その告白と報告 Ⅰ
———私は真っ暗なとても狭い空間にいた。
強く覚えているのは恐怖という感情。でも、何を恐れていたのかは思い出せない。ただ、ずっと怯えていた。それと同時に、何か胸にぽっかりと穴が開いたように、虚しく寂しいような悲しい思いが私を包んでいた。
目を開けても、閉じていても、目の前は黒一色。なんで? どうして? なぜここいるのか全く分からなかった。ただ、朦朧とする頭の中で、ずっと“ここから出なくてはいけない”という強迫観念にも似た思いだけがグルグル回っていたの。
しばらくして、暗闇に目が慣れて来ると足元に微かな光を感じて、私はずりずりと足元へと体を引き摺って行く。
淡い光の射す坑道に出たけど、右も左も分からない。ここがどこなのか、さっぱり分からない。だから私は歩き回った。モンスターを焼き払ったり、逃げ回ったりしながら、ダンジョンを必死に歩き回った。でも、どこに向かえばいいのか、何を目指せばいいのか、全く分からない。
上に向かう階段を見つけたら上に向かう。それは本能に従っただけで、正解かどうかも分からない。ただもう本能に従って足を動かし続けた。それしか出来なかった。
もうダメ⋯⋯って、諦めかけた時、ふたりの人影が見えた。そのふたりに私は全てを託して、気を失ってしまったの。だって、ふたりの姿を見つけた時、とてもとても安心したんだもの。
ひとりじゃなくなる。
ってね———。
ヴィヴィはそこまで一気に話した。だれも口を挟むこともなく、ヴィヴィの柔らかな声色に耳を傾けた。覚えている記憶の断片を伝えきったヴィヴィの姿に、だれも噓偽りは感じない。この場を覆うその空気にヴィヴィは言葉を続けた。
「ジルニトラ⋯⋯災禍と門出の龍。黒い龍って聞いて、この言葉だけが、パって浮かんだの。でも、これだけしか分かんない。ごめんなさい⋯⋯」
「謝る事なんてないよ。良く話してくれたね」
ラウラはヴィヴィに、シシシといつものような笑顔を向ける。
「ちなみにですけど、ヴィヴィさんの記憶はこれだけですよ。この記憶も最近思い出したばかりですからね」
サーラは、割り込むようにヴィヴィのフォローに回る。その言葉を聞いて、シンはグリアムへと向き直した。
「おい、案内人。おまえは親から、【魔族】の事を聞いてねえのか?」
「物心ついた時には死んじまってたからな。これといって何も聞いてねえよ」
その言葉にシンは納得するしかなく、グリアムは溜め息混じりに答えると椅子に深く座り直した。
「【魔族】にとって災禍⋯⋯天災と並び評する怪物。いち怪物としては少々大仰な気もするが、それほどまでに厄介なものという事か。だが、門出というのが分からんな。災禍とは相反する意味のように感じるが⋯⋯何か違う特別な意味でもあるのだろうか」
腕を組み眉間に皺を寄せているハウルーズが、ヴィヴィのもたらした僅かな情報から必死に精査を試みた。
「確かに“門出を祝う”とか言うものね。天災を祝うなんて事はありえない。【魔族】の人達にとっては吉兆の兆し? でも、災禍⋯⋯天災でもある⋯⋯」
ハウルーズと共にアザリアも、考え込んでしまう。その様子をヴィヴィはそっと覗き込み、ラウラに耳打ちする。
「もうだれも怒ってない?」
「怒ってないよ。最初からヴィヴィちゃんに怒ってた訳じゃないんだよ。龍にコテンパンにやられちゃって、イライラしてただけだから。心配しなくていいよ」
「【魔族】の方は⋯⋯」
言い辛そうに上目遣いを見せるヴィヴィにラウラは満面の笑みを見せた。
「ここではだれも気にしてないよ。【魔族】を初めて見て、ちょっとびっくりしただけだよ」
「そう?」
「そうそう」
「えっ? ヌシは【魔族】なのか?!」
「ちょっとゴア、今そこ?」
「ワシらと何も変わらんじゃないか」
「はぁ? 何だと思ってたのよ」
「【魔族】なんて言うからよ、なんかこう⋯⋯でっかくって、毛むくじゃらでよ、おっかねえ姿だと思ってたわい。ビビッて損したわ」
「それはもう人じゃないじゃん! まったく⋯⋯人の話はちゃんと聞きなさいよ」
「なんかよう、難しくてな。要はアイツを倒せばいいんじゃろ」
「簡単に言うけど、一筋縄ではいかないよ」
「毎度のことじゃて」
「ま、そだね」
何故か最後にラウラは言いくるめられてしまい、ゴアに向かって頷いていた。そんな緩いやり取りに、ヴィヴィの緊張もいつの間にか緩んでいた。
「何にせよ、ここだけの話にしてくれ。口外は厳禁で頼むぞ」
グリアムはみんなを見渡しながら、あらためて釘を刺す。情報が漏れた時の影響が良い方向に向くはずはなく、グリアムの懸念はその表情から読み取れた。
「その点はわきまえております、大丈夫です。ちなみにこの事を知っている方って⋯⋯」
アザリアは、リーダーの顔でグリアムへと向く。
「ギルドの受付のミアと、【ルバラテイム】の店長フルーラだ。もしかしたら、夜間受付のアクスも気が付いてるかも知れん」
「分かりました。みんないい? いらないことを口走っちゃダメだよ。ウチの構成員にもだからね」
シンやハウルーズが頷くと、ゴアも慌てて頷いた。ラウラは頷く代わりにヴィヴィの肩にポンと手を置き、微笑んで見せた。
■□■□
【ノーヴァアザリア(新星のアザリア)】との会食から数日が経った。ヴィヴィの告白の衝撃も日々の生活に飲み込まれ、激動の潜行の反動からか、必要以上に平穏を取り戻そうとしているのか、ゆったりとした日々を過ごしている。そして今日は、テールを引き連れるグリアムとヴィヴィが、【ルバラテイム】の扉を叩いた。
「フルーラ!」
「やぁ、ヴィヴィいらっしゃい、テールも元気だったか? そんで、今日はおまえもいるのか、珍しいな」
「まあな」
ヴィヴィとテールは慣れたもので、テールはフルーラの待つ診察台の上に軽やかに飛び乗り、ヴィヴィはいつものように動物達の元へと戯れに行ってしまう。
フルーラは体重を計り、丁寧に触診をしていく。体の大きなテールの診察は大変なようで、フルーラは額に滲む汗を拭った。
「こいつはもうこれ以上デカくならんのだろ?」
「そうだな⋯⋯体重も身長も止まった⋯⋯かな。何もかも初めて過ぎて何とも言えんが」
「これでも十分デカいんだ。勘弁してくれ」
「私に言われてもな。まぁ、虎くらいか⋯⋯もうちょい大きいか? これ以上大きくなると犬と呼ぶには厳しくなるな」
「頼むぜ、マジで」
「だから、私に言うなって⋯⋯で、今日は何だ? 何かあったんだろう? よし、テールいいぞ!」
フルーラが、テールのおしりをポンポンと叩くと診察台から飛び降り、ヴィヴィの元へと駆け出した。