これが今
アーケイドに住むハンターの朝は早い、ときもある。だがはっきり言って遅いときもある。彼らの仕事時間は決まっていない。依頼の期間が指定されていないならいつ仕事をしてもいいし、いつ休みを取ってもいい。とても自由な仕事だ。楽なように見えるが実際楽なものである。しかしその報酬は悲しいもので夏でも冬でも懐は寒い。懐を暖かくしてぬくぬくできるのはほんの一握りの才能や人脈に恵まれた者だけだ。
しかし恵まれなかった者にも人生一発逆転のチャンスはある。例えば高難易度の依頼。失敗すれば命を落とすほどの危険な依頼には莫大な報酬が約束されている。この世界、この都市、この貧民街では誰にでも平等に大成するチャンスが与えられる。ただし鋼鉄の獣たちの牙に蹂躙され、野を生きる怪物たちに内蔵を引きずり出されても良い覚悟があるならの話だが。
それが嫌ならば成り上がる方法はたった1つ。この都市の闇の中で生きることだ。アーケイドの貧民街である外周区の治安は良いものではない。街の中には狩りのために武器を持ち歩くハンターの他にも密売人、ギャングなど数多くの闇組織が存在している。いわゆるアウトローとして生きるのもまた1つの道だろう。ただしこちらも命の危険は伴う。要するにこの街では命をかけずして成り上がることなどできない。
外の化け物たちにぶちまけられて死ぬか、内の人間たちにぶち抜かれて死ぬか。野心ある者が選ぶことができるのはその2つだけだ。
しかしそれでも人々は追い求める。綱渡りのようなその危険な道の先に夢があると知っているからだ。
そしてここにも密かに夢を追い求める少年がいた。
「落ち着いて‼ほら息を深く吸って‼ステーイステーイ」
夢を追い求める少年、カイトの日常というのは波乱万丈なものである。彼はそもそもこの世界の人間ではない。日本出身の普通の高校生だった。突然この異世界に転生させられて右も左も分からない状態だというのにハンターとして日々勤勉に働いて生計を立てているのだ。最近は武器工房の少女カスミの家に居候しているおかげで出費は多少楽になった。
しかし彼の苦労は絶えない。その原因の1つは彼の目の前にいる1人の少女である。
「どいて‼カイトがそいつをもう見られないくらい‼醜くなるくらい切り刻むから‼」
大きな戦斧を両手に持ち、今にも殺傷事件を起こしそうなその少女の名前はヤミコ。
彼女もまたカイトと同じ日本出身の普通の女子高生だった。強靭‼無敵‼最強‼ヤンデレ‼そんな言葉がふさわしいカイトの幼馴染であり、カイトとセットで異世界に転生させられ、同じくカスミの家に居候している。
ヤミコがヤンデレであるためトラブルは絶えない。現に今はカイトが偶然通り過ぎた年上の女の人につい目を引かれてしまったためにヤミコが怒り、何も知らない一般通過お姉さんに斬りかかろうとしている状態だ。はっきり言って訳の分からない状況だがヤンデレとは理解不能なもの。いつどこで爆発するのかわからないし、すぐ「そいつ殺せない」だの「そいつ埋められない」とどこからか刃物やらシャベルやら出てくる。本当に用意周到ですこと。
カイトは必死にヤミコを抑え込む。当然一般通過お姉さんを切り刻ませるわけにはいかない。
カイトは自らの行いを後悔していた。自分が一般通過お姉さんに視線を移してしまったせいでこんな事になってしまったことを。でも仕方がなかった。別にやましい理由があってお姉さんを見ていたわけではない。確かに肌の露出が多いお姉さんだった。カイトの意思に反して目が勝手に追いかけてしまったのもあるかもしれない。だがこれは不可抗力というやつだ。
(だってお姉さん服とズボンに値札ついたままなんだもん‼)
人の服に値札がついていたら気になってしまうのが人間の心理。猫がゆらゆらと揺れる猫じゃらしに狩猟本能を刺激され興味を示しそこにじゃれついていくように人間の場合は服についたままの値札に好奇心という本能を刺激され興味を示してしまう生き物なのだ。
ひらひらと風になびく値札に目がいかない人間などいない。カイトは値札を見ていたのだ。決してお姉さんのチラ見えしていた脇とか胸の谷間とか太ももを見ていたわけではない。というかそれは意図せず視界に映り込んでしまうものであって本当に変な目で見ていたわけでは(以下略)
「ステーイ、ステーイ」
