そのダンジョンシェルパはA級(クラス)パーティーを導く XIII
体長30Mはある漆黒の龍。
間違いなく、S級の禍と呼べるものとの遭遇に、パーティーの思考も、体も、停止してしまう。
ダンジョンから産み落とされたその姿は圧倒的であり、グリアム達はその姿にただただ見入ってしまった。パーティーの抗う心をいとも簡単にへし折るほどの圧倒的な存在。そして力の差を感じ取ってしまう。
体を支える四つ足は極端に短く、黒く光る鱗を全身に纏っている。上顎と下顎から突き出ている巨大な牙と背中から生えている短い羽。長く太い尾は地面を引きずり、爬虫類のような縦長の瞳孔を持つ金眼が、長い首の先からパーティーを見下ろしていた。
その瞳孔はどこまでも冷徹で、虫けらでも見るかのように舐めた視線をパーティーに向けている。
龍?? そんなもんは、お伽噺の中だけだろ?!
こいつはダメだ。
ここは逃げの一手。この状況で、あんなもん相手にするなんざあ、悪手でしかねえ。
「下がれ! 逃げ⋯⋯」
『『グガギャァアアアアアアアアアア』』
グリアムの声は掻き消されてしまう。
耳をつんざく咆哮が鳴り響き、パーティーの体を硬直させる。だがゴアだけは、その咆哮に前衛としての矜持からなのか、反射的に大盾を握り締めていた。
『『ゴオオオオオオオオ』』
「ふん!」
黒龍がゴアに吠える。それに怯むことなく、ゴアは大盾を持つ手に力を込めた。大盾を構えるゴアへと向かう空気のゆらめきが、グリアムの目に映る。
刹那、肌が粟立ち、激しい警鐘が今までにないほどグリアムの頭の中で鳴り響く。
それは長い経験から来る勘でしかない。だが、グリアムは叫ぶ。激しい警鐘が、本能のままグリアムを叫ばせた。
「ゴア! 受けるな! 横に飛べ!!」
グリアムの切迫した叫びに、ゴアは横へと転がる。困惑しながらも転がったゴアのすぐ横で、青白い炎が揺らめいていた。
「こいつ! 見えねえ火を吐くぞ!」
『『ゴオオオオオオオオ』』
ゴアは叫びながら再び横に転がった。青白い炎の揺らめきは、全てを燃やしつくす業火の揺らめき。大盾を握りしめるゴアの手の平から、じわりと汗が滲み出る。
青白い炎からは、熱を感じられない。
その冷たい炎は不気味さを増しながら青く揺らめき続け、パーティーの警戒心を激しく煽った。
「散れー!!」
アザリアの叫びに、パーティーは散り散りになりながら後ろへと跳ねる。自身の恐怖を押さえつけ、混乱を見せないのは、A級としての矜持なのだろう。
黒龍に的を絞らせまいと、黒龍を囲むように各々距離を取っていった。黒龍は散り散りになった獲物をゆっくりと見回していく。余裕とも取れる黒龍の緩慢な動きは、パーティーから余裕を奪っていった。
初見のエンカウント、そして襲い掛かる圧倒的な力の差に、生まれるのは畏怖の念。しかも事前知識なしでの対峙となれば、だれも打開策を思い浮かべる事は不可能だろう。
「【アイスランス】」
ハウルーズの放った氷の矢は、鈍い光を放つ黒い鱗が簡単に跳ね返してしまう。
「ッツ!」
「ハウルーズ、魔法はダメみたいだね。後ろに下がっていて」
悔しがるハウルーズは、アザリアの指示通り素直に後ろへと下がった。
睨みあうパーティーと黒龍。互いに次の一手に向けて、タイミングを計り合う。だが、その一手が浮かばず、パーティーは閉塞感に苛まれた。
細い通路に逃げ込めば、あれは追っては来れん。問題はどうやって逃げ込むかだ。
オレが隙を作って、パーティーを通路に飛び込ませる⋯⋯しかねえよな⋯⋯行くか。
グリアムが後ろ腰に挿しているナイフを確認する。
対峙している【ノーヴァアザリア(新星のアザリア)】に、気を取られている黒龍の隙を突こうと地面を蹴った。
音を立てず、気配を殺し、細心の注意を払いながら黒龍の死角へと回り込んで行く。
まずは黒龍の意識をこっちに向け、その隙を突いてパーティーを通路へ飛び込ませる。
だれでもいい。こっちに気が付け⋯⋯。
グリアムは足を動かしながら、【ノーヴァアザリア】に視線を送り続ける。
ラウラが黒龍に気を取られながらも、グリアムの視線に気が付いた。グリアムはすぐに顎で通路を差し、ラウラはそれに頷いて見せる。
「みんな! 通路! 飛び込むよ!」
『『グガギャァアアアアアアアアアア』』
ラウラの叫びを掻き消すように、黒龍の咆哮でダンジョンが震える。対峙する【ノーヴァアザリア】は恐怖に飲み込まれまいと、高らかに吼える姿を睨み、必死に抗った。
今か⋯⋯。
グリアムが、黒龍の背後を取った。ナイフを構え、黒龍から隙を作らんと、黒龍の足元へと迫る。
ほら、こっちを向け⋯⋯。
グリアムは隙を作るべく、ナイフを黒龍の足先へと振り上げる。
「飛び込⋯⋯め⋯⋯」
ナイフを振り上げた手が止まってしまった。
目に飛び込んで来た光景に、グリアムは言葉を飲み込んでしまう。
グリアムの視界に飛び込んで来た、黒龍の首元に突き刺さっている一振りの剣。
まばたきを忘れたかのように、その光景を凝視してしまう。
何が? どこで? どうなって?
