そのダンジョンシェルパはA級(クラス)を導く Ⅰ
ヴィヴィが玄関をくぐると、美味しそうな匂いが鼻をくすぐる。その匂いにヴィヴィの胃袋は刺激され、『グゥ~』と大きな音を鳴らした。
「お腹減った~」
大食堂へと飛び込むヴィヴィは、いつもの席⋯⋯と言っても、ここ、新しい本拠地に来てまだ数日しか経っていない。だが、刺激された胃袋は、ヴィヴィを飛び込む様に椅子に座らせた。
宣言通りラウラが買い揃えてくれた家具はすぐに届く。最低限と言いながらも、しっかりした家具が数日と待たず届けられた。この大食堂に置かれた、ダイニングテーブルセットも余計な装飾は一切無い。それでも届いた家具類は、造りのしっかりした、普段使いには十分過ぎるほどの代物だった。
上座にはグリアムをイヤイヤ座らせて、リーダーであるイヴァンは、料理番という事もあり入り口近くの下座に座る。イヴァンの隣にはマノンが陣取り、準備を急ぐイヴァンの手伝いをしていた。
オッタとマノンも、なし崩し的に【クラウスファミリア(クラウスの家族)】の本拠地に部屋を持ち、生活を共にしている。まだ数日だが、【クラウスファミリア】に仇なす雰囲気など一切無く、協力的な姿を見せるふたりに、少しばかりの猜疑心を残すグリアム以外は、ふたりの事を素直に受け入れていた。
「このパンは、兎人の伝統の物です。そのままだと硬いので、スープにつけて食べてくださいね」
マノンは、かご一杯に入った手作り感満載のパンをテーブルの真ん中に置くと、ヴィヴィがすぐに手を伸ばす。掴み取ったパンをすぐに、肉と野菜がたっぷりと入ったとろみの強いスープにくぐらせ口の中へ放り込んだ。肉の甘さと野菜の酸味、そしてピリっと香辛料を効かせたスープをしっかり吸い込んだパンは、口の中でとろけていく。
「くぅ~! いだだぎまーず!」
「ヴィヴィさん、『いただきます』は食べる前に言うんですよ」
ヴィヴィは口いっぱいに詰まったパンを、もぐもぐとさせながらサーラに頷いて見せる。
「うまっー! このパン美味しいね! このスープとめっちゃあう!」
「気に入って頂けたみたいで、良かったです」
マノンは、一心不乱に食べているヴィヴィに安堵の笑みを見せた。
「マノンさん、体調はどうですか?」
「もうすっかり良くなりました。イヴァンさんや皆さんのおかげです。こうして美味しいご飯も食べられて、今は幸せです」
マノンの言葉に、今度はイヴァンが安堵の笑みを見せる。すると、サーラが、少しばかり聞きづらそうにマノンに問い掛けた。
「あの⋯⋯マノンさんとオッタさんのおふたりは⋯⋯ご結婚されているのですか?」
マノンとオッタとの距離の縮まりを感じるサーラの言葉に、さして興味の薄いグリアム以外の視線がふたりに注がれた。ルカスでさえ、上目でふたりを覗き見て、少なくない興味を示している。マノンは隣に座っているオッタと視線を交わすと、ふたりは揃って首を横に振って見せた。
「いいえ、してません。まだ、落ち着いていませんし、その内でしょうかね?」
少しいたずらっぽく笑みを見せるマノンに、二人の間での主導権は彼女が握っているのだと一同理解する。
「そういえば、グリアムさん、この間【ノーヴァアザリア(新星のアザリア)】の本拠地に呼ばれてましたよね? 次回の潜行についてじゃないのですか?」
イヴァンの言葉に、黙々と食べていたグリアムの手が止まり、顔を上げた。
「ああ、そうだ。あとで話そうと思ったが、ちょうどいい、話しておくか」
グリアムの言葉にみんなの食事の手が止まる。ふわふわとしていた食堂の雰囲気は一変し、視線はグリアムに注がれた。
「今回、【ノーヴァアザリア】からの申出により、15階、緩衝地帯までの安全な往復を【クラウスファミリア】が請け負う事になった。と、まぁ言っても、この面子なら15階の往復なら問題は無いだろ。【ノーヴァアザリア】が、深層、最深層へのアタックに余力を残せるように【クラウスファミリア】が道を開き、力を使い切った【ノーヴァアザリア】を安全に地上に戻す。いつも以上に気を使って、うまいこと立ち回れ」
グリアムの話に一同は大きく頷く。ふわっとした雰囲気は消え、全員が真剣な面持ちで聞き入っていた。
