その惨劇の代償 Ⅰ
「サーラ、どうしたの?!」
その場にいた全員が、サーラの叫びの元へと駆け寄って行く。
サーラはイヴァンの声に、震える指先を地面に向けた。
「い、い、い、生きてます! 生存者がいます!」
全員が一斉に、サーラの震える指先の指す方へ視線を向ける。震える指先が指した先には、片腕を失った男が転がっていた。顔面蒼白で、弱々しい呼吸を見せる、お世辞にもガラが良いとは言えない壮年の男。男は、千切れた腕を押さえながら、声にならない声を血溜まりの中で上げていた。
「タ、タ⋯⋯スケ⋯⋯テ⋯⋯クレ⋯⋯」
「だ、大丈夫ですか?!」
駆け寄るイヴァンに、弱っている男は視線を向けるのが精一杯だった。
もはや虫の息。
だが、男はイヴァンに一縷の望みを託す。
助かる見込みは薄い。
それは、だれの目にも明らかだった。
血溜まりに転がる男へ、グリアムはひとり冷めた視線を向けていた。サーラやイヴァンの焦りなど意に介さず、グリアムの視線は自業自得だと雄弁に語り、関わり合いになるのを拒む。そこに【ライアークルーク(賢い噓つき)】に対する忌避感があるのは、自分でも分かっていた。
「ベアトリさん、ヒールお願い出来ますか?」
「イヴァンくん、彼の現状では無理だね。ヒールってさ、命の前借りみたいなもので、借りられる命が、今の彼には残念ながらないんだよ」
「ど、どうすればいいですか? グリアムさん、どうすれば⋯⋯」
イヴァンの縋るような視線から、グリアムは視線を外してしまう。それが何を意味するのかイヴァンは分かってはいても、食らいつき、視線を外さなかった。
「ねえ、グリアム。助けてあげようよ、ねえ」
今度は、ヴィヴィがグリアムの体を揺すりながら必死の懇願をしてくる。グリアムは、ふたりの焦燥にさえ苛立ちを覚えてしまう。
「し、し、師匠!」
「サーラ、てめえもか!」
睨むグリアムに、サーラは顔を蒼くしながら、また地面を指差した。
「い、いえ、こ、こっちにも!」
サーラが血溜まりに沈んでいるドワーフの女に目を見開く。
ドワーフの浅く早い呼吸は、傷が浅くないことを告げている。真っ赤に染まる体が、自身の血なのか、返り血なのか、もはや判別のしようがなかった。
「グリアムさん!!」
「グリアムってば!」
イヴァンとヴィヴィの懇願に、グリアムは盛大に顔をしかめる。グリアムが、ベアトリに視線を向けると、我関せずとばかり肩をすくめて見せた。
「ほっときゃ、いいんだ。こいつらが欲をかいた結果なんだよ⋯⋯。クソ! 20階は諦めろ。回復薬を飲ませて、ヒールを落とせるまで回復させろ。そこまで回復出来なかったら、無理だ、そいつらには運がなかったと諦めろ。オッタ、ルカス、サーラ、辺りの警戒を怠るな。イヴァン、男の腕をきつく縛って血を止めろ。止まらなかったら、てめえの炎の剣で傷口を焼け」
「や、焼く?! は、はい! ヴィヴィ、ドワーフの彼女に薬あげて」
「うん」
イヴァンは、千切れた腕の根本を布切れできつく縛り上げ、ヴィヴィは自身の回復薬を転がっている女ドワーフの口元に持って行く。だが、回復薬は口元から零れ落ち、地面へと垂れてしまう。その様にヴィヴィは顔を曇らせるが、諦めずに口元へ薬を運び続けた。
「これってさ、飲ませ続ければいいんだよね。アリーチェの時にルイーゼがそうしてた」
「そうよ、ヴィヴィちゃん。少しずつだけど飲めてはいるはずだから、続けてあげて」
ベアトリの後押しに、ヴィヴィは自信を持って二本目を開けて行く。イヴァンもそのヴィヴィの姿に、腰から回復薬を取り出した。
「ほら、頑張って飲んで。楽になるんだからさ」
「頑張って下さい」
イヴァンとヴィヴィは、ふたりを必死に励ましながら回復薬を飲ませていく。少しずつ体に染み込む回復薬の効能に、蒼い顔はそのままだが、落ち着きの戻って来た呼吸は、イヴァンとヴィヴィに安堵を運ぶ。
