見ましたか?これがヤンデレです。
カイトは目を覚ました。顔に感じる僅かな肌寒さと外から聞こえてくる鳥の鳴き声。空はまだ薄暗く夜が明けたばかりらしい。カイトは寝ぼけまなこをこすろうと右手を上げたが手には朝の穏やかな雰囲気には合わない銃が握られていた。カイトは昨夜出来事を思い出しつつホルスターにしまった。いろいろあったがいつの間にか眠ってしまっていたようだ。自分の状態を見る限りなんやかんやで夜を生き残ることができたらしい。
問題のヤミコは意外にも長椅子の上で大人しく寝ている。「よかった」と安心する一方であまりにも大人しすぎて少し不安になってしまうのはおそらくヤミコ不信の末期症状だろう。
カイトは玄関の引き戸を開けて外に出た。街の中は静かだ。街の中を歩いていても商店の人など一部の住人はすでに目を覚まして忙しそうにしているようだがまだ大半の住人は眠っているようだった。こんな大都市でも朝は静かなのは少し意外で、この広い都市に数人の人間しかいないような少し寂しげな錯覚をしてしまう。
それから1時間くらいだろうか朝の散歩がてら街の様子を見て回った。そして1つ思ったことがある。
(風景があんまり代り映えしないな。この街は)
そう、この街は似たような景色が続く。何せ大体の建物はトタン板や木材、少し珍しいものがあったとしてもレンガ調のものやコンクリートでできた建物だけ。しかも都市全体は高い防壁によって囲まれているため外の景色はほぼ見えない。見える景色は常に壁とボロい建物だけだ。しかし不思議と飽きはしなかった。見えるものはほとんどトタンの家だがその家もよく見ると形や大きさが違ったり、ボロ屋かと思ったら実は裏に室外機が付いていたり、明らかに大きなお屋敷みたいなトタンの建物があったり、猫がいたりとワクワクドキドキする街でもあった。
そして気が付けば薄暗かった空は明るくなり、眠っていた人々も忙しそうに動き始め、街全体が活気づいてきた。そんな人々の中、1人だけポツンと立ち止まってドキドキワクワク、というよりもドキドキアセアセしている男がいた。そう、カイトである。ついさきほどまでは散歩と街並みを眺めることを楽しんでいたがこの男、なんと無計画、なんとアホであろうか散歩と景色に夢中で進み過ぎてしまった結果帰り道はおろか、全く知らないところに踏み入ってしまったのだ。
もっと端的に言えば迷子である。
まるで子どものような失敗だ。いや子どもでももう少しまともかもしれない。とにかく帰り道がわからない。アーケイドの外周区は建物が密集しているため基本的に道幅はあまり大きくなく、路地裏同然の細い道もあり入り組んでいて複雑だ。そして代り映えしない街のせいで目印になるようなものもない。
17歳にもなって迷子など笑い話にもならない。むしろ笑ってもらえればマシな方だ。普段ならこんな時は現代っ子らしくスマホを片手に地図を見れば解決なのだが残念なことにこの世界にはスマホも無償で地図を提供してくれる大企業もいない。自分で何とかしなければならないのだ。
カイトの額と手のひらにじんわりと汗が浮かぶ。
(落ち着け、まだ慌てるような時間じゃない)
辺りを見回すと路地裏も含めたいくつかの道がある。自分が通ったであろう道に目星を付けるがどれも似たような道でどれから来たのかがわからない。そもそも本当にこの目星をつけた道だろうか。路地裏もいくつか通った覚えがある。それはさっきだったか?それとももっと前か?しかし少し遠くの方に見える路地裏も見たことがあるような気がする。
(焦るな、焦ったら終わりだ。素数を数えて落ち着くんだ)
さっそく心の中で素数を数え始めたが31を超えたあたりから辺りから詰まり始めたのでやめた。
