そのダンジョンシェルパはA級(クラス)パーティーを導く XIV
黒龍へと駆けだしたグリアムが、背負子を投げ捨てた。
それは、案内人としての自分を、今この場でかなぐり捨てたという事。
逆手にナイフを握り締め、禍へと自ら飛び込む。
パーティーは、何がグリアムをそうさせるのか分からぬまま、黒龍へと無謀な疾走を見せるその姿を、視界の片隅で捉えていた。A級を凌駕するそのスピードに、シンは驚きと共に不快を露わにする。
「あ? おっさん! てめえ、何勝手なことしてんだ!」
シンの言葉など気にも留めず、グリアムは黒龍の前脚へと疾走する。
なんか様子がおかしくない?! いつもグリアムさんじゃないよ。
その様子を見つめ、アザリアは困惑する。
え! 陽動じゃないの? さっきの目配せは何??
その様子は、ラウラの思考は混乱させる。
怒りに駆られ、冷たいオーラを纏うグリアムの姿から、アザリアやラウラは危うさしか感じない。自ら死地に赴く無謀な行いとすら映っていた。
「「グリアムさん!!」」
アザリアとラウラの叫びにも、グリアムは何の反応も見せない。その瞳は黒龍しか見つめておらず、グリアムの中からパーティーの存在は消えていた。
グリアムは、黒龍の前脚に足を掛けると、そのまま上へ上へと黒龍の脚を跳ね上がって行く。トン、トンと、まるで軽業師のような軽やかな身のこなしで、黒龍の背中にたどり着くと、突き刺さっている剣を一瞥して、長い首を経て頭へと駆け上がって行った。
「あいつは一体何をしたいんじゃ?? んがっ!? 来るぞ!」
『『ゴオオオオオオオオ』』
ゴアは黒龍が大きく頭をもたげる姿が目に映り、黒龍に集中を戻す。黒龍はそのまま頭を下げ、地面を這うように蒼炎を吐き散らし、地面に青い炎を広げていく。
「来るよ!」
アザリアの叫びが響く。パーティーは青い炎から逃げるように、空間の隅へと追いやられた。反撃など出来る訳もなく、退路は青い炎によって瞬く間に塞がれていく。地面の冷たい炎の揺らめきは、さざ波のように地面を揺らし続け、パーティーの動きを取れなくした。
グリアムは地面を這う黒龍の首を一気に駆け抜け、巨大な頭へと迫る。グリアムの存在を鬱陶しいとばかり、黒龍は激しく頭をもたげた。グリアムはそのまま黒龍の頭を蹴り、頭上高く舞い上がる。グリアムのオッドアイと黒龍の金眼が絡み合う。絡み合う互いの視線は、冷え切っていた。
「ハアアアアアアッーー!!!」
「グリアムさん!!」
感情を剥き出しにグリアムが吼える。グリアムの心の中に灯る冷たい青い炎。
黒龍へ刃を向ける危ういグリアムの姿に、アザリアは思わず叫んでしまう。
グリアムの危うい姿を前にしても、名前を叫ぶ事しか出来ない、悔しさと、もどかしさ。そして、募る不安。
アザリアの表情は、複雑な感情に歪み、険しさが増してしまう。
ズシュッ。
グリアムの両手に握られたナイフが、黒龍の金眼に深々と突き刺さる。
ズズッ⋯⋯。
グリアムの全体重の乗ったナイフが、縦長の瞳孔をゆっくりと切り裂いていく。
『『グギャアアアアアアアア』』
黒龍はグリアムを振り落とそうと、激しく頭を振った。そこには傷つくはずがないと思っていた黒龍自身の慢心なのか、頭を振り続ける姿は動揺しているようにすら映る。
「みんな! こっち!」
ラウラはその動揺を見逃さなかった。素早く通路へと飛び込み、パーティーの退路を見出す。
「⋯⋯クッ」
ナイフを握る体が、空中で激しく左右に振られた。その眼球に深く食い込んでいた刃が、グリアムの体の揺れに合わせ、少しずつ緩んでいく。
ヌプっと、眼球から刃が抜ける感触が伝わると、グリアムの体は空中へと放り出されてしまう。
「おっさん!」
シンがグリアムの方へと駆け出した。このまま30M下に叩きつけられたら、ただで済むはずがないと手を伸ばす。
「来んな!」
「はぁっ?!」
グリアムの叫びは、シンを慮る叫びではなく、獲物を横取りするなと言わんばかりの冷たさを孕んでいた。シンはその叫びに混乱し、足は急停止してしまう。
グリアムは空中で体をひねり、不安定な首元へと足を掛けた。転げ落ちそうになりながらも、首元に突き刺さっている一振りの剣に手を伸ばす。
⋯⋯届く。
グリアムが剣の柄に手が掛かる———。
『『ギャアアアアアアアアアアア』』
黒龍が背中の異物を排除しようと、大きくのけ反った。ただでさえ不安定な足場に、グリアムの手は空を切り、剣の柄は遠ざかる。制御を失ったグリアムの体は黒龍の背中から転げ落ち、そのまま地面に体を激しく打ち付けた。
「ガハッ!」
グリアムは、呼吸が出来なくなるほど激しく背中を叩きつけ、その痛みに体が硬直してしまう。
「クソ⋯⋯」
地面に仰向けるグリアムは悔しさを露わにする。
もう少しだった⋯⋯指先は触れていたのに⋯⋯。
だが、禍が物思いに耽る時間など与えるわけなどない。
片目を真っ赤に染めながら、黒龍は地面に転がるグリアムを見下ろしていた。目から流れ落ちる血が、地面に血溜まりを作る。自身の血が付いたナイフを握る男を許す訳もなく、感情の薄いその表情からも、怒りの圧は沸点を迎えているのが十二分に伝わった。そしてその怒りは、巨大な口をグリアムに向ける。
『『ゴオオオオオオオオ』』
焼き払う。
黒龍はただその一点だけに激しい執着を見せる。
しくじった!