「15階か。どうせならもっと下まで行きてえな」
「いつも15階まで走り回っているおまえには、物足りんだろうが、イヴァンのリハビリと、おまえらとオッタの連携を見るにはちょうどいいだろ」
ルカスは返事の代わりに、グリアムをチラリと覗く。
「それとオレは今回、【ノーヴァアザリア】の30階までのアタックの案内人をする。同じ様にイヴァンは、20階まで案内人の補佐として同行する」
「もしかしてリーダー、B級に昇級ですか?」
「いいや。ついて行くだけだ。おこぼれで昇級はしない」
サーラの問い掛けを、グリアムはきっぱりと否定した。
「いいなぁ、私も行きたい」
「ヴィヴィ、おまえなぁ、遊びに行く訳じゃねえんだぞ。念の為、薬と補給は多めに準備だ。大人数での潜行は何が起きるか分からん」
「師匠、全部で何名での潜行になるのですか?」
「【クラウスファミリア】を入れて30名程度を予定しているらしい。順調に行けば、アザリアのメインパーティーが本格的に動くのは、20⋯⋯25階か。あくまで理想だけどな」
不貞腐れるヴィヴィの横で、サーラが必死にメモを取っていた。
イヴァンは口もとに手を当てながらふと思った疑問を口にする。
「グリアムさん、ひとつ疑問なのですが、30階に到達したとか、そういうのって、どうやって証明するのですか?」
「そいつはあれだ⋯⋯サーラ、説明してやれ」
少し面倒になったグリアムが、サーラに話を振ると、サーラは少し驚きつつも背筋を伸ばした。
「は、はい。深層あたりまでは、モンスターのドロップ品で判断出来ますし、到達階はさほど重要視されていません。ただ、26階より下の最深層となると、情報が少ない為、削り取った壁をギルドに渡し、ギルドがその壁を鑑定して、到達の有無を判断します。ギルドには【グラットンドッグ(大食い犬)】が到達証明している34階までの壁のサンプルが保管されていて、それを元に到達階の有無を判断しているそうです」
「壁が削れなかったら、証明出来ないのか⋯⋯でも、それだと35階より下ってどうやって証明するの??」
「下に行くほど壁は赤黒く変色していきます。壁の持つ黒さで予想はつくと思いますよ。34階のサンプルより黒味が強ければ、35階到達したと証明されるのではないでしょうか」
「んなもん、適当に黒く塗っちまえばいいじゃん」
「いやいやルカスさん、ギルドを舐めてはいけませんよ。そんな事をしたら一発でバレますから」
茶化すルカスにサーラは呆れつつ、何度も首を横に振って見せた。
「ちなみに【ノーヴァアザリア】の最高到達階は28階。29階と30階の壁を削り取るのは最重要だ。ま、そこは案内人であるオレの仕事だ」
「おっさん、うっかりしたりしてな」
「おまえ、そんな事したら袋叩きじゃ済まねえぞ。滅多な事言うな。潜行は三日後だ。しっかり準備しろよ」
全員が力強く頷くと、皆思う事があるのか黙々と食事を再開する。グリアムは、そんなみんなの姿から、安堵の微笑みを零す。その微笑みは、みんなから見えない様にグリアムは俯き、その笑みを隠していった。
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「気を付けてね、イヴァンくん」
「はい! 行って来ます、ミアさん」
いつものやり取りと、いつもの微笑み合い。ギルドで受付を済ましたイヴァンが、待ち構えるメンバーのもとへと駆け出した。
【クラウスファミリア】の潜行の再開に、だれもが胸を高鳴らせている。
ダンジョンへと向かう【クラウスファミリア】の最後尾を行く、グリアムに貼り付いた笑みを見せるミアが声を掛けた。
「案内人さん、ちょっとだけいいかしら?」
「何だよあらたまって」
ミアが受付へと手招きすると、グリアムは顔を寄せる。笑みは消え真剣な面持ちのミアが、グリアムの耳元に口を寄せた。
「【レプティルアンビション】が潜行から、帰って来ていないの」
その言葉に、一瞬、動きが止まるグリアム。ミアはギルドが公開している【探し人】の掲示板に視線を送る。グリアムの視線はミアに誘われ、掲示板へと自然と向く。そして、そこに並ぶ【レプティルアンビション】のメンバーの名前を目にすると、またミアに向き直した。