その惨劇との遭逢 Ⅱ
【ライアークルーク(賢い噓つき)】の行程をなぞるように進む【クラウスファミリア(クラウスの家族)】は、モンスターとのエンカウントなく進んでいた。あらかたのモンスターは【ライアークルーク】によって排除され、【クラウスファミリア】はクリアーになったダンジョンをただただ進むのみ。あまりに順調な歩みは、20階という目標の達成を容易に感じさせるが、同時にヴィヴィとサーラの昇級アイテムの入手に関しては、雲行きが怪しくなっていると思わせていた。
・人喰い蜂から入手出来る【ディグニティハニー】。
・大猪から入手出来る【大猪の大牙】。
・イビルモスから入手出来る【毒蛾の複眼】。
上記が、B級への昇級に必要なアイテムとなる。
現時点の【クラウスファミリア(クラウスの家族)】の実力を以ってすれば、そう難しくはない相手ばかりだ。だが、昇級アイテムを入手出来るモンスターとのエンカウントがない。今はただ、何の気配もないダンジョンを歩いているだけで、昇級アイテム獲得という、もうひとつの目標達成の懸念に、ヴィヴィは少しばかり不満げな表情を見せていた。
「グリアム、お目当てがいないよ。モンスターのいる所に連れて行ってよ」
「おまえなぁ、簡単に言うなよ。出来るなら、とっくにやってるっつうの」
「アザリアが優秀な案内人って、言ってたんだからさ、何とかしてよー」
「何とか出来るなら世話ねえだろうが」
ヴィヴィに半ば呆れながら、グリアムはエンカウントへの淡い希望を持って前方を睨み続けた。
ダンジョンが哭いてでもくれりゃあ、ワンチャンあるか? なんてな⋯⋯。
仮にダンジョンが哭いたところで、そう都合よくいくとも思えないのだが、それすらすがりたくなってしまう。なすすべのないグリアムは、今はパーティーを前に進めるしかなかった。
ゴツゴツとした壁は震える事もなく、静かにパーティーを迎え入れている。そう都合よくダンジョンが哭く事などなく、パーティーは、20階へ繋がる回廊に向けて順調な歩みを見せていた。
パーティーの緊張が途切れがちなのも、こう何もなければ仕方がない。そんな思いに苛まれながらグリアムは淡々と揺らめく【アイヴァンミストル】の光の下、パーティーを導いていた。
「うん?」
通路を折れると、グリアムは、地面に転がる何かに違和感を覚えた。
布にくるまれた⋯⋯何だありゃ?
グリアムは、地面の隅に転がるそれに目を凝らす。
「チッ⋯⋯」
グリアムはその転がっている異物を足で転がしながら、静かに舌打ちをした。そこに転がっていたのは千切れた人の腕。肘から先が無造作に地面に転がっていた。
「あわわわぁ~腕ですか。あれ? でも、体が見当たらないですね」
サーラの好奇心が、グリアムの後ろから覗きこませる。盛大に顔をしかめたものの、すぐに落ち着きを取り戻した。
「師匠、血溜まりも見当たりませんね。モンスターがここまで運んだのでしょうか?」
「かもな。さっきの単眼鬼か⋯⋯」
「何だかちょっとイヤな感じですね」
「まあな」
サーラの言葉にグリアムは辺りの気配を探る。危険な気配を求め、グリアムは鋭い視線を周辺に向けていった。だが、そんな気配は微塵も感じず空振りに終わる。
「何も感じませんね」
グリアムと一緒に辺りを探っているサーラも、同じように空振りを告げた。
「気を抜くな」
グリアムは自身に言うかのように、言葉を零すと再び歩き始めた。パーティーも、転がる腕を避けながらグリアムの後に続く。そしてしばらく何事もなかったかのように進むと、曲がり角の手前で、グリアムの足が唐突に止まった。
「師匠、どうしました? 罠でもありました?」
サーラの言葉にグリアムは、“見ろ”とばかりに身を引く。サーラはグリアムの前に出ると、曲がった先をそっと覗き込んだ。
「⋯⋯うっ」
サーラは口を押さえながら、思わず目を背けてしまう。そんなサーラの姿に、他の者達も次々に覗き込み、固まってしまった。
