そのダンジョンシェルパはA級(クラス)パーティーを導く Ⅷ
「マッテオさん、これからどう動きます? ここでじっとしていても事態は好転しないですよ」
イヴァンの真っ直ぐな碧色の瞳から、マッテオは視線を逸らしてしまう。その思いに応える事が出来ないもどかしさが、マッテオの中でも積み上がっていた。
「んな事は、分かってるさ⋯⋯でも、どうすりゃあいいのか⋯⋯。この面子でアリーチェを上に運ぶなんて自殺行為だ。かと言って下で待機しているパーティーに助けを求めたくとも、オレ達だけで下を目指すのも自殺行為だ。リーダーのパーティーが帰って来るまで耐えるしかあるまい。ハウルーズの魔力が残っていれば、回復魔法で命は繋ぎ留められる可能性は高い。そうなる事を願うしかねえだろ」
マッテオの答えは、つまり今は何も出来ないと言っているだけだ。この場にいるだれもがその答えに納得している訳ではないが、それを覆せる答えをだれも持ち合わせてはいなかった。
だが、こうして手をこまねいている間に、アリーチェの状態が好転する訳もなく、悪化の一途を辿るのは目に見えている。
正論だよね。
現状を考えれば、きっとマッテオさんの言っている事が正しい意見だ⋯⋯でも⋯⋯回復魔法で、助かる可能性が上がるのなら一秒でも早く、アリーチェに回復魔法を⋯⋯。
イヴァンは包帯だらけのアリーチェに視線を移し、覚悟を決めた。
「マッテオさん、僕を上に連れて行って下さい」
「はぁ? 何言ってんだ?」
「確か、緩衝地帯で待機している方の中に治療師の方がいましたよね?」
「アリーチェを上に運ぶ気か? 無理だって言っただろう、死ぬ気か?」
「いえ。【クラウスファミリア(クラウスの家族)】が、ここに治療師の方を運びます」
「バカ言うな! おまえらC級だろう」
「18階までの経験はありますし、その時より心強い構成員が増えています。マッテオさんが手伝ってくれれば、やれます。いえ、やります」
「やりますって、おまえ⋯⋯」
「今は怪物行進のあとです。20階でのエンカウントは、考えなくていいですよね? 19、18、17、16階と駆け抜けてしまいましょう。行くなら今です」
マッテオは眉間に皺を寄せ、無謀だと言わんばかりの険しい表情を見せる。それでも、マッテオを見つめる碧色の瞳は、イヴァンの折れない意志を色濃く映し出していた。
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緩衝地帯に流れるゆったりとした空気に、【ノーヴァアザリア(新星のアザリア)】の補助を司る構成員達は、緊張感のない姿を皆見せていた。
「はぁ~疲れた」
「何言ってんだ? ルイーゼ。おまえ何もしてないじゃん」
「もう! 何言ってんの、したよー。さっき水汲んで来たんだよ。リーこそ何もしないじゃない」
「する事ねえんだから、仕方ねえじゃん」
「んじゃ、水汲み手伝ってくれれば良かったのに、もう! 下で、アザリアさん達は頑張ってるんだよ。ボーっとしてるだけじゃダメじゃない」
「はいはい」
「もう!」
そう言って頬を膨らます幼さの残る小さなエルフに、猫人の男はヒラヒラと軽薄に手を振りながら踵を返し、その場から逃げてしまった。
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「マッテオさん! 行きましょう」
「だがな⋯⋯」
煮え切らないマッテオに、イヴァンは詰め寄る。
「ほれ、これ持って、さっさと行きな」
ハイーネがイヴァンに回復薬を投げ渡す。唐突に投げ渡された小瓶に少し驚いてしまったが、ハイーネはそんなイヴァンに軽く微笑み、その背中を押した。
「ハイーネさん⋯⋯」
「ドワーフの足じゃ足手纏いになるだけだからな。坊主が言うように今がチャンスだ。ヌシも腹決めろや」
「チッ⋯⋯」
ハイーネはそう言ってマッテオを睨み、同じように回復薬を投げ渡した。マッテオは投げ渡して来たハイーネをひと睨みすると、地面で寝ているアリーチェに視線を落とす。
「マッテオさん!」
「分かった、分かったって。厄介なエンカウントは無視だ。スピード勝負、いいな」
「はい!」
「ハイーネ、あとは頼む。カロル、アリーチェを頼んだぞ」
マッテオは、膝を抱えたまま動けないカロルの肩に優しく手を置き立ち上がった。
「イヴァン、行くぞ。ヤバかったら詠え、出し惜しみはなしだ」
「分かりました。ハイーネさん、カロルさん、行って来ます!」
「おう!」
