そのダンジョンシェルパはA級(クラス)パーティーを導く Ⅶ
『『『グエッ! グエッ! グエッ!』』』
26階へと足を踏み入れた瞬間。聞き覚えのある醜い哭き声が、通路の奥から届く。
バジ(リスク)か!
喉を潰された蛙のような醜く響く哭き声に、グリアムの皮膚が震えた。イヴァンと共に罠に逃げ込むしかなかったあの日の悪心を思い出し、グリアムの表情を曇らせる。
くすんだ汚い緑色の固い表皮に覆われた蜥蜴の化物が、その体躯に見合わぬ速さで迫る。飛び出ている黄色の眼球は、ギョロギョロと不規則な動きで眼前の獲物を捉えていた。
迫り来るバジリスクの姿。
落ち着き払うパーティーに、その名をわざわざ口にする者はいない。さも当たり前と言わんばかりにゴアは飛び出し、迫り来るバジリスクに大楯を構える。地面に突き立てたゴアの大楯は、『ここは通さぬ』と雄弁に語り、一歩も引かない強い意志を見せた。
四本の太く短い足を器用に動かし、バジリスクの巨躯がパーティーへと迫る。俊敏な姿を見せるバジリスクにも、パーティーは冷静さを失わない。距離のマージンなど一瞬で失ってしまうというのに、パーティーは落ち着き払っていた。
アザリアに焦りなど微塵もない。その冷静なアザリアの指先は、迫り来るバジリスクを指差す。
「ラウラ! シン!」
「はいはい。罠は?」
「使わない」
「了解!」
ふたりはその呼び声だけで、アザリアの意思を汲み取る。曲刀を握るラウラと、長鎗を握るシンが左右に分かれ、バジリスクに向かい地面を蹴った。前方でどっしりと大楯を構えるゴア、左方にラウラ、そして右方にシンと、分散する標的に、バジリスクの飛び出した黄色の眼球は泳ぎ、一瞬の混乱を見せる。そして、その混乱は一瞬の隙を生む。
A級のパーティーが自ら作ったその隙を見逃すはずがなかった。
「ハッー!」
「シッ!」
ラウラの曲刀は飛び出した眼球を斬り裂き、シンの操る槍は血走る黄色の眼球を突き破る。眼球は割れ、槍の開けた穴からは盛大に血が噴き出し、縦長の黄色い瞳孔が赤く染まっていく。
『『『グエェエェェエッ!!』』』
視界を奪われたバジリスクは、血の涙を流し苦悶の声を上げる。暗闇に襲われたバジリスクは、ゴアに向かい盲進するしかなかった。
「どっせい!」
ガツッ! と、激しい衝突音にゴアの体は、ズズっと後退を余儀なくされてしまう。だが、構えた大楯を下ろす事はしない。体中の筋肉を総動員し、バジリスクの盲進を正面から受け止めていった。勢いを失ったバジリスクの盲進が止まる。
「うりゃあっ!」
刹那、バジリスクの顎目掛け、ゴアの握る戦鎚が、バジリスクの顎を思い切りかち上げた。渾身の一撃はバジリスクの体をのけ反らせ、地面に隠れていた腹を剝き出しにする。
「ハァッー!」
ゴアの戦鎚が作ったバジリスクの無防備な姿に、アザリアの瞳は鋭さを増した。
アザリアはゴアと入れ替わるように、バジリスクの懐へと飛び込んで行く。姿勢は地を這うほど低く、バジリスクが無防備になった瞬間を見逃さない。
アザリアの切っ先が、剝き出しになった腹を貫く。アザリアは、握る柄に力をさらに込める。ズズっとその切っ先はさらに深く突き刺さり、核に届く。
伝わるその感触に、アザリアは剣の柄を拳で叩き込んだ。
核を貫く。
アザリアの寸分違わぬ切っ先が、核を割った。
弾け飛ぶバジリスク。
パーティーの瞬く間の完璧な連携。そんなA級パーティーの姿に、グリアムは思わず呟いてしまう。
「お見事⋯⋯」
「これくらい当たり前、A級のパーティーよ。それにしてもあなた、バジリスクが迫っていたのに、随分と冷静だったわね」
「後ろで突っ立っていた、あんたもだろ。まぁ、A級ならこれくらい余裕だろう? こっちは高みの見物を洒落込むだけだよ」
「あっそ」
グリアムの後ろで戦況を見つめていたハウルーズが、グリアムの呟きに冷めた反応を見せた。未だに、エルフの魔法を必要とする場面に遭遇していない。最深層まで、魔法を使わず温存出来ているのは、やはり強者の成せる技なのだろう。
だが、ここから先は温存って訳にはいかんよな。出し惜しみが命取りになりかねん。
ま、こいつらには分かり切っている事か。
グリアムが弾け飛んだバジリスクの躯を漁る。ゴアが喉から手が出るほど欲しがっているA級への昇級アイテム【バジリスクの背ビレ】を探し求めた。
「おおーい! あったか? なぁ、あったか??」