そしてあまり落ち着かなかった。むしろ「自分が焦っている」という点が強調されてさらに焦る。誰かに道を聞こうにもそもそも自分がどこから来たのかがわからない。アンドリューの家は一体何条何丁目にあるのだろうか。この街には住所がわかるようなものがないように見える。
どうやって帰ればいい。そんなことカイトにわかるはずもない。
(そうだ‼酒場、「Fallen Angels」を目指そう)
混乱していたせいですっかり忘れていたが昨日行った特徴的な場所といえばオーのアンティーク屋もとい武器屋とあの昼間でもネオン看板の主張がうるさい酒場しかない。あの酒場は何かと目立つし知っている人は多いはずだ。
「すまない。Fallen Angelsという酒場に行きたいんだが道を教えくれないか?」
カイトはさっそく近くの店の店主に道を聞いた。
「ああ?それならここをまっすぐ行くとボロいカフェがある。そこを左に曲がっていくと今度は緑色の仕立て屋が見えてくるはずだ。そこを右に曲がれ。後はわかるはずだ」
「左行って右だな。助かったありがとう」
カイトはさっそく言われた通りの道を辿ることにした。いくら無計画でアホな地図なしではまともに歩けない現代っ子カイトでも道を教えてもらえば目的地にたどり着くなどたやすいことだ。教えてもらった通り道をまっすぐ進む。道は一直線で間違える要因はないし、最初の曲がり角であるキャンピングトレーラーのように横長のボロいカフェも遠くに見えている。
4分後、カイトは難なくそのカフェの場所に到着。先ほどの店主が言っていたカフェは失礼だが近くで見ると本当にボロかった。店は遠くから見ていた通りの見た目で錆びれたキャンピングトレーラーだった。しかし店らしくカウンターがあり、トレーラーを軽く改造したような外観だった。確かにボロかったが外観だけならば若者受けしそうではあった。
(まあ大事なのはコーヒーの味だけどな)
心の中でボソッと呟くとカイトは曲がり角を左に曲がった。緑の仕立て屋はまだ見えないが進んでいけば見つかるだろう。そう思いながら見過ごさないように周囲を見回しながら先に進む。道行く人々がカイトを見る。じっと見る人やチラッと目の端で見る人など様々だが共通してカイトの格好が気になるらしい。全身を覆う特殊なボディースーツに頭のゴーグル、体中に装備されたナイフや脚の銃など周りの人たちとは明らかに違う珍しい格好をしている。
間違いなく周囲から浮いているが当の本人は街の景色に気を取られているため人々の視線には気が付いていない。
(仕立て屋、仕立て屋、仕立て屋、仕立て屋。緑、緑、緑、緑)
頭の中でそう唱えながら緑色の仕立て屋を探して歩き、見つけた仕立て屋の角を右に曲がった。これで無事に見慣れた景色に帰れる。そう思って安心していた。道沿いに歩き、寄り道もせずただ歩いた。
結果、よくわからないところに着いた。
「何故だ」
人気のない静かな場所だった。周囲にあるのは巨大な倉庫のような建物ばかりで酒場はもちろん、住宅地ですらなくなった。遠くからカーンカーンという鉄を叩くような音がする。この辺りは工場地帯なのかもしれない。道を教えてくれた店主は仕立て屋を左に曲がれば後はわかると言っていたが正直言ってまったくわからない。一応道はまっすぐ続いているようだがこのまま進んでも本当に目的地にたどり着けるのかは怪しいところだ。
まっすぐ進んできただけだしこれ以上道に迷う前に1度引き返した方がいいのかもしれない。
くるりと踵を返して進もうとするが腹部に何かがコツンとぶつかった。それと同時に「うぎゅっ」というつぶれたような声が聞こえた。
視線を少し下に下げるとそこには前かがみの状態でカイトの腹部のあたりをじっと見つめる灰色の髪の少女がいた。カイトは驚いた、というよりも「え、なに?」という感じで冷静に2、3歩後ろに下がった。