「ちょっといい」
ベアトリが、ふたりの回復具合を確認していく。その表情からは、いつものおちゃらけた姿はなく、真剣そのものだった。
倒れている男は覗き込むベアトリに縋る視線を送る。その隣で、ドワーフの女も安定しない呼吸を繰り返してはいるものの、意識を取り戻していた。
「彼にヒールを落としてみましょう。ちょっと賭けだけどね【癒白光】!」
ベアトリのかざした手から、緑白の眩い光の球が、男へと落ちて行こうとしていた。その見たこともない大きさに、ヴィヴィは目を丸くして驚いてしまう。
「ルイーゼのより大きい!」
「多分その娘より、強めのヒールなのかな⋯⋯でも、なかなか落ちないね。これは見た感じより、深い傷を負っているわ。隣のドワーフも同じ感じかしら⋯⋯ヴィヴィちゃん、どう? いけそう?」
「分かんないけど、最初よりは、だいぶ復活してるよ」
ゆっくりとしか落ちて行かない緑白の光球を、ベアトリはもどかしさを感じながら睨んでいた。
だが、そんなベアトリのもどかしさを嘲笑うかのように、ダンジョンが微かに揺れる。
「チッ! 哭きやがった。ベアトリ、早くしろ!」
「分かってる。けど、急ぎようがないでしょう」
「サーラ、ルカス、オッタ、警戒を怠るなよ」
グリアムの言葉に頷き、辺りを睨む視線に集中を高めた。
グリアムも腰のナイフを抜き、警戒を強める。グリアムのオッドアイは、緊張と共に忙しく動いていた。
「おい! まだかよ!」
「ちょっと待ちなさい!」
いつも冷静なグリアムとベアトリの罵声の浴びせ合いは、イヴァン達に緊張を誘発する。サーラが、オッタが、ルカスが、忙しなく視線を動かし、イヴァンとヴィヴィはもどかしさだけを積み重ね、焦燥感に煽られた。
「ヴィヴィちゃん、まだ回復薬ある?」
「うん、あと一本」
「じゃあ、そっちのドワーフに飲ませてあげて」
「あ?! 最後の一本空けるのかよ!」
「あんたの背中にたんまりあるでしょう! いいから、あなたは周りを警戒してて!」
グリアムも、サーラ達と共に警戒に加わる。ダンジョンから感じる、何とも言えない負の雰囲気に、思わず呼吸は浅くなってしまう。
「おっさん、ここにいて大丈夫なのか?」
「大丈夫なわけねえだろう。今すぐにでも移動しねえと」
ルカスは、警戒を見せながらグリアムに問い掛けた。その答えは思っていた以上の言葉ではなく、ルカスはさらに警戒を強めた。
「あのふたりを抱えては行けんのか?」
オッタもまたグリアムに問い掛ける。
「無理だ。ヴィヴィやベアトリは、抱えられんし、その他のだれかが抱えたとしても、戦力ダウンは否めん」
「自分の足で歩けるようになるのが、救出の条件か」
「それが絶対条件だ」
オッタにもグリアムの苛立ちは十二分に伝わった。
「よし! 落ちた。次はドワーフちゃんね」
「ゆっくりと起きて下さい」
イヴァンが背中を支えると、失った片腕を押さえながら、男はゆっくりと上半身を起こした。グリアムはその男の眼前にわざとらしく顔を寄せて行く。
「てめえの足で歩け、それが助ける条件だ。生きてえなら、必死に足を動かせ。ちょっとでも遅れたら、オレ達はおまえらを見限る。いいな」
「い、【忌み子】風情が⋯⋯」
「悪態つけるんなら、大丈夫だな」
耳元で囁くグリアムを、男は睨みつけた。グリアムはそれを、冷ややかな笑みで一蹴する。
「こっちも落ちたよ」
「頑張って、帰るよ」
ベアトリが、大きく息を吐き出し、まずはひとつ大きな山を越えた安堵を見せた。
ドワーフの女はヴィヴィに何度も頷き、覚束ない足取りで立ち上がろうと試みる。思うように力の入らない足にドワーフの女は、ヴィヴィの腕に支えて貰い、なんとか立ち上がった。