凶暴な生き物をなだめるようなこの状況にカイトは某恐竜映画のワンシーンを思い出した。確かこんな感じで恐竜を落ち着かせるシーンがあったような気がする。
「殺しそこなった」
ヤミコはそう言うと戦斧を下ろした。それを見てカイトはホッと一息つく。もし万が一ヤミコが一般通過お姉さんを襲いかかろうとしたらその時は足を撃ち抜かねばならなかったがどうやらその必要はなくなったようだ。ヤミコの足と一般通過お姉さんが無事でよかった。
カスミの家に居候してからも2人の関係は見ての通り変わっていない。相変わらず不意に暴走するヤミコをカイトがどうにかして押さえつける。ほぼ毎日この繰り返しである。
「やれやれ」
カイトはごつごつとした額のゴーグルの位置を直す。実際はズレてはいないのだがなんだか下にズレているような気がしてしまうのだ。2人は家へと帰る途中だった。時刻はまだ昼になったばかりだったが今日の仕事はもうおしまい。まだまだ人々はバリバリ働いているような時間だが始業も自由なら終業も自由。それがハンターだ。
2人が家、正確にはカスミの店兼工房に戻ると店先でカスミが大柄な初老の男と話していた。男の格好はカスミの着ているタンクトップのように黒く薄汚れた作業着と黄色のヘルメットを被っている。カスミのような技術者だろうか。2人は何か深刻そうに話し合っていたがしばらくすると話が終わったのか男がその場を立ち去った。カスミは笑顔でそれを見送る。様子を見る限り厄介ごとではなさそうだ。
「あっおかえりッス」
「さっきのは客か?」
「はい。炭鉱の採掘用のドリルが壊れたから見に来てほしいって」
カスミは技術者としては優秀らしく依頼が頻繁に入っているのをよく見かける。カイトもカスミの技術には前々から感心していた。カイトの使う『インパクトマグナム』はカスミの作った銃だ。自分で一から銃を作れるという時点ですでに卓越した技術を持っているのは間違いない。他にも機械の修理はもちろん、分解、組み立てなど幅広くこなす。いわゆる天才。機械を愛し、機械に愛された機械の申し子と言っても過言ではない。
「さて、昼ごはんにするッス」
食卓についた3人の目の前にあるのは鍋に入った何かだ。何かというのは鍋の中の料理を適当に表現したためではない。文字通り聞こえた通り見た通り、鍋の中のそれが何なのかわからないからである。
「いっぱい食べくださいッス!」
笑顔で皿いっぱいに盛られたそれは黒い。いや、本当に黒いのだろうか。なんとなく紫色に見えないこともないが、緑っぽく見えるような気がしないでもない。具材が何なのか、一体どんな料理なのかがわからない。シチューのようにトロリとした料理なのはわかるがそれ以外何もわからない。
カイトはその料理の見た目に躊躇しながらも震えるスプーンでその何色なのかもよくわからない料理を口へと運んだ。そしてしばらくの停止の後、何事もなくその料理を食べ続ける。
カスミは機械に関しては天才だ。恵まれた才能がある。そしてその才能は物を生み出すという行為に直結し料理にも影響している。カスミの料理は味は悪くない。むしろおかわりしたいくらいにはおいしい。しかしその見た目が壊滅的なのだ。一体どんな調理の仕方をすればこんな表現できない色の料理を作れるのだろうか。鍋の中を見ると1つの銀河系ができているようにしか見えない。
「自分は明日からマルタニ鉱山へ行くッス」
カスミのその言葉に反応してヤミコが食いつく。
「どのくらいかかるの!?いつ帰ってくるの!?遠い場所!?」
「寂しいんスか?ヤミコちゃん。すぐ帰ってくるんで大丈夫ッスよ。でも明日から3日はお店を閉めることになりそうッス」
「そう。でもゆっくり帰ってきて大丈夫よ‼」
ヤミコがここまでカスミの帰りを気にしているのはもちろんカスミのことが大好きだからではない。むしろ帰って来なくてもいいとすら思っているのだろう。カスミのいない時間カイトとヤミコは2人きり。まさに天国。その時間を邪魔されたくないだけだ。
しかしカイトとしてはカスミのいない間は正真正銘の地獄。出来ることなら邪魔してほしい。
「早く帰って来てくだひゃい」
「んもう。カイトさんもさみしんぼうッスか?心配しなくてもすぐに帰ってくるッスよ」
2人の本当の事情に気が付かずカスミは呑気に笑うのだった。




