を飛び込ませない。肩で息をしながらも、イヴァンの剣が止まる事はなかった。イヴァンに呼応するかのように、テールもサーラに群がる魔狼を薙ぎ払う。サーラの背中へ飛び込む魔狼達を大きな手で叩き落としていった。
「んぐっ⋯⋯」
それでも、サーラの背中に爪は届いてしまう。
牙は肉を削ごうと、魔狼はサーラの背中に食らいつく。
オッタのナイフは、魔狼の爪を斬り裂き、ルカスの剣は核を貫き続けた。
サーラは背中にいくつ傷を作ろうと、ベアトリを放さない。ベアトリをしっかりと抱きかかえたまま、ヴィヴィの元へと飛び込んだ。
「⋯⋯ベアトリ」
「ヴィヴィさん、急いで!」
サーラは、珍しく声を荒げ、ヴィヴィの背中を無理やり押していく。
力なく横たわるベアトリの姿にヴィヴィは絶句し、思考が停止してしまっていた。体中赤く染まり、無事なところを探した方が早そうなほど、深い傷が体中に作られている。
い、生きてる!
目を閉じ、半開きの口から呼吸は浅い。右目には、大きな傷を刻まれている。それでも、ヴィヴィはベアトリの息がある事に安堵した。
一刻の猶予もない。
分かっている。
サーラの言葉の意味は、頭でも十分に分かっている。だが、ベアトリの凄惨な姿に、ヴィヴィの体は固まったまま、横たわるベアトリを見つめ続けていた。
「ゴフッ⋯⋯」
ベアトリの口から血が吐き出される。
「ヴィヴィさん!!」
「う、うん」
サーラの焦燥は、ヴィヴィへの叫びとなった。ヴィヴィは震える手で、回復薬をベアトリの口元へ持っていき、ゆっくりと傾けていく。回復薬の注ぎ口にベアトリの血がべっとり付着し、ヴィヴィの焦燥はさらに煽られた。
■□
「おっと、そっちには行かせねぇよ」
グリアムが片腕のライカンスロープの前に立ちはだかる。後方の群れへ、駆け出そうとするライカンスロープの足を止めた。
『グルゥ⋯⋯』
「ま、リハビリってやつだ。ちょっと付き合えよ」
静かな唸りを上げ、片腕のライカンスロープが犬歯を剥き出しにした。グリアムは慣れた手つきで、ナイフをくるっと回し、逆手に持ち変える。ライカンスロープは、腕から血を垂れ流しながらも、鋭利な爪をグリアムへ向けた。
ガキッ! とまるで金属同士がぶつかり合ったような衝突音がなり、互いの刃は弾かれる。グリアムは返す刀で、ナイフを振り抜いた。だが、ライカンスロープの胸元を狙ったナイフは、浅い傷だけを作り、致命傷まで至らない。
「しぶといな⋯⋯オレが鈍ってんのか?」
グリアムは、逆手に握るナイフを見つめ、自問するように呟いた。
ま、おまえは、オレを簡単に喰えると思ってたんだろう。
グリアムは、睨みあうライカンスロープの雰囲気から戸惑いを感じ取る。
舐めていた相手の思わぬ反撃ってやつか? 甘いな。
グリアムの鋭い振りが、再びライカンスロープの胸元を斬り裂く。その胸元からは真っ赤な血が噴き出し、グリアムのナイフも赤く染まる。確かな手応えを感じたグリアムは、追い討ちを掛けるべく、ライカンスロープの懐へと鋭い飛び込みを見せた。
終わりだ。
胸元を沿うように、グリアムのナイフがライカンスロープの胸を三度襲う。ライカンスロープは、地面に尻もちをついて無様な姿を晒した。だが、グリアムのナイフは宙を切り、とどめを刺す事が出来ない。
「チッ⋯⋯」
悪足掻きにすら見える無様なライカンスロープは、尻もちをついたまま後退りしていく。グリアムはくるっとナイフを回し、順手に持ち変える。地面に座り込むライカンスロープの眉間を目掛け、ナイフを突き出した。
■□
「ベアトリ!」
「ガハッ!」
ベアトリの口から、薬混じりの血が吐き出されてしまう。回復薬が効いているのか、いないのか。ヴィヴィには判断がつかず、半ばパニック状態だった。
「ど、どうしよう⋯⋯」
「ヴィヴィさん、ここをお願いします。私はみんなの援護に向かいます!」
「え⋯⋯? う、うん」
回復薬を一気に飲み干したサーラは、ヴィヴィの肩に手を置きながら、魔狼の群れを睨むと駆け出した。ヴィヴィは自身の肩に重くのししかかる重責に、戸惑いはさらに積み重なる。脈打つ鼓動に目は泳ぎ、息苦しさを感じてしまう。
どうしよう⋯⋯。
どうすれば⋯⋯。
「ほら見た事か! どうせ助からねえんだよ! はっ! 終わりだ」
失った腕を押さえながら男は、倒れているベアトリへ悪態をついた。傷口に塩を塗り込むような節操のない言葉に、ヴィヴィは男へ睨みを利かす。
戸惑いは消え去り、その節操のない言葉への怒りが、ヴィヴィの動揺を塗り潰した。
「ふざんけんな! 終わりじゃない! 勝手に終わらせるな!」
絶対、助ける!
ヴィヴィは男を睨みつけ、ベアトリに回復薬を飲ませていく。口元から零れ落ちてしまう回復薬にも臆することなく、ヴィヴィはベアトリの口元に回復薬を傾け続けた。
■□
魔狼の牙がイヴァンの背後から襲う。それをオッタが斬り落とすと、オッタを狙う爪をサーラが弾き飛ばした。
「クソッ!」
ルカスの腕に魔狼が食らいつく。犬歯が皮膚を突き破る感触に、ルカスは腕ごと地面に叩きつけた。ルカスに叩きつけられた魔狼の頭をテールが叩き潰すと、テールの柔らかな腹部に牙が向けられる。
「テール!」
イヴァンの剣が魔狼の胴体を真っ二つに割った。
永遠とも思えた魔狼との乱戦に、やっと終わりが見えて来る。イヴァンが、サーラが、オッタが、ルカスが、全員が肩で息をして、体力の限界はとうに超えていた。それでも終わりの見えた戦いに、闘志は消えない。今、パーティーの足を支えているのは、気力でしかなかった。後ろで静かに待ち構えていたライカンスロープの足が、静かに動く。
あとはアイツを倒すだけ。
イヴァンが、ライカンスロープへと駆け出す。静かににじり寄るライカンスロープへ、イヴァンは立ち塞がる魔狼を薙ぎ払い進む。
「みなさん! リーダーの援護を!」
ここが勝負所だと、サーラの叫びはパーティーを鼓舞する。パーティーの刃が、イヴァンに群がる魔狼へと向けられた。