そのダンジョンシェルパはA級(クラス)を導く XIX
「では、早速ですが、グリアムさん。ひとつお願いしても宜しいでしょうか?」
神妙な面持ちのアザリアがグリアムの顔を覗き込むと、グリアムは少し躊躇を見せながらもすぐに頷いた。
「分かった、出来る事なら⋯⋯」
「私の防具が使い物にならなくなってしまったので、グリアムさんは潜行者として、25階まで同行して頂けませんか? 荷物は私が背負いますので⋯⋯」
「分かった。オレはスピード特化型だ。避け盾役も出来る。武器はナイフ、罠は使えない。アザリア、オレを上手く使ってくれ」
グリアムの即答にアザリアは自分で聞いておきながら、ドギマギしてしまう。
「へ!? あ、は、はい!」
「あんたなら問題ないだろう」
「わ、分かりました。じゃあ、みんな! 上に戻ろう。記録は更新したし、ゴアも無事に昇級出来るしね。それに龍の報告もギルドにしないと⋯⋯さぁ、行くよ!」
アザリアの号令で通路を後にする。アザリアは、恐る恐る空間へ顔を出し、投げ捨てた背負子を背負い直すと、ナイフを構えるグリアムとゴアを先頭に、パーティーは上を目指す。
■□■□
20階に辿り着いた【クラウスファミリア(クラウスの家族)】は、目的地を目前にして、だれが言うでもなく自然と小走りになっていた。マッテオの指示に従い、アリーチェの待つ休憩所へと急ぐ。
迫り来るモンスターを斬り捨て、薙ぎ払い、パーティーは可能な限り最速で進んでいた。
「すまん! 遅くなった! アリーチェは大丈夫か?」
休憩所へと飛び込んだマッテオを見上げるハイーネとカロルの表情は、憔悴しきっている。擦り切れた気疲れが、ふたりの体力を削り取っているのが伝わった。
「マッテオ! 待ってたぞ⋯⋯アリーチェがヤバイんだよ」
横たわるアリーチェの容態が思わしくないのは、だれの目にも明らかで、アリーチェに視線を戻すハイーネの心労が痛いほど理解出来た。
「すいません、診せて下さい」
ルイーゼはマッテオを押しのけ、横たわるアリーチェの前に進み出ると、すぐに容態を把握していく。
呼吸が浅く早い。脈も弱いですね。
雑に巻かれている体中の包帯に血が滲み、抉れた頬の肉のせいで口が大きく裂けているかのような、不気味な様相をみせていた。そんなアリーチェの顔から、血の気は失せており、ルイーゼの姿を見ても言葉を発する事さえしない。みるみる失せていく生気に、危険な状態であるのは一目瞭然だった。
ルイーゼの表情が硬くなる。アリーチェの容態が、ここまで酷いとは正直思っていなかった。
アリーチェを囲むように見つめるイヴァン達も掛ける言葉が見つからず、静かにその光景を見守る事しか出来ない。ヴィヴィは何も出来ないもどかしさに唇を噛み、サーラは胸の前できつく両手を組み、アリーチェの回復を願っていた。
「リー! 回復薬の準備を! ハイーネさん、呼吸が浅くなってからどれくらいですか?」
「どれくらいだろう? 結構前からだぞ。時間の感覚がおかしくなっちまっているからな、何とも言えねえ。なぁ、アリーチェは助かるか?」
「助けます、助けないと。ただ、ここまで血を失っていると強いヒールは逆効果の可能性があるので、強くないヒールと回復薬の併用で治療に当たりたいと思います。リー、準備出来たら、アリーチェさんに回復薬を飲ませて。アリーチェさん! すぐに楽になりますからね。もうちょっとだけ、頑張って下さい!」
ルイーゼの励ましにアリーチェが答えられる訳もなく、力のない視線をルイーゼに向けるのが精一杯だった。
アリーチェの呼吸が早くなっていく。吸っても吸っても血液が足らず、体中に酸素が送る事が出来ず苦しいのだろう。かろうじて開いている瞳から、意識が朦朧としているのが伝わり、焦りが伝播してしまう。
「ルイーゼ! 薬が零れちまう」
「いいから続けて! 薬は余分に持って来てるんだから、出し惜しみしないで!」
アリーチェの口元から零れ落ちてしまう回復薬。飲み込む事さえままならないアリーチェの容態に、リーは焦りと動揺から思わず叫んでしまった。だが、ルイーゼは動揺する事なく指示を飛ばし、アリーチェに対峙する。
「大丈夫だよ、アリーチェ。もうちょっとだけ頑張ろう⋯⋯ね」
