そのダンジョンシェルパはA級(クラス)パーティーを導く Ⅵ
『クワァ~~』
テーブルの下でうつ伏せているテールが、大きな欠伸をすると、クロスさせている前脚に顎を乗せて寝息を立てた。ヴィヴィは、テーブルの下でスヤスヤと眠っているテールを覗き込み、そして宿屋の汚い天井を仰ぐ。
「ヒ~マ~」
「ヴィヴィさん、今回はここで静かに待つのが仕事ですよ」
「サーラはいいよね。ここに来るまでにひと暴れしてるんだもん。私、な~んもしてないんだよ。グリアムが『良く見ておくんだ!』なんて言うからさ、みんなの事見てたけどさ⋯⋯それだけだよ。見てただけ。なんかさ、ビシっとしないよね」
「まぁまぁ。パーティーが、それだけ順調に仕事をこなしたって事じゃないですか」
「⋯⋯そうだけど」
そう言って不貞腐れるヴィヴィは、テーブルの上に顎を乗せ、だらしない姿を見せた。
「私達は言われた事をキチンとやりましょう。きっと師匠やリーダーも、キチンと仕事をこなしているはずですから」
「サーラはマジメちゃんだね」
「私はいつでもマジメですよ」
「マジメだけどたまにズレるよね」
「そうですか?」
「うん、ズレる。グリアムもイヴァンも頑張ってるのかぁ⋯⋯早く戻って来ないかな」
「ですね。みんな無事に戻って来て欲しいですね」
「うんうん」
ヴィヴィはテーブルに顎を乗せたまま、サーラの言葉に大きく頷いて見せた。
■□■□
波に飲み込まれるアリーチェの姿が、緩慢な時間の流れと共にイヴァンの目に飛び込んで来る。背負子を投げ捨てると、地面に貼り付いたように重くなった足を無理矢理に引上げ、アリーチェの元へと駆け出した。
「待て、イヴァン!」
「きゃぁああああっー!」
マッテオの声は、アリーチェの悲痛な叫びに掻き消されてしまう。
「おい! 坊主!!」
大楯を握り締めたままハイーネがイヴァンの後を追うと、マッテオも仕方ないとそれに続いた。
「マッテオさん! ハイーネさん! 大物を頼みます!」
アリーチェの上に重なり合う一角兎やコボルトをイヴァンの刃が薙ぎ払う。だが、いくら薙ぎ払えど、飲み込まれたアリーチェの姿は見えて来ない。
アリーチェに群がるモンスターが、邪魔するなと言わんばかりに、イヴァンに牙や爪を向けた。モンスターは、休むことなく剣を振り続けるイヴァンの足にまとわりつき、腕には鋭い犬歯が食い込む。爪は眼球を抉ろうと迫り、イヴァンの頬にいくつもの血筋を作る。
だが、イヴァンの焦燥は痛みをも塗り潰し、刃を振り続けさせた。終わりの見えないモンスターの波に、焦燥は消えるどころか幾重にも積み重なっていく。
クッ! この状況⋯⋯詠うのはマズイよね。
イヴァンは、モンスターを一斉に焼き払いたい衝動を抑え込む。アリーチェごと焼き払ってしまう可能性がある以上、躊躇せざるを得ない。しかし、他に形勢逆転を狙う手立ては見つからず、愚直に剣を振り続けるしかなかった。ただ、いくら振り続けても、斬り払っても、アリーチェに群がるモンスターの数は減っていかない。
アリーチェの上に際限なく積み重なるモンスターに、積み重なるイヴァンのもどかしさ。それを振り払うように、イヴァンは剣を振り続けるしかなかった。
ガツッ! と、前方から激しい衝突音がイヴァンの耳に届く。だが、顔を向ける余裕などなく、眼前のモンスターを薙ぎ払い続ける。
「おい! ハイーネ! しっかり止めろ!」
「やっとるわっ! ヌシこそ早う仕留めろや!」
「ああああああっ⋯⋯ぁぁ⋯⋯」
アリーチェの悲痛な叫びは途切れ、クチャっと肉を食む音が地面から鳴る。その音は、ドクンとイヴァンの拍動を大きく跳ね上げ、そして覚悟を決めた。
「炎を司る神イフリートの名の元、我の刃にその力を宿し我の力となれ【点火】」
イヴァンは迷いを捨てた。業火を宿す刃が、モンスターを焼き払う。その姿に一瞬だけ、マッテオもハイーネも、ひとり何も出来ずに佇んでいるカロルも、目を奪われた。
だがそれを合図にして、モンスターへの反撃の手を強める。
次々に焼き払われていくモンスター。
アリーチェに群がるモンスターは、炎に巻かれ煤と化す。そして煤と化すモンスターの数に比例するように、イヴァンの刃は鋭さを増していった。まるで、イヴァンの焦燥が乗り移ったかのように闇雲に振られる刃の炎が、次々にモンスターを焼き払う。
炎の勢いに気圧され、波の勢いは完全に停止した。
「マッテオ!」
「分かってるって!」
マッテオとハイーネもイヴァンの勢いに、ここが勝負所と踏み、圧を増す。
ハイーネの大楯が大猪の勢いを殺し、原人の拳を跳ね返す。マッテオの切っ先が、大猪の胸を的確に貫き、原人の左胸を斬り裂いていった。
見えた!
