その打算と思惑 Ⅰ
「アイツらに騙されたんだよ。普通にやりゃあ負ける訳がねえんだ!」
「だよな。B級の【レプティルアンビション】が、C級のどこぞのものとも分からぬ馬の骨に負けるなんて有り得ない話さ。向こうから見たら、奇跡みたいな結果だろうよ」
口泡を飛ばすエルンストに、逆光で口元の笑みしか見えないリオンは分かりやすく同意の意志を見せた。それにエルンストは気を許し、委縮ぎみだった思いも解放されていく。
「だろう! なぁ、こう言っちゃあ何だが、あんたらの願いをこっちはかなり聞いたんだ。その結果がこれだ。積み上げていた物を、ぜーんぶ持ってかれちまった⋯⋯」
「分かる、分かるさ。しかも降級だって? やってられんよな。たかがお遊びの勝負で、そこまでする必要はあるのかって話だ」
リオンの口元は張り付いたように笑みを失わない。エルンストは、リオンの言葉に希望を見出し、そして懇願する。
「ギルドはやり過ぎだ。けどよ⋯⋯もうこいつにはD級の刻印がされちまった。こいつを早い事、C級⋯⋯出来ればB級まで戻してえんだ。なぁ、分かるだろ?」
エルンストは胸元のタグを、手に取りリオンにかざして見せた。
リオンは豪奢な椅子の背もたれに一度体を預けると、執務机に前のめりになって、そのタグを覗き込んだ。少し大仰にも見えるその仕草に、逆光で隠れていた表情が露わになると、その張り付いた笑みから、冷たいものをエルンストは感じてしまう。だが、リオンはエルンストの言葉に大きく頷き、理解を示す。
「⋯⋯なるほど、確かにそうだよな。イヤル、悪いが、レンを呼んできてくれ。そんな面倒くさがるなよ」
イヤルは、リオンを険しい表情でひと睨みすると扉の先へ消えて行く。リオンはまた背もたれに体を預け、悠々と時間が過ぎるのを待った。流れる沈黙の時間にいたたまれなくなるエルンストは、ソワソワと落ち着きを失う。
「落ち着けよ。悪い話にはならんさ」
落ち着かないエルンストを見かねてなのか、リオンは笑みを深めながら諭した。
ノックもなく唐突に扉が開くと、イヤルと屈強な犬人の男が部屋に現れた。左目に大きな傷跡を残すその犬人は、所在無さげに小さくなっている元【レプティルアンビション】のメンバー達に冷めた視線を向けると、すぐにまた前に向き直す。
「レン、すまんがひと仕事お願いしたいんだ」
レンは、面倒だとばかりにリオンを睨むが、拒否権が無い事も分かっている。わざとらしく大きな溜め息をついて見せ、せめて気乗りしていない事だけでも分からせようとした。
「何をしろって?」
「いいね、話が早い。なあに簡単な事だよ。いつもみたく、彼らの手伝いをお願いしたいんだ」
リオンの軽妙な語り口に、レンのこめかみがピクっと一瞬反応を見せると、視線を元【レプティルアンビション】に向ける。値踏みするかのようにひとりひとりの顔をゆっくりと見つめ、またリオンに顔を向けた。
「C級か?」
「そこは最低ラインかな。出来ればでいいんだけど、B級まで頼みたい」
「⋯⋯なるほどね」
「早速明日どうだい? あ、エルンスト達はどう? 早い方がいいと思ったんだけどさ」
当人達を無視して、トントン拍子で話が進んで行く様に、エルンストはポカンと見ている事しか出来ない。急に話を振られ、心構えのないまま思わず頷いてしまう。
「お、おう。ありがてえが、こっちは全部取られちまって、何の準備も出来ねえぞ」
「ハハ! そんな事は分かっているさ。準備もこっちに任せてくれ。なに、今まで存分に働いてくれたんだ、これくらい当然だろ。とりあえず10階で、合流するのはどうだい?」
「1階からじゃねえのか?」
エルンストの困惑にリオンは笑みを深める。
「もちろん、やぶさかじゃないが、いいのか? この状況で助っ人を立てての昇級なんて⋯⋯『おこぼれ』だと、揶揄されるんじゃないのかい?」