すると少女はそれに合わせて2、3歩前に出る。距離が離れない。
「えっと何か用か?」
カイトが声をかけると少女はハッと漫画のように気が付いたようで「これは失礼したッス」と返してきた。少女が勢いよく体を上げるとそれまで見えなかった立派な2つの果実がわずかに揺れる。カイトはそれをしっかり見たあと「いや見てませんよ?」と言わんばかりに素早く目をそらす。
「珍しい防具だったのでつい見入ってしまったッス」
少女の格好は黒く薄汚れた白のタンクトップと上半身だけ脱いだ薄汚れた繋ぎを履いた工場で働いていそうな格好だった。そしてそれを強調させるかのように顔にはオイルか何かの黒い汚れがついていて、腰からはいくつもの工具が納められたポーチが下げられていた。
「それでっ‼これどこで買ったんスか?やっぱり中央ッスか?それとも自作ッスか!?こんな防具見たことないッス‼」
少しの間があったと思ったら少女は急にぐいぐい来た。その眼は星の欠片でも入っているのかと思えるくらいキラキラと輝いている。さらに少女の怒涛の追い込みは続く。カイトの腕をつかんでいろんな角度から観察したり、触って質感を確かめたりと年頃男子の心臓に悪いことばかりしてくる。
さらに少女はカイトのホルスターに目を付けた。
「その銃も見たことないッス‼DEのカスタムッスか?それともGLCッスか?でもそれにしては見たことない形ッス。気になるッス‼」
少女は息を荒くしてカイトの顔にをぐっと近づく。その距離は互いに息が当たりそうなほど近い。
本来であればこんなにも女子と密着しているのだから少しくらいドキドキするものなのだろうがカイトは少女の勢いについていけていないためドキドキできておらず、それよりも頭の中が混乱してグルグルと回転しているような感覚になっていた。
「と、とりあえず落ち着いて」
まるでティーカップのアトラクションでずっと回転していたような感覚に襲われながらカイトは少女をなだめた。
「すいません。ちょっと熱くなったッス」
カイトはつい先ほどまで道に迷っていたはずだが気が付けばよくわからないメカニック少女に強めに絡まれているというとんでもない勢いで変化する状況にさらに強く頭がクラクラとする感覚を覚えた。
「ええっと、それで君は誰?っていうか何?」
「これは失礼したッス。自分はカスミッス。この先の工房で働いてるッス」
「俺はカイト。ハンターだ」
カスミは「あ、これ名刺ッス」とポケットから名刺を取り出して渡してきた。カイトは何か渡したかったが名刺などという社会人に必須なおしゃれアイテムは残念ながら持っていない。何か代わりになるものはないかと探したが当然それらしきものは持っておらず、人生で初めて名刺を用意しようと思えた瞬間だった。
渡された名刺にはよくわからない線がいくつも引かれていてそれが複雑に重なり合い、向きを変え、合流しては分裂し、それがまた別の線と合流している。ほかにも各所に数字がふられていたり、何を意味しているのか分からない文字が書いてあったりとどう見ても明らかに名刺ではないものだった。
「すいません。それ設計図ッス。名刺は・・・あれぇ?」
カスミは体中のポケットを探るがどうやら名刺は見つからないようだ。
「おーい!お前バルブ閉めたか?」
あたふたと名刺を探しているカスミの後方から誰かが声をかけてくる。カスミはまた何か思い出したようにハッとすると「すぐ行くッス‼」とその誰かに返した。
「もし新しい武器とか整備とか必要だったらその時はぜひうちの工房に来てほしいッス。この先の大きな狸の置物が置いてあるところッスから。それじゃあ失礼するッス‼」
そう言ってカスミは走って行ってしまった。結局何が何だかよくわからない少女だった。突然現れて突然去ってしまったせいで大して何もわからなかったがこの先に狸の置物がある工房があるらしくそこで働いているということはわかった。