壁面は血飛沫が赤く染め、地面の血溜まりにいくつもの人が沈んでいる。人の形を成している者はほとんどなく、引き裂かれた体から臓物が飛び出し、漂う生臭い鉄の臭いに、生を感じる物は完全に掻き消されていた。
「酷い⋯⋯」
そのあまりにも凄惨で、悲惨な光景に、イヴァンは自らのパーティーを重ねてしまう。
神妙な面持ちでそう呟くのがイヴァンには精一杯で、他の者達は言葉を発する事すらままならないほどの衝撃を受けてしまっていた。
そんな中グリアムは、無言のまま転がる躯へと歩み寄って行く。
一体何人転がっているのか。
足の踏み場すらないのでは、と思えるほど転がっている、かつて人だった物に、だれも正確に数える事など出来ない。
グリアムが足を踏み入れると、グシュ、グシュっと地面に出来た乾き切っていない血溜まりが、グリアムの足跡を作る。グリアムは、苦悶の表情で絶命している上半身から、おもむろに血塗れのタグを引きちぎっていった。
「こ、これって、さっきの単眼鬼⋯⋯」
ヴィヴィは、やっとの思いで言葉を零す。ここまで凄惨な現場は初めてだったのだろう。呼吸は浅く、パニックを起こさないように必死なのが、その表情から伝わった。
グリアムとベアトリ以外、初めて遭遇した凄惨過ぎる現場に、思考も体も停止していた。皆、ヴィヴィとそう変わらない。努めて冷静でいようと必死なのが、グリアムとベアトリには伝わった。
「きっとね」
ベアトリはそう言って、ヴィヴィの肩をそっと抱き寄せると、ヴィヴィの肩は小刻みに震えていた。
イヴァンも勇気を振り絞り、血溜まりへと足を踏み入れる。サーラやオッタ、ルカスもそれに続く。足の運びは落ちている人だった物を避けるように慎重な動きを見せながら、凄惨な現場に足を踏み入れた。
グリアムに倣い、タグを探す。赤一色に染まった現場でそれは困難を極めた。飛び散った体と共に、吹き飛んだであろうタグを求める。
地面に突き刺さる槍が、千切れた腕の握る剣が、必死に抗った事を伝えていた。
欲をかいて背伸びした結果か。
とはいえ、こいつはいくらなんでも、やられすぎじゃねえのか?
顔を上げたグリアムは改めて惨状を見渡し、怒りにも似たやるせない思いに苛まれる。
いくら本人達が了承したとはいえ、こうなるのが分かった上で、人を使い捨てる【ライアークルーク(賢い噓つき)】のやり方は、受け入れる事など到底出来る訳がなかった。
イヴァンやサーラが、グリアムへと血塗れのタグを差し出す。増えていく血塗れのタグは、グリアムのやるせなさを募らせる。
「なぁグリアム、こいつらは単眼鬼一匹にやられたのか?」
オッタは血溜まりだらけの地面をまさぐりながら、疑問を投げかけた。これだけの惨状を、強力なモンスターとはいえ、たかが一匹によって作り出されたとは思えない。
「単眼鬼一匹って事はなさそうだ⋯⋯ほれ」
グリアムはそう言って真っ赤に染まるトロールの腕を拾って見せると、言葉を続けた。
「詳しい状況は分からんが、単眼鬼と対峙している間に、トロールの群れに出くわしたか、その逆か⋯⋯。さすがに弱いヤツらとはいえ単眼鬼一匹に全滅はねえだろう」
「そうか。こいつらが、抑えている間に別のパーティーが、先へ進む。【ノーヴァアザリア(新星のアザリア)】もそうやっていたものな」
「ああ。だが、【ノーヴァアザリア】は人を使い捨てるような事はしねえ。【ライアークルーク】は、転がっているこいつらは肉の壁程度にしか考えてねえ。そこはだいぶ違う」
「肉の壁ね⋯⋯随分と命を安く見ているんだな」
「相容れる事はねえな」
「そうだな」
こんな最中にありながら、オッタはふと笑みを零した。
「何が可笑しい?」
「いや、あんたも命を大事にする派だったなって、改めて思っただけだ」
「悪いかよ」
「いいや、全然。むしろそうあってくれないと」
怪訝な表情を向けるグリアムに、オッタはさらに笑みを深めて見せた。
「ちょ、ちょ、ちょ、ちょっと、こっちに来て下さい!!」
凄惨な現場に、サーラの切迫した声が鳴り響いた。