その惨劇の代償 Ⅳ
「ぐっ⋯⋯」
ヒールの落ちるルカスの腕から、ミシミシと肉が軋むような音が聞こえる。ヴィヴィは驚いた顔でベアトリを見つめ、ルカスはその激痛に顔をしかめた。
「ちょっとだけ我慢しなさい。繋がりきってしまえば、その痛みは消えるから」
ベアトリの言葉に、ルカスは静かに頷いた。
「これって、腕が繋がってるの?!」
ヴィヴィは、ルカスの傷を見つめながら目を見開く。
「そうよ、筋肉とか神経がね。その時にどうしても痛みの神経を刺激しちゃうの。気を失っていれば、苦しくないけど、ルカスちゃんみたく、しっかり意識があると、なかなかキツイわよ⋯⋯よし、おしまい」
「ぷふぅー、サンキュー! 行って来る」
「ちょっとだけ待って」
「何だよ」
「闇雲に突っ込むだけじゃダメよ。あのクラスのモンスターには駆け引きも必要。人間と対峙するときのように、あのモンスターを騙しなさい」
「騙す⋯⋯」
「そう。ま、怪我したらまた診てあげるから、思い切り行きなさい」
「サンキュー! おばはん!」
「おば⋯⋯!?」
絶句するベアトリなど気にする素振りも見せず、ルカスは前線へと駆け出した。
「まぁまぁ、ベアトリ。ルカスに悪気はないからさ、グリアムの事もおっさんって呼んでるし、気にしない方がいいよ」
「でもでも、ひどくない? せめてお姉様でしょう~」
「だ⋯⋯ねぇ~」
ヴィヴィは苦笑いと曖昧な返事だけ返しておいた。
■□
「おっさん、おばはんが駆け引きしろって⋯⋯どういう事だ?」
「おば⋯⋯おばはん!? おまえこれ終わったあと、殺されるぞ。ま、ベアトリの言葉通りだ。人と相対してると考えろ。フェイントなんかの騙しを効果的に使って攻めるんだ。モンスターより、狡猾になれって事だ」
グリアムはルカスの肩に手を置き、ライカンスロープを睨んだ。
「狡猾⋯⋯」
「おまえの動きは、直線的過ぎる。ひと捻り入れるだけで、おまえの切っ先はヤツに届く」
ルカスも、サーラとオッタがライカンスロープと対峙している姿を見つめた。それを見つめるルカスの瞳からは、何かを掴んだようにグリアムは感じた。
ルカスは最高速で、ライカンスロープへと駆ける。その速さにライカンスロープは、脅威を感じ、ルカスへと駆け出した。飛び込むルカスへ、ライカンスロープが爪を振り下ろうそうと振りかぶる。
「ほう」
グリアムは、ルカスの動きに感嘆の声を上げた。いつもなら単純に突っ込んだであろうルカスの足が止まる。振り下ろされライカンスロープの爪が地面を叩く。それを待っていたとばかりに、ルカスは叩いた腕目掛け、細身の剣を振り下ろした。
貰い!
完璧なタイミング。
ルカスは、ライカンスロープの腕を斬り落とした⋯⋯と、思った瞬間。ライカンスロープは後ろへと跳ねていた。ライカンスロープもまた狡猾。一筋縄ではいかぬ姿を見せる。だが、ライカンスロープの腕からは血が噴き出し、浅くはない傷を負わす事が出来た。しかし、斬り落とすまでは至らなかった悔しさに、ルカスは顔を歪める。
クソ!
悔しがるルカスが、唇を噛む。
だが、まるで後ろへ跳ねるのを待っていたかのように、オッタのナイフが血の噴き出ているライカンスロープの腕へと向けられた。
オッタは、ナイフを赤く染めながら、ライカンスロープの腕を斬り上げる。ライカンスロープの腕が緩い放物線を描き、地面へと転がっていく。
いける!
グリアムは好機を逃すまいと、ライカンスロープへ駆ける。
『アォーン!』
遠吠え?