「嵐のような子だった」
思わずつぶやいた直後。
「ふーん。朝からどこか出かけたと思ったら女の子と会ってたの?」
背後から聞こえたその言葉に全身が一瞬で凍り付いた。背筋がゾクッとしたとかそういうレベルではない。全身瞬間冷凍されたような気分だった。凍り付いてしまっているので当然振り向くこともできない。何なら指の1本も動かない。気のせいだろうかまるで冷蔵庫の中にいるのかのように寒い。背後からの声の主はゆっくりとカイトの視界の中に入ってくる。もちろん正体は見なくてもわかっている。
「たまには信用して深く関わらないようにしてみたけど、そっか。やっぱりそうなんだ」
周囲は騒がしいはずなのにその足音と声だけはすべての音を切り裂いてカイトの耳に入ってくる。
「女の子と会っちゃうんだ」
目の前に現れた幼馴染の表情には一切の笑顔はない。当然その目は笑っておらず光がない。失望したというよりも絶望したというよりもその表情は結構本気で怒っているというものだというのが分かった。そしてそれを後押しするかのようにヤミコの手には短剣が握られており、太陽の光が反射し銀色に輝いている。
カイトの体にまとわりつくようにゆったりとした手つきで背中に腕を回し顔をカイトの胸に近づける。
「知らない女の子の匂い」
今度は背中に回した手を戻して手を握ったり指をなぞる。
「知らない女の子が握った手」
カイトの顔にゆっくりとヤミコの白く細い手が伸びる。触れた柔らかい感覚に違う意味でドキリとする。
「知らない女の子を見つめた目。もう、どうしようもないくらい他の女の子に汚されてしまったのね。スーツは捨てるとして、もうどれだけ洗っても消毒してもその痕跡も記憶もきっと消えない。だから手と目はもう切り離すしかない。私に触れる面積が減るのは悲しいけど。私以外のものが触れた部位はいらない」
カイトは体の奥から何か奇妙な感覚が外側へと伝播するのを感じた。寒気などとは違う表現しがたいくすぐったいような、もやもやするようなはっきりとしないもどかしい感覚。それは大事な予定がある日に寝坊した時や、テストの存在を忘れていたテスト当日の朝、本当に怖いお化け屋敷に行った時、そしてヤミコを怒らせた時に感じる感覚と同じものだ。
恐怖。それがその奇妙な感覚の名前だった。
カイトは恐怖を感じていた。目の前の幼馴染へ恐怖。その恐怖は決して小さなものではない。しかしカイトは恐怖しているというサインを明確に出すことはしなかった。体を震わせることも、涙を流すこともなかった。もちろん表情に出すこともなかった。・・・いや表情には少しばかり出ていたかもしれない。
「ま、まあ待て。まずは冷静に」
カイトは慎重にそれでいてそれを感じさせないほど俊敏に言葉を選ぶ。変なことを言ってヤミコを刺激すれば目と腕にお別れを告げなければならなくなる。爆弾を解体するかのような神経を使う作業だ。
「私は今までにないくらい冷静なんだけど」
(ですよねぇ)
わかってはいた。しかし決して諦めてはいけない。説得するのだ。何としてでも。
「さっきの子はたまたま出会っただけだ。本来の目的はただの散歩だ」
カイトは引きつった笑顔で事の経緯を説明する。自分は女の子との密会をしに来たわけではないこと、ただ散歩していたことをしっかり伝える。相手に誤解を訂正する。これが大切だろう。
「経緯とかどうでもいい。女の子と会っていたという事実が嫌なの」
ここまでの反応はカイトの予想通り。ヤミコがこの程度の説明で納得するわけがないのはなんとなくわかっていた。こんな簡単な説明で納得してくれるならヤンデレなどやっていない、カイトもここまでヤミコを恐れる必要もない。