ハイーネは力強く返事をし、カロルも憔悴しきった顔を上げる。
イヴァンとマッテオは、休憩所を勢い良く飛び出すと、上に繋がる回廊へ焦る気持ちのまま、足早に歩を進めて行った。
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27階から続く長い長い回廊を下ると、アザリアのパーティーは28階へ足を踏み入れた。パーティーは、小さな傷を負いつつも、歩みを鈍らすほどの傷を負う事もなく順調な歩みを見せていた。
ひさびさの28階。
しばらくぶりに辿り着けた興奮がパーティーを覆い、士気は更に昂った。
「⋯⋯ひさびさだね」
昂る気持ちを抑え込み、アザリアは感慨深げに言い放つ。その横でグリアムは、ガリっと黒味の強い赤壁を削り取り、小袋に詰めていた。
「これで⋯⋯よし、行くか」
グリアムの号令に、パーティーは下を目指し歩き始める。
26階を過ぎると、階を重ねるごとに天井はことさら高くなり、天井を見上げれば、三階建ての本拠地を優に超える高さから、【アイヴァンミストル】が眩い光を放っていた。
煌々と輝く【アイヴァンミストル】は、自分達が地下深くに居る事を忘れそうになるほどの強い光を放ち、それが逆に不気味に感じてしまう。
「こっちはダメだ。罠だ」
「チッ! またかよ」
目の前に少しばかり赤味の強い地面が続く。パーティーの足を止めるその罠に、グリアムは顔をしかめ立ち止まると、シンは不機嫌を隠さず舌を打つ。
確かに少し多い。さっさと下に行きたい気持ちは分かるが、ここは慎重に行かんと。
だが得てして足を止めるパーティーに、狡猾なダンジョンは牙を剥く。
『『『キィ! キィ! キィ! キィ!』』』
慎重に、と考えた矢先のエンカウント。その間の悪さに、グリアムは更に苦い顔を見せた。
踵を返し罠に背を向けると、耳障りな甲高い鳴き声が響き渡り、バサバサと静かな羽音の近づきに緊張の度合いが一気に上がる。
「蜂蝙蝠! 来るよ!」
アザリアの叫びに警戒を上げるが、反響するいくつもの羽音にモンスターの動きがうまくつかめない。
蜂蝙蝠。
その名の通り尻部に極太の毒針を持つ蝙蝠。標的を絞ると群れで襲い掛かり、その毒針で一気に仕留めにかかる習性を持つ。たったひと刺しで、致死量の毒を流し込む。体中を巡る毒に激痛が走り、その場でのたうち回り逃げる事を許さない。そして次のひと刺しで、一気に致死量を超えた毒を流し込み、即死させる。
群れに襲われながらの治療の難易度は高い。しかも治療の早さも求められる。
勝負は毒を避け、群れをどれだけ一気に焼き払えるか。勝負は、魔術師の力量にかかっていた。
パーティーは罠を背に疾走する。一気に叩く為に必要な開けた場所を求め、グリアムがパーティーを導く。
「こっちだ! 急げ!」
疾走するパーティーに、静かな羽音は確実に近づいている。背後から常に蜂蝙蝠の気配を感じ取っていた。
最後尾を懸命に走るゴアだが、如何せんドワーフのスピードで振り切れるほど蜂蝙蝠は鈍くはなかった。天井から注ぐ、【アイヴァンミストル】の光を遮るほど、蜂蝙蝠の群れはゴアの背後へと迫る。
『『『ギィ! ギィ! ギィ! ギィ!』』』
興奮する蜂蝙蝠の甲高く不快な鳴き声が、鼓膜を震わす。蜂蝙蝠が最後尾を走るゴアを捉えると、次の瞬間、一羽の蜂蝙蝠がゴアの背後に急降下を見せた。
そして届くゴアの叫び。
それは瞬く間の出来事だった。
「ぐぁあぁあっ!」
「ゴア!」
ラウラがゴアのもとへ飛び出す。苦悶の表情でのたうち回るゴアを見下ろす蜂蝙蝠。毒針を不気味に光らす蜂蝙蝠を、ラウラの曲刀が斬り裂く。
「⋯⋯【ファイアーストーム】」
静かに詠うハウルーズの手の平から零れ落ちた小さな赤い光玉は、地面を転がりながら肥大化していく。やがてその光玉は炎を纏い、炎の種と化した。
「ラウラ! こっちだ! 急げ!」
グリアムは、ラウラに向かいパーティーの後方で手招きをする。その姿がラウラの目に映り、ゴアの襟足を両手でしっかりと掴み、苦しむゴアをグリアムの元へと引き摺って行った。
体中からの痛みに、苦しむ事しか出来ないゴアの顔色は、みるみるうちに蒼くなり、頭上の蜂蝙蝠の群れは不気味にパーティーを見下ろしていた。
「ヤバイけど、重いんだよね!」
蜂蝙蝠の群れがゴアを捉え、放さない。ラウラは悶絶しているゴアを蜂蝙蝠の群れから引き離そうと、暴れるゴアを強引に引き摺り、グリアムの元へと急いだ。
引き摺られるゴアの脇を、今にも爆発しそうな炎の種が、蜂蝙蝠の群れへと転がって行く。