格下に負けたという烙印を押されている今の状況で、強力な助っ人を得ての昇級となれば、世間の目がどう見るかなど、難しい話ではない。リオンの提案は、エルンスト達の事を思っての言葉だと理解し、その提案に大きく頷いた。
「そうだな、あんたの言う通りだ。10階で頼む」
「それじゃ明日。レンのパーティーと10階で合流して、サッサと昇級してしまおう」
エルンスト達はスッキリとした面持ちで、【ライアークルーク(賢い噓つき)】の本拠地をあとにする。元【レプティルアンビション】のメンバー達の気配がようやく消えると、リオンは窓辺に立ち外を見つめ、そのままイヤルに声を掛けた。
「チャドを呼んで来てくれ」
イヤルは一瞬、顔をしかめたが、すぐに呼びに出る。しばらくも経たないうちに、ドワーフにしては細身で大柄な男が、執務室へと現れた。
「すまんな、チャド。仕事をひとつ頼みたい。2、3日経ったら、この金を使って街で呑んで来てくれ」
「おほぅ、本気かい。ええ仕事じゃねえか」
「だろう。だけど、その時にひとつだけお願いがあるんだ。『【レプティルアンビション】の連中が、昇級を焦って、碌な準備もしないままダンジョンに潜ったらしい』って、周りの連中に言いふらして欲しいんだ」
「それだけでええのか?」
「ああ。いい仕事だろ?」
「ええ仕事じゃ」
チャドはホクホク顔で差し出された金の袋を鷲掴みにして、意気揚々と部屋を出て行く。
「なぁ、リオン。アイツらB級だったんだ。潜行時に、使い捨てる手もあったのではないか?」
イヤルの言葉にリオンは面倒そうに頭を掻いた。
「ええ~いらないよ。向こうに助っ人がいたとはいえ、C級に負けるようなヤツらだぞ。それより余計な事を口走って、こっちに火の粉が飛んで来たら、たまったもんじゃない。火種は早めに消しておかないと」
「助っ人が優秀だったのでは?」
「さあ? 助っ人ってだれ?」
「詳しくは⋯⋯博戯走のヤツだと言っていた。そういや⋯⋯ラウラ・ビキと親し気に話していたな。ラウラの知り合いか?」
「ああ~なるほど。そいつは多分、ラウラの弟だ。ルカス・ビキ、前に誘った事がある。パーティーに興味がねえって、ウチを蹴ったヤツさ。向こうにルカスが助太刀した所で、あいつらには兎がいたんだ。負けた言い訳にはならんよ」
いつの間にかリオンから笑みは消え、椅子に座り直すと、気だるそうに頬杖をつきながら今後の展開について思案を巡らせていた。
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イヴァンは元【レプティルアンビション】の本拠地だった場所を見上げていた。数日経った今も、忙しなく人の出入りがあり、後始末に奔走している。
つい、数日前まであれほど荒れていた庭は綺麗に片付けられ、庭師が丁寧に芝を刈り揃えている最中で、薄汚れていた壁も、薄い空色に塗り直され、くすんだ雰囲気も上塗りされ消えていた。
「イヴァンくん!」
「お疲れ様です、ミアさん」
「今日で、だいぶ進んだわよ。中も見ていく?」
「はい! お願いします」
建物の中に入ると、以前のような腐敗臭は無くなり、代わりに塗りたての塗料の香りが充満している。物が無くなった部屋はどこも広く感じ、建付けの悪かった所も修繕が完了していた。
「フフ、綺麗になったでしょう」
「ええ、ちょっとびっくりです」
「ここ、使い方が悪かっただけで、物はいいのよ。いい金額したんじゃないかな」
「あとどれくらい掛かりそうです?」
「今日明日で、修繕工事は終わりね。あとは塗料がなじむまでの時間と、外壁かしら」
「そうですか⋯⋯」
建物の中を見て回るふたりに、職人がひとり小走りで駆け寄って来た。
「よお、何か、あんたらに会いたいってやつが、門に来てるぞ」
「「会いたい?」」
思い当たる節のないイヴァンとミアは、揃って首を傾げた。