「・・・・・」
カイトは引きつった笑顔が固まったまま何も言い返せなかった。ヤミコが怒っているのは女の子と会っていたという事実であり、そこに至るまでの過程などどうでもいいのだ。カイトは意図してカスミと出会ったわけではなく本当に偶然の出会いだったわけだが大事なのは偶然か必然かではなく会っていたか会っていなかったかそれだけなのだ。
カイトもなんとなくわかっていたがヤミコの反論が予想通り過ぎて逆に何も言い返せなかった。むしろ予想を裏切ってくれた方がよっぽど良かっただろう。会ったこと自体に怒りを感じているならもうカイトにはどうにもできない。何せ会っていたことは揺るぎない事実なのだから。ごまかすはできない。考えろ、考えるのだ。
「あーそっそうだ‼武器!新しい武器を見に来たんだよ。ほら俺の銃仕組みがよくわからないからさ。使い勝手の良いのがないか探してたっていうかなんていうか。さっきの子が武器工房で働いてるっていうからさ・・・」
「・・・・・」
「・・・・・」
ヤミコからの答えは沈黙と光のない眼差しだった。
「お願いだから刃傷沙汰はやめて!?」
カイトは土下座で懇願するしかなかった。もう何も誤魔化せていなかったからだ。正直に頼むしかない。その表情は半泣きである。ただでさえ何故か死んで異世界転生しているというのにその後も幼馴染に殺されるなどまっぴらごめんだ。いや例え生きていたとしても失うものが大きすぎる。
強いて失ってもいい部分があるとすればそれは髪の毛だけだ。
「・・・・・」
ヤミコは黙ってカイトを見下ろす。カイトは捨てられた子犬のような目でヤミコを見上げる。
だがカイトには気のせいかヤミコの口角が少し上がっていてどこか不敵に笑っているように見えた。
「私のこと好き?」
「好きか嫌いかで言えば好き」
普通という選択肢があれば普通と答えるがそれは敢えて言わない。
「・・・じゃあどこが好きなの?」
「あーえっと、頭がいいところ」
「他には?」
「意外と親切なところ、意外と真面目なところ、あとは器用なところ」
「・・・やっぱり目と手は没収ね」
「褒めたのに!?あとおもちゃ没収する感覚で人の体の一部取らないで!」
なんと愚かなのだろうかこの男は。ここで上手くヤミコをおだてることができれば危機を回避できたかもしれないというのに自分の腹の中にあることを正直に答えてしまった。普通こういう時ははっきりと好き、と言ったり相手の内面や容姿などもっとわかりやすくはっきりしたところを褒めるものだというのにこの男はあろうことか頑なに外見を褒めず内面と抽象的な内容しか褒めていない。
それではヤミコも機嫌を良くしないのも当然だ。
短剣の切っ先がカイトに向けられる。太陽の光が反射して刃がギラリと光る。カイトにはすぐに分かった。
(あ、これ刺されるな)と。
(情けも容赦もなく、迷いもなく普通に刺されるわ)と。そしてその考えの通り、瞳の輝きを失ったヤミコはカイトに向けてその短剣を突き立てる。しかし偶然か必然か、その短剣の切っ先はカイトに刺さることはなかった。本来短剣はまっすぐカイトの左目に向かって進みそのまま突き刺さるはずだった。しかしカイトには傷1つない。カイトはその場から動いてはいない。しかし防いだわけでもない。
そもそもカイトでは激おこ状態かつ転生時のギフトをたくさん持っているヤミコの力には勝てるはずもない。手をかざして防ごうものなら手ごと左目を貫かれるだろう。
シンプルなことだ。避けたのだ。首を右に傾けるという最小限の動きだけで。
ヤミコはその結果に一瞬だが目を見開いた。当たり前だ。今の一撃は避けられるはずがなかった。身体能力の差もそうだが何よりカイトはヤミコがどこを攻撃するのかがわからないはずだからだ。例えば一口に目と言っても右目の攻撃を避ける場合と左目の攻撃を避けるでは避けるべき方向は違う。間違えれば致命的な一撃になる。
