その惨劇の代償 Ⅱ
「しっかり歩け! 死にたくねえんだろう」
グリアムは、後ろを行く足元のおぼつかない男と、ドワーフの女を叱咤する。ヒールを落としたとはいえ、回復というにはほど遠く、重い体はふたりの足を鈍らせていた。足の重いふたりのペースに合わせて進むパーティーの足は遅々として進まない。
そしてパーティーは、ようやく18階へと足を踏み入れようとしていた。
「止まれ」
回廊を上がり18階へまさに足を踏み入れようとした瞬間、グリアムは足を止めた。
「おっさん、どうした? 早く行こうぜ」
「見てみろ」
グリアムに促され、ルカスは回廊から18階を覗き込んだ。
「げっ! マジ?」
「師匠、どうしたのですか? あ! 罠⋯⋯」
ルカスの背中越しに覗いたサーラは、思わず絶句してしまう。
サーラの視界に飛び込んで来たのは、真っすぐに伸びる通路。その地面の色合いが、明らかに不自然だった。
「19階に戻るぞ」
「師匠、19階から18階への回廊は、確か三か所ですよね。まさか、全部罠で進めない⋯⋯なんて事ないですよね?」
「んなもん奇跡でも起こらん限りねえよ。とりあえず、次の回廊を目指す。おまえもめったなこと言うんじゃねえ」
「すいません⋯⋯」
だが、得てして事は悪い方へは簡単に転がる。次々に襲い掛かるモンスターを、パーティーは薙ぎ払い、次の回廊へと辿り着いた。多少の疲れは見えるものの、パーティーにはまだ余力がある。それが深刻な状況を作り出すまでには至らない最大要因だった。だが⋯⋯。
「おっさん、どうだ?」
いち早くルカスが、足の止まったグリアムと共に18階を覗き込む。
「おいおいおい、またかよ!」
ルカスは思わず声を上げてしまう。その横で、グリアムの顔は苛立ちで歪み、ルカスもあからさまに顔をしかめた。先ほどと同様に、罠が、パーティーを嘲笑うかのように行く手を阻んでいた。
「師匠、こういうのって良くあるのですか?」
「ねえよ! 二回連続で足止めなんざぁ、ありえねえ!」
ただでさえ足の遅い人間を抱え、思うように進めず苛立っているグリアムは、思わずその苛立ちをサーラにぶつけてしまう。
「サーラちゃんに当たったってしょうがないじゃない!」
「い、いいんですよ、ベアトリさん」
グリアムに釘を刺すベアトリを、サーラは慌てて止めた。
「あのおふたりを助けるというのは、パーティーの我儘だと分かっていますので。師匠は、その我儘に付き合ってくれているのですから、苛立ちは仕方のない事です」
「サーラちゃんってば、大人ね。あそこの坊やも、見習って欲しいわ」
そう言ってベアトリはグリアムに視線を送る。グリアムは、“フン”とその視線に気づかぬフリをして、踵を返した。
鈍亀を二匹連れての遠回りかよ。ツイてねえにもほどがある。
まさか次は大丈夫だよな? 次の回廊も⋯⋯ってなったら詰むぞ。鈍亀を二匹抱えて、いつ哭くか分からねえダンジョンの哭きを待って19階で籠城なんて、マジで勘弁だ。
パーティーは再び19階へと戻り、次の回廊へ希望を繋げる。
■□■□
25階——————。
煌々と輝く【アイヴァンミストル】の下、傷だらけの【ライアークルーク(賢い噓つき)】が、魔狼を引き連れるライカンスロープの群れを見つけ、足が止まってしまう。灰色のたてがみをたなびかせ、悠々と歩いている魔狼の群れ。その後ろに控えている銀色のたてがみを揺らし、辺りの気配を探っている二足歩行の狼の群れが、獲物を求めダンジョンをさ迷っていた。
「おい、リオン。魔狼とライカンスロープの群れなんて、どうなってる? ここ25階だぜ? ライカンスロープなんて単体でも、最深層(26階)からだろ? あんなの相手にしてたら、上に戻る体力なんて残らねえぞ」
左目の傷を歪ませながら、犬人のレンが、魔狼とライカンスロープの群れを睨む。パーティーはその群れから距離を保ち、どうするべきかリーダーであるリオンのひと言を待っていた。
パーティーは深層を順調に進んでいたが、ダンジョンが哭いた事により状況は一変してしまう。次から次へと襲い掛かるモンスターを斬り捨て、下へと急ぐパーティー。それと比例するかのように傷を増やし、疲弊は倍増する。もはや記録の更新などメンバー達の頭にはなく、今は生還する事だけで頭が一杯だった。だが、そんな中でも、リオンはひとり記録更新に固執し、逃げるという選択肢に二の足を踏んでいた。
「リオン、あれは間違いなくイレギュラーだ。レンの言う通り、あれを無視して上に戻るべきだ」
「そうじゃよ、命があればまたやり直せる」
「リオン、いい加減にするのだ。戻るぞ」
副リーダーであるイヤルも、ドワーフのチャドも、そして一番冷静なエルフのキーファも、踵を返せとリオンに告げる。リオンは普段見せない鋭い眼光を、モンスターの群れに向けていたが、大きな溜め息と共に視線をパーティーへ向けた。
「分かった、分かったよ。ひとりでどうにか出来るもんじゃないしね。戻ろう」
リオンは後ろ髪を引かれる思いで、24階へ繋がる回廊へと向かう。
25階か⋯⋯。
自分達の記録にさえ、届かないなんて。
リオンは苛立ちを飲み込み、上へと繋がる回廊へと踵を返した。
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クソ!