体の硬直が、グリアムに避けられぬ禍を呼び込んでしまう。
黒龍の大きな口から、蒼炎が吐き出される。全てを焼き尽くす黒龍の青い炎が、怒りのままにグリアムへと向いた。
空気の揺らめきがグリアムに迫る。グリアムは、仰向けのまま、その揺らめきを見つめる事しか出来ず、死という一文字が頭を過り、高い天井へと視線を移した。
そして次の瞬間激しい衝撃がグリアムを襲う。
「ぐあああっ!!」
熱とは違う衝撃にグリアムの頭は、状況を理解出来ない。
アザリアが悲痛な声を上げながら、グリアムを突き飛ばし、覆いかぶさっていた。
アザリア⋯⋯。
困惑するグリアムに、ラウラの叫びが届く。
「グリアムさん! こっち!」
声の方へ振り向くと、すぐ側の通路からラウラが手招きをしていた。
「アザリアも連れて来て!」
ラウラの続く言葉に、地面でうつ伏せ、苦悶の呻きをあげているアザリアの姿が、グリアムの頭を現実に引き戻す。外套は焼け落ち、最高硬度を誇るアダマンタイト製の防具は、無残にアザリアの背中で溶けていた。
その痛々しいアザリアの姿に、グリアムは我に返る。こちらを見下ろす黒龍の舐る視線に背を向け、グリアムはアザリアを抱え、手招きするラウラの方へと駆け出した。
「早く! 急いで!」
ラウラの叫びは続く。背中から感じる圧からは、死の臭いが漂う。
『『ゴオオオオオオオオ』』
グリアムとアザリアを狙い撃つ蒼炎が迫る。熱は感じなくとも空気の揺らめきは、背中からでも感じてしまう。全てを焼き尽くす青い炎が、グリアム達へと迫る。
グリアムは、アザリアを守るように抱えたまま通路へと飛び込んだ。
次の瞬間、青い炎が通路の入り口を掠めていく。
助かった⋯⋯。
「早く奥へ! 早く!」
ラウラが行き止まりで、激しく手招きをする。
禍の執念が迫る。
背中からの圧は、最大限の警鐘を鳴らし、グリアムは通路の入口へと振り返った。
そこには、通路ごと焼き払おうと、黒龍が口を開き、入口を塞いでいた。
『『ゴオオオオオオオオ』』
炎より早く。
だが、アザリアを抱え、グリアムの足は思うように前へと進んではくれない。通路の中を蒼炎が襲い掛かる。空気の揺らめきが、逃げ場のないパーティーに迫る。襲い来る青い炎の焦りから、足の運びは覚束なかった。
グリアムは、アザリアを抱え、通路の奥を目指す。覚束ない足を無心で動かしていく。
背中越しに空気の揺らぎを感じる。パーティーを焼き尽くす青い炎がすぐそこまで迫っていた。
「どきなさい⋯⋯【アイスウォール】」
アザリアを抱えるグリアムを押しのけて、ハウルーズが前に出る。ハウルーズの放った青い光は巨大な氷の壁と化し、眼前の通路を氷漬けにした。
だが、じわじわと氷が溶けているのが伝わる。厚い氷の壁を突き破ろうと、青い炎が氷の壁を溶かし続けた。
炎と氷が温度を相殺しあい、激しい水蒸気が視界を奪う。逃げ場のないパーティーは、じっとその光景を見つめるしか出来なかった。
氷を溶かす炎の轟音だけが、通路に鳴り響く。状況が見えぬまま、ハウルーズの氷が青い炎を防ぐのを願うしかなく、パーティーは固唾をのんでその光景を見つめるしかなかった。