ミュートは『いじめ』ではない
よくは知らないが、どうも『ミュート機能を使うのはいじめだ』という認識が広く浸透しているように思える。
勘違いされていないだろうか。集団でクラスの1人を無視するのは確かにいじめだが、一個人が一個人を無視するのはべつにいじめではない。それどころか、それは優しさであったりする。
ミュートは『無視』あるいは『関わらないこと』である。
対してブロックは『拒絶』あるいは『関わらないでくれという意思表示』であろう。
もしどちらかが『いじめ』なのだとすれば、どちらがそうなのであろうか?
たとえるならミュートとは、気安く誰かが後ろから肩に触れようとして来た時、自分を透明化することである。相手の手は空を切り、何度やっても相手は振り向いてもくれない。
対してブロックとは、気安く誰かが後ろから肩に触れようとして来た時、電流を放って自分を守ることである。相手はダメージを受け、吹き飛ぶ。
一体、どちらが『いじめ』と言えるのであろうか?
私の想像に過ぎないが、ミュートをいじめだと言う人は、自分の優しさを見せたいのではなかろうか。
ちょっとそれを恋愛でたとえてみよう。
ある女性が気のない男性からしつこくつきまとわれているとしよう。
ミュートだけじゃダメだ、ブロック推奨!という人は、その女性に対しておそらくこう言いたいのだ。
「嫌な目に遭ってるね。嫌いなら振っちゃっていいんだよ。振ったのにしつこいなら、電流の壁を作って自分を守るんだ。そうして相手が傷ついても君は悪くないよ」
そして振られる側の男性に対しては攻撃的である。
振られるからには何か悪い奴なのだと決めてかかって、振られるような奴には問題があると、集団で叩きにかかる。
たとえば振った女性が、単純にその男性を『なんか嫌い』という理由で振ったのだとしても、振られた男性を悪者にしてしまうのである。
もしくは「納豆が嫌いなら、納豆が嫌いと言っていいんだよ」と、人間を納豆扱いにしてしまうのだ。人間は納豆ではなく、感情があるというのに。
恋愛経験のある方ならわかると思うが、気のない異性には冷たく無視をしてあげるのがセオリーだ。
それで相手は諦め、自分も相手を無用に傷つけなくて済む。
それは一見いじめのように見えるのかもしれないが、実は形を変えた優しさなのである。
自分も相手にひどいことを言いたくないし、相手に気をもたせたくもない。
そんな優しい配慮からの行為としての無視なのである。
つまりミュートも優しさだとは言えないだろうか?
これに対してブロックとは、いわば自分一人を守るための行為である。
自分さえ傷つかなければ、相手が傷つくのはどうでもいい。
たとえそれが相手のことを慮ってのことだと主張しようとも、相手からすれば同じである。
たとえ自分はただの壁の中に閉じこもっているだけのつもりでも、相手が「電流くらわされた!」と感じることを止めることはできない。
ゆえに私は断言しよう。ブロックとはいじめ、ミュートとは優しさなのである。
念のため追記しておきますが、私はブロックが悪いことだなどと言いたいわけではありません。
冷たくしてあげたのに、相手の男性がなおもしつこくつきまとって来たり、ストーカー化したりするなら当然ブロックすべきだと思います。
つまりブロックされる人物とは、それほどの奴なのです。
単に嫌いだからとか、関わってほしくないからのつもりでブロックをしても、相手は周囲から『それほどの奴』として見られることになります。
いじめるつもりがなくても結果的にいじめになるのなら、それはいじめであると私は思います。