夜戦を生き残れ!
ボロッちいシャワーを浴びたカイトはベッドに座った。シャワーを浴びると今日の疲れが明確にあらわれる。もちろんある程度は浴室で流れ落ちているはずなのだがそれでも「今日も頑張った」という力の抜けるような感覚を肩のあたりに感じる。
しかしそれでもなおカイトは地蔵のように固まっていた。カイトは宿の問題などでついさきほどまで大事なことを忘れていた。しかしシャワーを浴び終えて出てくる時に
「後は寝るだけかー。ん?寝る?なにか忘れて···はっ!!」
という具合に思い出したのだ。忘れたならば思い出してほしい。今朝、カイトが一体どんな条件でヤミコと和解したのかを。手をつなぐとか腕を組む、食事の「あーん」など序の口。オマケのようなものである。メインはこちら
「一緒に寝る」
大事なことなのでもう1度言おう。
「「「「「一緒に寝る」」」」」
これがカイトとヤミコにとって今日の一大ビッグイベントなのだ。もちろん両者にとってそれぞれ地獄と天国の一大イベントである。そして運命の嫌がらせか、確保できた部屋もベッドもたったの1つ。逃げる口実も作れないため逃げられない。
「これが万事休すの絶体絶命焼肉定食。か」
おそらく違うだろう。
状況は絶望的で辞世の句を読もうにも、なぜか頭の中は焼肉定食のことばかりでまともな句が浮かばない。死に際というのはまともに頭が動かないようだ。
(いや、そもそも考え過ぎか?そうだよ。ただ一緒に寝るだけ。何も起こったりしない。昔はよく一緒に昼寝してたじゃないか)
どうやら昔の汚れを知らない純粋な心を忘れていたらしい。ヤミコの浴びるシャワーの音や積み重ねてきた少年としての罪の数々が思考を歪めていたのだろう。ヤミコは確かに非常識な部分はあるが根本的な部分では頭のネジが外れているわけではない。
転生時に前世の徳をポイント化した「徳ポイント」で最上級のプレミアパックを大量に買えているのが証拠だ。根本的には良い子なのだ。
ガチャッと浴室のドアが開く音がした。
(ごめん。ヤミコ。俺はお前を疑っていた)
カイトは幼馴染を信じられなかった自分の不甲斐なさに拳を握った。いくらヤミコに非常識な部分があるとはいえ、あまりにも無礼な考えだった。
(俺も腹をくくるよ。一緒に寝よう!!昔のように!!)
そして出てきたヤミコを見た。
カイトの視界に入ったヤミコの格好はバスタオル1枚で身体を隠し、服など着ていなかった。そして息は乱れており、その顔は頬は上気したように少し赤く、目もトロンとしている。気のせいかカイトにはヤミコの目の奥にハートマークが見えたような気がした。どうやらここにも罪を重ね過ぎた少女がいたようだ。
今のこの状況は飢えた獣が獲物を目の前にしたときの場面と完全に一致している。
(フラグ回収早かったなー)
カイトの中にあった罪悪感の心と覚悟は吹き飛んで代わりにそんな低い知能だけが残った。
「あんまりじっくり見ないで···恥ずかしい」
自分でやりたいってことだというのにヤミコは落ち着かないのかモジモジしながら小さな声で言う。ヤンデレの感情にすべてを飲み込まれたかと思ったが一応羞恥心は残っていたらしい。それが今この場での唯一の救いである。
「服を着ようか」
「脱がせるところからやりたいってこと!?」
カイトはもう何も言えず。珍しくアタフタしているヤミコを黙って浴室に押し込めた。これほど感情を失ったのは生まれて初めてだった。
そして思った。
(ヤミコはやっぱりヤミコだったな)
「電気消すぞ」
カイトは部屋の電気を消すとベッドに入った。使うことはないと思いたいが手の届くところに武器も置いてある。ほんの少しだけ間を空けて隣にはもちろんヤミコが寝ている。ベッドが大きめで助かった。もしこれより狭かったら完全に密着して寝る羽目になっていただろう。
電気を消すと部屋は真っ暗でヤミコが何をしているのかわからないので少し怖い。カイトはヤミコのいる方とは逆側を向いて眠る。ヤミコの方を見て寝るのはなぜか気恥ずかしかったからだ。
後ろでもぞもぞと音がしたかと思えば肌に何かが触れた。
「服の中に手ぇいれんな!」