グリアムは眼前を睨み、幾度となく、心の中で悪態をついた。
19階へと戻った【クラウスファミリア】の行く手を、罠が阻む。最後の回廊を目指すパーティーの足を、狡猾な罠がことごとく止めてしまう。
「ちょっと多すぎじゃない?」
経験豊富なベアトリでさえ、そのあまりの罠の多さに辟易していた。ダンジョンが哭くと、その時々により、ダンジョンの傾向は変わる。大型モンスターが目に付くときもあれば、小型モンスターの群れが溢れる事もある。ダンジョンは、その都度色々な姿を見せ、潜行者達の障壁となって立ち塞がった。
「来るぞ! ヴィヴィ!」
グリアムの視界に飛び込む化けキノコの群れが、小さな体を揺らしながら、罠の上を悠々とこちらへ向かって来ていた。
ヴィヴィはグリアムの横に躍り出ると、化けキノコの群れに向けて、手をかざす。
「【炎槍】!」
ヴィヴィから放たれた無数の炎の槍が、化けキノコに突き刺さる。燃え盛る炎が、一瞬でキノコを炭に変えた。罠の上には無数の焼き上がったキノコが転がる。
「ねえ、グリアム。あの上を進めない?」
ヴィヴィが罠の上に出来た、化けキノコの道を指差した。
グリアムは手前に転がる化けキノコに片足を乗せると、いとも簡単に崩れてしまう。グリアムはすぐに足を戻し、溜め息と共に肩を落とした。
「悪くねえ案だが、やっぱ無理だな。煤になっていても、乗れるかも知れんが、博打過ぎる」
「ダメかぁ~」
「そう甘くはねえって事だ。行くぞ」
パーティーは来た道を戻り、また回廊を求め進む。グリアムは頭の中で、何度目かの地図を開き、最善と思えるルートを導き直す。
また罠がある、可能性もあるよな。
グリアムはいくつものルートを頭の中に展開し、イレギュラーに備える。
だが、それを嘲笑い、凌駕するのが狡猾なダンジョンの理だった。
グリアムは、後ろを振り返り、パーティーのペースを確認する。生き残った男とドワーフの女も必死に食らいついてはいるが、うなだれ、足を引きずっている姿に、体力が限界を超えているのは一目瞭然だった。
遅々として進まぬ現状にグリアムは諦め、前へ向き直す。あらためて、足を動かし直すと、先に見える角をこちらへと曲がる、不穏なシルエットがグリアムの目に映った。
は? 何で?
一瞬混乱したグリアムの思考だが、これまでの経験がすぐに冷静さを取り戻させた。
「オッタ! ルカス! サーラ! 前に出ろ!」
オッタが隣に並ぶと、グリアムの睨む先に目を凝らした。
「グリアム、あれは何だ? 狼人じゃないよな?」
「あれが人に見えるか? 二本足で歩く狼の化け物だ」
「グリアムさん、何ですあれ?」
サーラも、それを見つめ目を見開く。
真っ赤な瞳を不気味に光らせながら、人より頭ふたつ分大きな体。体は細いが、華奢というよりしなやかさを感じる。くすんだ銀色の毛は灰色に近く、体躯に見合わぬ大きな足と、だらしなく揺れている手の先には、鋭く大きな爪を携えていた。
「ありゃあ、ライカンスロープ。最深層のモンスターだ」
グリアムはそう言って、背負子を床に置いた。