何を見させられているのか、グリアムの思考が追い付かない。
嘘だ⋯⋯ありえん⋯⋯嘘だ⋯⋯。
困惑、混乱、絶望、そして怒りと憤り。
グリアムの頭の中は、ミキサーをかけられたように思考はぐちゃぐちゃに撹拌され、やがて感情は怒りに塗りつぶされた。
■□■□
17、18階とイヴァン達は、エンカウントを繰り返しながら歩み続けていた。だれもが小さな傷を体中に作り、だれもが削り取られた体力から肩で息をしている。それでも【クラウスファミリア(クラウスの家族)】の集中は途切れる事なく、19階へと足を踏み入れた。20階を目の前にして、自然と士気は上がっていく。アリーチェの待つ休憩所まであと少し、もう手の届く所まで来ているという思いがパーティーの背中を押していた。
「もう少しですね」
「ああ」
イヴァンは前を行くマッテオに声を掛けた。B級とは言え、深層を何度も行き来するのはさすがに堪える。マッテオの体力も限界に近いのは、だれの目にも明らかだった。足を前に進める原動力は、アリーチェを憂う気持ちだけで、俯きかける顔を前へと向ける。
まとわりつく空気さえ体に重くのしかかり、足が地面にへばりつく感覚は足をいっそう重くした。
それでも確実に下へと繋がる回廊に近づいて行く。一歩、また一歩とアリーチェに近づくほど、パーティーの士気は上がっていった。
だが、ダンジョンの理は、そんなパーティーを嘲笑うかのように襲い掛かる。通路の先から感じる異変にマッテオの足は止まってしまった。
「嘘だろ⋯⋯」
マッテオの口から零れた言葉に、イヴァンも表情を曇らせる。異変は脅威へと変わり、緊張がパーティーに襲い掛かった。
ズズン! ズズン! と、どこかリズミカルで軽妙な、だが重い足音を響かせながら5Mはくだらない緑色の巨体が迫って来た。筋肉質な体に異様に長い極太の腕を器用に使い、パーティーへと迫る。短く太い足は見た目とは違い軽やかに跳ね、嬉々として見える姿が不気味に映った。
異様なのは大きな目がひとつしかない顔。
血走った目はギョロっとパーティーを見据え、下顎から飛び出る牙に、額から生える鋭い一角。口角の上がった口元は笑っているようにも見え、その表情はパーティーの危機感を煽った。
「単眼鬼⋯⋯なんでここに⋯⋯深層だぞ⋯⋯最深層じゃねえんだぞ」
茫然と佇んでしまうマッテオ。迫り来る緑体は容赦なく、パーティーとの距離を詰めて来る。マッテオは感じていた違和感を思い出し、盛大に顔をしかめた。
16階での大猪は単体じゃなかった。そしてありえない数の人喰い蜂の群れ⋯⋯あの時点で、すでに狂っていたんだ。
「うぉ! でけぇ~!」
ルカスは前を向きながら迫り来る緑体を飄々と見つめた。
「単眼鬼ですね。通常ですと26階からですが、イレギュラーですかね? 尋常ではないパワーの持ち主らしいので、一撃で致命傷を受けてしまう可能性が高いです。気を付けていきましょう」
「おほ、サーラ凄いね。魔法効く?」
「耐性があるらしく、全く効かないわけではないらしいですが、効果は薄いかも知れません」
「なにそれ! なんか生意気!」
ヴィヴィが迫る巨体を睨みつける。
「ま、やるしかないよね。サーラが言っていたように、みんな一撃に気を付けて。ルカスくんとオッタで攪乱、サーラと僕で、とりあえず突っ込んで行こう。ヴィヴィ、効果は薄いかもだけど、魔法でフォローを。マッテオさんは、ルイーゼとリーの護衛をお願いします。ここが正念場だよ」
イヴァンが剣を構えると【クラウスファミリア】は、それに倣い武器を構えた。
疲弊した傷だらけの体に鞭を打ち、顔を上げる。前に進むしかないと、だれの瞳にも力が宿った。