興奮気味のゴアは、バジリスクを漁っているグリアムを覗き込み、何度も声を掛けていた。グリアムがゆっくり体を起こすと、ゴアの期待に溢れる瞳は爛々と輝く。だが、グリアムが申し訳無さげにゆっくりと首を横に振って見せると、ゴアは盛大に肩を落とした。
【バジリスクの背ビレ】、【ベヒーモスの厚皮】、【蜂蝙蝠の鳴き袋】。
A級へ昇級する為に必要なアイテムだが、この中では圧倒的に【バジリスクの背ビレ】が入手しやすかった。ベヒーモスはエンカウントの少ないレアモンスターで、蜂蝙蝠は群れごと魔法で焼き払うしかなく、原型をとどめた状態で仕留めるのが非常に難しいモンスターだった。
「まぁまぁ、まだチャンスはあるって」
肩を落としているゴアをラウラが笑顔で慰める。だが、ゴアは不貞腐れ、プイと横向いてしまう。
「ヌシはええわな。A級だもんな」
「ほら、もう、機嫌直して次に行こうよ」
「ワシばっかり⋯⋯なんで⋯⋯」
「ほら、もうブツブツ言わない。グリアムさん、もう行っちゃって」
「え? ああ⋯⋯いいのか?」
ラウラの、ほっとけと言わんばかりな、相手にしない冷めた態度に、グリアムは戸惑いを隠せない。
「大丈夫、大丈夫。これ、いつもの事だから」
「そ、そうか⋯⋯じゃ、まぁ、行くか。こっちだ」
グリアムを先頭にしたパーティーが、27階へと繋がる回廊を目指し歩き始めた。
■□■□
『ギギギギギギィ⋯⋯』
最後のモンスターが断末魔を上げ、モンスターの山にまた積み上がった。
「はぁ⋯⋯はぁ⋯⋯はぁ⋯⋯終わった⋯⋯」
イヴァンは肩で息をしながら、体を起こすと、マッテオとハイーネも体を起こす。
イヴァンが、積み上がったモンスターの山から視線を移すと、動かないアリーチェがカロルの腕の中におさまっていた。頬や腕、足と、モンスターに噛み千切られた跡から、出血が止まらない。抉られた肉が骨まで届いている深い傷が、所々散見出来た。
痛々しい姿のアリーチェに、だれも言葉は浮かばない。カロルの足元には何本もの回復薬の空き瓶が転がり、思わしくない状況であるのはだれが見ても明らかだった。
「どうしよう⋯⋯アリーチェ、どうしよう⋯⋯」
カロルの弱々しく震える声は、ダンジョンに吸い込まれていく。
「マッテオさん、とりあえず休憩所に急ぎませんか」
「そうだな」
イヴァンは背負子を背負い、震えの止まらないカロルの腕からアリーチェを受け取る。イヴァンの腕の中で、蒼白の顔を見せるアリーチェの姿から、時間の猶予があるとは到底思えなかった。
「カロル、しっかりしろ」
ハイーネがカロルに肩を貸そうとすると、カロルはよろよろと自ら立ち上がり、前を向いて見せた。
「とりあえず怪物行進のあとだ、エンカウントはしばらくないはずだ。今のうちに行くぞ」
マッテオの号令で休憩所を目指す。
先程までの喧騒が嘘のように、通路は静まり返っていた。休憩所を目指す足音は、自然に早くなり焦燥を映す。今はエンカウントの焦りより、イヴァンの腕の中で、だらりとしているだけのアリーチェの姿に、だれもが急かされてしまう。
近いのか、遠いのか。早いのか、遅いのか。だれも、何も口にせずひたすらに足を動かした。イヴァンは、腕の中でだらりとしているアリーチェに目を移す。腕や足の出血は止まらず、頬の肉を突き破り、上顎から歯肉が剝き出しになっている。目を背けたくなるほどの痛々しいアリーチェの様に、イヴァンの心は痛む。
これって、元通りには治らないよね⋯⋯その前に命を繋がないとか。
イヴァンは心を痛めながらも、自分のすべき事へ集中していく。
「ここだ。早いとこアリーチェを寝かせろ」
マッテオが洞口を指差し、パーティーは無言で中へと入って行った。
イヴァンはそっと地面へアリーチェを下ろすと、衝撃を与えないようにゆっくりと腕を引き抜いた。イヴァンは背負子から、使えそうな薬、包帯を次々に投げ渡していく。
カロルはアリーチェの口元に回復薬を当て、マッテオとハイーネは止血剤を塗りたくった包帯で、出血の酷い箇所をグルグル巻きにしていった。
ここで出来る事など、たかが知れている。限られてしまっているのは治療法だけではなく、限られた時間も刻一刻削られていた。
アリーチェの死人のように蒼い顔から、時間の猶予がないのは、容易に想像がついた。
早くなんとかしなきゃ。
でも、どうすればいい?
必死に治療に当たりながらも、もどかしさを覚えているマッテオ達の姿に、イヴァンは悔しさを覚え、自分の力の無さを嘆く。
もっと力があれば⋯⋯。
それを願ったところで、ない物ねだりでしかない。イヴァンは悔しさを噛み殺し、自分に何が出来るのか必死に模索する。何が最善で、何をすべきかを⋯⋯。