ヴィヴィはアリーチェの側にしゃがみ込むと、口元から零れ落ちる回復薬を、自身の袖口で優しく拭った。
「【癒光】」
ルイーゼの掌から拳大の白光球がアリーチェに落ちて行く。その光景をそこにいるだれもが、固唾をのんで見守っていた。
アリーチェの顔や体にあった小傷がみるみるうちに消えていく。見守っている者達は、その光景に安堵を見せるが、ルイーゼの厳しい表情は変わらなかった。
「リー、もう一度回復薬を。アリーチェさん、もう少しですからね」
「治ったんじゃないの?」
「姉様、パッと見は傷が消えて治ったように見えますが、目に見える表層部分が治っただけで、体の深部にあるダメージまでは治っていません。特に血が足りないのは、ヒールではどうもしようがないのですよ」
「そっか⋯⋯」
「次はさっきより強めのヒールを落としてみます。それで様子を見ましょう」
「ルイーゼ、頼んだよ」
ルイーゼは力強く頷き、また掌をアリーチェにかざした。
「【癒白光】」
今度は、人の頭ほどある白光球が、ルイーゼの掌からアリーチェに落とされる。ゆっくりとアリーチェの体に飲み込まれていく白光球を見つめるルイーゼの表情は、緊張を見せていた。
アリーチェの体が白光球をゆっくりと飲み込んでいく。ここいるだれよりも、ルイーゼの瞳は不安を映していた。予断を許さぬ状況であるのは、ルイーゼが一番感じ取っており、安堵はまだ遠い所にあった。
ルイーゼは、落ち切った白光球を確認し、リーへと振り返る。
「リー、回復薬を」
アリーチェの呼吸は深くなり、口に添えられた回復薬をゆっくりと飲み込むようになると、ルイーゼの表情からようやく緊張が解けていった。
「治った? 治ったの??」
「治ってはいませんが、とりあえず山は越えたと思います。ふぅ~」
ようやく安堵を見せるルイーゼが、ヴィヴィに答えた瞬間、膝から崩れ落ちてしまう。
「おっとと、大丈夫?」
「すいません、姉様。何かホッとしちゃって」
「ルイーゼ、凄いかっこ良かったよ! 治療師って、凄いね」
「最後のヒールは賭けでした⋯⋯思ったより体の中のダメージが酷くて。最後はアリーチェさんの生命力を信じて、強めのヒールを落としました。でも、一歩間違えていたら、アリーチェさんの最後の体力を削り取ってしまったかも知れませんでした。本当に⋯⋯本当に良かったです」
「本当に凄いよ! ルイーゼ、ありがとう」
「いえいえ姉様、私はヒールを落としただけですから」
横たわるアリーチェにふたりは視線を向ける。顔色は優れないままだが、苦し気だった呼吸は先ほどより幾分落ち着いていた。だが、抉り取られてしまった肉が戻る事はない。顔をはじめ体中の抉られた箇所が、小傷が消えた事により浮き彫りになってしまっていた。
「アリーチェ、お疲れ。ゆっくり休むんだよ【入眠】」
ヴィヴィがアリーチェにかざした掌から柔らかな桃色の光が降り注ぐ。アリーチェはゆっくりと目を閉じ、深い寝息を立て始めた。
「ね、姉様! 何ですか? その魔法! モンスターも眠らせる事が出来るのですか?? どうやるんですか??」
「え? へ? これは“お休みなさい”の魔法で、モンスターには効かないよ。どうやるって言われても⋯⋯」
ヴィヴィはすがる思いでサーラに視線を送る。ヤレヤレと微笑みながら、サーラはルイーゼを覗き込んだ。
「ルイーゼさん、ヴィヴィさんの魔法は独学なので、全部感覚でやっているのですよ。なので、残念ながら他人に教える事は出来ないのです」
「感覚ですか⋯⋯そうですか⋯⋯やはり姉様は天才なのですね。教えて貰えたとしても無理そうですもの」
「そうですよ、ヴィヴィさんは天才なのです。でも、ルイーゼさんも私から見たら天才ですよ。アリーチェさんを前にした落ち着きは、別人かと思いましたもの」
「あ、いえ、そんな⋯⋯。C級の【クラウスファミリア】の皆さんが、A級のモンスターにも臆する事なく飛び込んで行ったじゃないですか。あの光景に私、勇気を貰ったんです。きっと、リーも同じだと思います。やれる事をしっかりやる。そして、一瞬の判断が命運を分ける⋯⋯アリーチェさんにヒールを落とせるのは、私だけですから、だったら、飛び込むしかないじゃないですかって」
サーラの言葉に照れてはにかむルイーゼだったが、飛び込むしかないと言い切った表情は、どこか晴れやかだった。