かがむなど姿勢を低くすれば目への攻撃は避けられるかもしれないが、もし手を狙われていたら当たっていた。
しかも動きはとても最小限。まるで次に来る攻撃がわかっていたかのような動きだ。
ヤミコはすぐに次の攻撃を仕掛けようとするがそれよりも先に自身の体が傾いたのを感じた。
足元を見ると自身の足が地についていないのがわかった。足を払われたのだ。体勢を崩しそうになり倒れないように立て直そうと片足を地面に着けようとするが次の瞬間、その足もカイトにもう1度払われた。まるで何もかも読まれていたかのような反応の速さ。
そのまま倒れヤミコの頭は地面に衝突するかと思われた。しかしそれもまた予想外なことにヤミコは倒れることなく倒れる寸前でカイトの腕に受け止められた。まるで落ちてきた羽を受け止めるような軽い感触。カイトはそのままヤミコの短剣を握る手をぐっと掴み困ったような笑顔で言う。
「や、やめよう?」
それは今カイトが作れる精いっぱいの笑顔だった。命のやり取りをしていたわけなのでまともな笑顔など作れるはずもなく、かと言って真面目な顔で叱りつけてもヤミコを刺激しかねないのでこのようなことになってしまっているわけである。ちなみにヤミコの前でこうやって笑顔を作ること事態には苦はない。先ほどまで殺さそうになっていたが不思議なことに死への恐怖はあったが理不尽への怒りの感情はなかった。
「帰ろ?」
「・・・もう浮気しない?」
「俺たちは付き合ってないので浮気ではない」
短剣を振り上げようとするヤミコの手をどうにか抑え込む。言葉の配慮が全くできない男である。
「今夜寝る場所も食べるものないんだから仕事行かないと‼」
力強いヤミコをどうにか押さえつけながらカイトは何とか説得しようと試みる。
「好きなもの買ってあげるから!」
「別にいらない」
「えぇ、じゃあえっとえっと」
なんだか歯医者に行きたくない子供と何としてでも連れて行きたい大人のようなやり取りになってきた。
カイトはいろいろ焦っていた。もので釣れないのは厄介だし、いつまでもヤミコを押さえつけてもおけないし、一体いつになったら機械生命体を倒しに行けるんだろうと。このままでは鋼鉄が支配する異世界なのに機械生命体が全然登場しないヤンデレ幼馴染との一進一退の攻防を繰り広げるだけのハラハラ日常物語になってしまう。
とにかくそれが心配だった。だから必死に考えた。ヤミコを動かせるだけの材料を。
「今日は好きなだけ手をつないでもいい」
ヤミコの体がピクリと震える。自分の体を差し出す苦渋の決断だったが体の一部を取られるよりはいい。
「・・・腕を組むのは?」
「うっ、き、許可する」
「他には?」
「他には!?えっとそうだな」
カイトは考える。あと一押しだ。あと一押しできればこの場は乗り切れる。おそらくヤミコは些細なことでは動かないだろう。だがここでもう少しパンチのある提案ができれば確実にどうにかできる。
「一緒に寝る。・・・いや待ったやっぱり」
自分で言ってから事の重大さに気が付いてしまった。これは猛獣の檻の中で眠ると言っているのと同じだ。すぐに訂正しなければ。
「言質とった」
訂正しようとしたカイトの言葉はそれよりも早かったヤミコの言葉に遮られた。ヤミコは立ち上がるとカイトに手を差し出す。「手をつなげ」という催促だ。
「待ってくれ!さっきのは」
「言質、とったんだよ?それともさっきまでの嘘だったとか言わないよね?」
笑顔を浮かべるヤミコの周りから謎の黒いオーラが溢れているのが見えた気がした。そしてそんな状態のヤミコにカイトが逆らえるはずもなく、彼はただ弱々しく怯えた小動物のように
「はい」
と答えることしかできなかった。