「カロルさん! アリーチェさんを!」
「う、うん」
アリーチェを襲った惨劇に、カロルの体は硬直したまま。
カロルの目に映る動かないアリーチェの凄惨な姿。全身血に染まり、肉を喰われた箇所が抉れてしまっていた。
全身に浴びている血が自身のものなのか、モンスターのものなのか、今は分からない。イヴァンの炎の勢いに顔は煤け、意識は戻らぬままだった。
カロルは震える手を伸ばし、アリーチェの腕を掴もうとする。血とモンスターの体液でぬるぬると滑る腕を何度も掴みそこね、焦るカロルの手をさらに震わせてしまう。
「カロルさん!」
イヴァンはもどかしい思いに叫んだ。炎の消えた切っ先が、アリーチェからモンスターを引き剥がしていく。カロルの手がようやくアリーチェの腕を掴んだ。ズルっとアリーチェの体が動くと、カロルは手に力を込め必死にモンスターの山から引きずり出していく。
「アリーチェ! しっかり!」
カロルの悲痛な叫びが通路に木霊する。その叫びの意味を確認する事も出来ず、マッテオとハイーネ、そしてイヴァンはモンスターの波に対峙していた。
■□■□
25階の休憩所にグリアム達は無事に辿り着く。壁の色は赤を通り越し、黒味を帯びた深い紫を見せ、パーティーに深度を伝えた。
肩で息するパーティーは、束の間の休息を得ようと洞口をくぐる。中に入ると、ピンと張っていた緊張の糸が少しだけ緩んでいった。
ここまでは概ね順調と言えるだろう。20階を過ぎると、アザリア達のエースパーティーも戦闘に加わり、先を急いだ。パーティーの足を止める程のエンカウントはなく、道を切り拓くB級パーティーも、傷を負ってはいるものの奮闘を見せた。
大型テント程度の広さはありそうな休憩所にパーティーが車座に座ると、ここまでの疲れを癒そうと各々リラックスする姿を見せる。それでも集中が途切れる程の弛緩は見せず、パーティーのモチベーションはしっかりと保たれていた。
円の中心ではグリアムが、背負子から回復薬と携行食を取り出し、次々に手渡していく。傷を負う者は、回復薬を飲み干し、パサパサの携行食を口にしていった。
「えい!」
ラウラは、携行食を差し出されると、深々と被っていたグリアムのフードに手を掛けた。
「おい! ラウラ」
「シシシ、もういいじゃん。邪魔だし、外しておきなよ」
ラウラの手によって、フードが外されると、【忌み子】の象徴でもある深い紫と薄茶色の髪が露わになる。
グリアムは、仕方がないと諦めながらも、落ち着かない心持ちに表情を曇らせた。
「グ、グリアムさん⋯⋯ウチに忌み⋯⋯グリアムさんを卑下するような者はいません。なので、いつものように普通になさって下さい」
アザリアはそう言ってグリアムに微笑んで見せた。
「分かったよ」
グリアムはそれだけ言って、また仕事へと戻る。薬と携行食を配り終わると、地図の確認をしていった。
最深層か⋯⋯何年ぶりだ?
グリアムは地図を見つめながら、色褪せた遠い記憶に思いを馳せた。朧気な記憶の残像と、膜を張ったかのように思い起こす遠い呼び声。
グリアムは我に返ると、今一度地図を見つめ、地図を頭の中に叩き込んでいく。グリアムもまた、緩むことなく集中を上げていった。
「ここからだねぇ。シン、ビビッてない?」
「ああ? 何をビビるんだよ」
ラウラの言葉にシンは鋭い視線を向ける。ここからがスタートだと、シンの瞳は鋭さを増していた。
「次は26階か⋯⋯」
アザリアがポツリと呟く。目を閉じ、瞑想でもしているかのように静かに、だが、明らかに熱を帯びるアザリアの姿に、パーティーの集中も自然と上がっていく。いよいよここからという昂ぶりは隠せず、だれもがやる気に満ち溢れている。
グリアムはその姿を確認すると、背負子を背負った。
「行くか」
グリアムの呼び掛けに、アザリアは立ち上がると、ここまで運んでくれたB級パーティーへと顔を向けた。
「シャノン⋯⋯みんな、ここを宜しくね」
「大丈夫ですよ、ここでゆっくりと待っていますから、アザリアさん達は、下に行く事だけを考えて下さい」
犬人の女が、顔に生々しい傷を見せながらも、ニッコリと微笑みを返した。
「うん、ありがとう。行って来るね。グリアムさん、お願いします」
グリアムは、頭を深々と下げるアザリアに軽く頷くと、26階へと続く回廊に向かい、足を踏み出した。