腕から血を噴き出しながら、ライカンスロープは天井を見上げ長い声をあげた。その声はダンジョン中に響き渡り、パーティーに一瞬の逡巡と困惑を呼び込み、グリアムの足も止まってしまう。
((アォーン))
その遠吠えに呼応する声があがった。そしてだれもが、響き渡るいくつもの遠吠えに、頭の中で警鐘を鳴らす。
『グルゥ⋯⋯』
テールが後方を睨み静かに唸る。イヴァンも剣を抜き、テールと共に後方へ最大限の警戒を見せていった。
イヤな感じだ⋯⋯。
グリアムだけではなく、だれもが同じ事を思っていた。
瞬く間の静寂は、危機感をさらに煽り、パーティーを一瞬の行動不能に導く。思考の止まってしまったパーティーの後方から、軽やかに地面を蹴るいくつもの足音が迫る。
後方から現れる、通路を埋めつくすほどの狼の群れ。
その後ろに控えるライカンスロープの姿に、パーティーの思考はさらに止まってしまう。
「魔狼とライカンスロープよ! 構えて!」
ベアトリの叫びに思考が動き出す。ベアトリも後方に向けて鎌槍を構えた。その必死の形相に、ヴィヴィは焦燥に駆られてしまう。
「べ、ベアトリ! う、詠う??」
「あの狼達に、効果なんてほとんどないわよ」
「う⋯⋯でもいい! 【氷壁】!」
ヴィヴィの両手から放たれた蒼光が、魔狼の進行方向に分厚い氷の壁を作り上げると、ガツ、ガツ! と、魔狼の群れが氷の壁に跳ね返されていった。
「サーラ! オッタ! ルカス! 後ろへ回れ!」
「え? ヴィヴィさんの壁で止まってますよ?」
「あんなもん一瞬だ。急げ!」
「は、はい!」
「おっさん、あいつは?」
ルカスは後ろへ駆け出すのを躊躇し、片腕のライカンスロープを顎で指した。
「手負いの狼なんざぁ、オレひとりで十分だ。急げ! あの群れを止めろ!」
ピシっと分厚い氷の壁に大きなひびが入り始める。
「来るわよ! 狼達の核は眉間、いい?!」
ベアトリの掛け声にイヴァンは頷くと、剣を握る手に力を込め、ヴィヴィはハンドボウガンを構えた。
『『ガウッ! ガウッ!』』
派手な破砕音と共に、氷の壁が砕け散り、50匹はくだらない魔狼の群れが襲い掛かる。地面を蹴り、通路を埋めつくす魔狼は、まるで一匹の大きなモンスターのように蠢いていた。
「ヴィヴィちゃん、撃って!」
「う、うん」
ヴィヴィのハンドボウガンが、次々に短矢を放つ。カシュっと乾いた音を鳴らし続け、短矢は魔狼を貫いていった。だが、魔狼の勢いは止まるどころか勢いを増していく。獲物を見つけた狼達が、瞳をギラつかせ、欲の昂りを見せた。
「ヴィヴィちゃん、この人たちをお願い。リーダー君、行くよ!」
「はい!」
ベアトリは、ヴィヴィに怯えているふたりを託し、イヴァンを伴い群れの中へ飛び込んで行く。
「ちょ、ちょっと! テール!」
ヴィヴィの制止を振り切り、テールもイヴァンとベアトリの後を追うように、魔狼の群れに飛び込んでしまう。
ベアトリの槍が、魔狼の眉間を貫く。
イヴァンの剣が、魔狼の首を斬り落とす。
そして、テールの大きな手が、魔狼の頭を潰した。
抗う魔狼の爪が、ベアトリの腕の肉を削ぎ、牙はイヴァンの首元に迫る。テールがその牙を体当たりで吹き飛ばすと、後方から爪が襲い、テールの頬を斬り裂いた。
途切れぬ緊張はイヴァンとベアトリから、体力を奪い取り、この一瞬の間に肩で息するほど疲弊してしまう。振り続けるける剣と、突き続ける槍。テールは巨躯を生かし、覆いかぶさっていく。
絶え間なく襲い掛かる魔狼の爪と牙。眼前の狼に目を奪われれば、背後から爪と牙が襲い掛かる。テールの白銀毛も、赤く染まり始め、痛々しい姿を晒す。
何も出来ないもどかしさに苛まれながら、ヴィヴィは戦況をただ見つめる。そして、ぶらりと垂れ下がるヴィヴィの手は、無意識のうちに固く握られていた。
さすがに多いわね。ひと息いれる間さえくれない。
地面に転がる無数の魔狼と、地面を未だに埋めつくす魔狼の群れに、永遠かと思えるほど槍を突き続けるベアトリの集中が一瞬途切れてしまう。
「ベアトリ! 後ろー!!」
「え?!」
ベアトリは、ヴィヴィの叫びに我に返った。だが、魔狼は一瞬の隙を見逃さない。獰猛な牙が、ベアトリの肩口に食らいついた。魔狼の強靭な顎が肉を貫き、牙の感触と激痛がベアトリを襲う。
「ぐあぁっ!」
ベアトリは、肩口の魔狼を必死に振りほどき、眉間に槍を突き刺した。だが、脈打つたびに血が噴き出る肩口を押さえながら、地面に膝をついてしまう。
「ベアトリさん、ダメです! 立って!」
イヴァンの叫びを嘲笑うかのように、魔狼の無数の牙が、跪くベアトリに襲い掛かった。
「ベアトリー!」
ヴィヴィの悲痛な叫びが、喧騒渦巻くダンジョンに響き渡る。その光景は、先日のアリーチェの惨劇を想起させ、ヴィヴィは、体の震えを抑える事が出来なかった。