体中を細い指がサワサワと動き回る。
「カイト、逞しくなったね。子どもだった時とは体つきが全然違う」
「そ、そりゃそうだろ」
「私も、変わったんだよ」
背中に以前にも味わった柔らかいものが触れる。さらにカイトの太くゴツゴツとした足にヤミコの柔らかい細い足が絡んでくる。体格の違いを明確に感じる。こんな刺激の強いことをされたせいでもう眠るどころかカイトの目は冴えまくってしまっている。
密着よりも密着した状態。絡みつくような体勢で耳元でヤミコが言う。
「私、夢があるんだ」
「夢?」
「子どもの頃からずっと変わらない夢。カイトとずっと一緒にいること。結婚することって言ってもいいのかな」
ヤミコが好意を向けてくれていることはカイトも知っている。今まで何度もアプローチを受けてきたのだ。今日だってそうだ。手をつないで歩いたり、ご飯を食べさせ合ったり、こうして一緒に寝たり。知らないふりをするのは無理がある。
「私、頑張ったんだよ。料理も勉強したし、運動もしたし、学校の勉強だって頑張った。カイトの好きそうな髪型とか服装とかだって必死に研究した。なのに、ねえ?どうして私だけを見てくれないの?」
それは恋する乙女の心の底から吐き出された気持ちだったのだろうか。好きな相手に自分だけを見てもらえない悔しさ、もどかしさ、悲しさ。きっといろいろな感情が混ざっているのだろう。どれだけ追いかけても意中の相手は蝶々のようにどこかに飛んで逃げてしまう。だが追いかけるのを止めて立ち止まっていてもどこかに飛んでいってしまう。
ヤミコにとってカイトとはそんな自由に飛び、強く掴めば潰れてしまうような儚い存在なのだ。
そしてそんな蝶々なカイトはヤミコからの言葉に対して悪びれる様子はなく、どちらかと言えば気まずさと困ったような声で答えた。
「何故見ないのか。それはあなたが今、私の体に血が出るくらい強く爪を立てているのが原因の1つですよ。普通の男子高校生だったら痛みでこんな冷静に話したりできないですからね。そりゃあ痛くて何も見てられないよね」
カイトが何故ヤミコの気持ちに答えないのか。答えは1つ。ヤンデレだからだ。ヤミコのことは苦手ではあるが嫌いではない。幼馴染だし、非の打ち所はないし、自分に好意を向けてくれている。嫌いになる理由はない。もしヤミコがヤンデレではなく普通の女の子だったらカイトも今頃ヤミコと共にリア充の仲間入りを果たしていたことだろう。
しかしカイトからすればこの強い束縛がつらい。ヤミコは独占欲が強いところがある。それ故に些細なことで刃傷沙汰になりかねない。今朝も偶然カスミと会ったことが原因で手と目を取られかけたし、今も腹にヤミコの爪が刺さっていて出血しそうなくらいとても痛い。問題点は他にも色々あるがそれを説明していてはキリがない。
彼女は蝶々を捕まえて虫かごで飼いたいが蝶々は虫かごではなく広い世界を自由に生きたいのだ。
「むぅ、こっち向いて」
ヤミコは拗ねたように言う。
「いやいや流石に」
「はやく」
腹部をガリッと少しだけ引っ掻かれる。
これ以上傷をつけられてはたまらないとカイトは体勢を変えた。ヤミコの方を向くとそこには嬉しそうなヤミコの顔がすぐ近くにあった。吐息さえ感じられそうだ。近いうえに昼間に見るヤミコとはどこか違う雰囲気に不覚にもドキッとした。
「も、もう寝よう。明日も早い」
目を逸らして言うカイトを無視してヤミコはカイトの胸に顔をうずめる。それにまたカイトはドキッとしてしまった。
「あ、今ドキッとした?」
「そそそんなわけないだろ」
「嘘ばっかり」
心臓は普段よりも早く鼓動を鳴らしている。当たり前だ。カイトはお年頃の男子高校生、そして目の前にいるのはヤミコといえど同年代の女子高校生、ドキドキしないはずがない。
これだけやかましければ心臓の音はヤミコに丸聞こえだ。
「ぎゅってして」
ドキドキしまくってまともな思考のないカイトは言われるがままヤミコをギュッと抱きしめた。ヤミコの体は小さくカイトよりも体温が高かいのがすぐに感じられた。
「そっちだってドキドキしてるじゃん」
「気のせいだもん」




