第7話 店頭販売限定に地方民は涙する
夏休みも終盤に入ったんだからさ、そろそろこの繁忙期も落ち着いてくれよ。
そう愚痴りたくなるくらいにカフェ・シエルは繁盛していた。
ランチタイムともなると常に満席で外にも長蛇の列が出来ている。
このアホみたいに暑い中、よく並ぶ気力があるな……。
フロアスタッフの俺たちはまだいいが、火を扱って常に熱気の中にいるキッチンスタッフは皆死んだような顔している。
パンケーキを筆頭に絶え間なく流れてくるオーダーを捌き続けているんだから無理もないか。
「ちょっと今日ヤバくない?」
「ああ。いくら何でもさすがに客の数が多すぎる」
パンケーキの仕上げにクリームを乗せる作業を延々と続けていた舞衣が悲鳴にも似た声を上げた。
俺も長時間立ちっぱなしで、既に辛い。
この店でバイトを始めてから半年は経つが、ここまで客の入っている日は数えるほどもなかった。明らかに異常だ。
「テレビの影響だよ。ったく……」
背後から呆れた様な、疲れきった声がした。
振り返らずとも声の主は分かる。店長だ。
「テレビって……紹介されたりでもしたんですか?」
「ああ、昨日の昼の情報番組でガッツリ特集組まれたみたいだぞ」
みたいだぞ、ってあんた店長だろ。その辺もうちょっとしっかりしてくれよ。
この店長、尋常じゃなく仕事が出来るのだが裏だとビックリするくらい愛想がない。
オンオフの切り替えがハッキリしてる……と言うべきなのかもしれないが。
フロアで愛想よく、テキパキと接客する姿はまさに働く女性の理想形のように見えるのだが、裏では声が二オクターブくらい下がるし、暇さえあればタバコを吸ってサボっている。
そのギャップはもはや二重人格。
キャラ作りという点においては、俺も勝てる気がしない。
これはさすがに俺の倍近く生きている年の功……いや経験値の差の為せる技なのだろう。
「あ~だからちょっと今日の客の年齢層高めなんだ~」
「舞衣、言い方よ」
「でも誠も実際そう思うっしょ?」
「いや確かに今日は学生っぽくない人が多いけどさ」
言い方はあるにせよ舞衣の言う通りだ。
今日はいつものきゃぴきゃぴした学生に加えて、別の意味できゃいきゃいしてる主婦らしきグループが多いな、とは思っていた。
これがテレビの影響か……めんどくさいことしてくれやがって……。
ピンポーン。ピンポーン。ピンポピンピンポーン。
心の中で毒づく暇も与えてくれないらしい。
今はこの機械音が戦場に鳴り響く法螺貝の笛の音に聞こえてくる。
カフェの裏側、優雅に泳ぐ白鳥のバタ足が如し。
「ほら、おしゃべりの時間は終わりだ。生田、行ってこい」
「一人じゃ無理です。店長もお願いしますよ」
「わーってるよ」
悪人顔の店長が一瞬でに涼し気で、人当たりの良さそうな顔に変わる。
もはや変身だな、と思いつつ俺も口角を上げて戦場に向かう事にした。
「いらっしゃいませ~」
※ ※ ※
「ただいま~」
満身創痍でシフトを終えて自宅に生還した。
「おかえり~」
「昼は食べたか?」
「うん、美味しかったから残り物全部食べちゃった」
「嬉しいけど食べ過ぎじゃないか……?」
「大丈夫、私太らない体質だから」
「バイト先の友達が発狂しそうな事言ってるな」
パンケーキを見過ぎて、見てるだけで太りそうなんだけど? と言っていた舞衣が唇を噛んでいる様子がありありと浮かび上がる。
舞衣も普通に痩せている様にしか見えないのに、そこまで敏感にならなくても……とは思うがそんな事を口に出す様な蛮勇さはない。
「バイトかぁ」
莉愛は思う所があるのか、興味深そうに呟いた。
「興味あるのか?」
「うん、お金が欲しい」
「直球だな」
理由が清々しくてむしろ好感を持てる。
でも──
「もうちょっと落ち着いてからでもいいんじゃないか?」
ただでさえ、新しい家、新しい高校と環境の変化が重なっているのだ。
それに加えて更にバイトを始めるとなると、パンクしてしまいそうで心配だ。
「そうも言ってられなくて……できればすぐに始めたいの」
それでも莉愛の決意は固いらしい。
理由を聞こうとした俺の意図を察してか莉愛はすぐさま言葉を繋げた。
「ラリコたんのフィギュアが買いたいんだ~」
「あれ? フィギュアなら部屋に置いてなかったか?」
莉愛が家に来てから一週間。
ほんの少し前まで何もなかった空き部屋は、あっという間に莉愛の趣味の色で染め上げられた。
驚いた事に莉愛が持っていた大きなスーツケースの中身に生活必需品は精々半分しか入っておらず、残りは全てラリコたん含めた魔法少女系のアニメのグッズ。
莉愛の私物の大半は未だに届いていないため部屋はまだ殺風景ではあるが、莉愛の持ってきたグッズだけでも部屋のコンセプトを決定づけるには充分な数があった。
「あれは一期の衣装だから! 今欲しいのは二期の衣装なの」
「なるほど?」
「あ~、絶対ピンと来てないって顔してる」
莉愛はむすっと頬を膨らませて不服そうな顔をした。
学校でよく話題に上がるようなアニメやドラマを見るだけで、俺はその手の話題には疎いのだ。
推しがどうだとか、布教したいとか、その手の能動的な欲求には縁がない。
基本的にエンタメ関連の話題に関して俺は極めて受動的なのだ。
「いや、どっちも同じなんじゃないかって思ってさ」
どうやらこの反応は完全に不正解だった様で、莉愛の顔がより一層不服そうな表情へと変わる。
また選択肢を間違えたらしい。
「ぜんっぜん違うから! ラリコたんの成長が衣装にも現れてる激エモ仕様なんだよ?」
「へ~、それは知らなんだ」
変に話すと地雷を踏んでしまいそうだ。
となれば、聞き役に徹した方が都合がいいだろう。
莉愛との会話は難易度が桁違いに高い。
普通の相手であれば、何が好きで何が嫌いかという情報は仲良くなっていく過程で段々と明かされていくものだ。
気軽に話せる仲になる頃にはその辺りの情報は何となく収集できているから会話の選択肢を選ぶための事前情報は十分に集まっている。
しかし莉愛は再開した時から会話の距離感が近すぎるのだ。
そのせいで会話の遠近感を掴めずにこうして地雷を踏んでしまう事が間々ある。
要するに莉愛はかなりのコミュ強なのか、と言ったらそれもまた違う気がする。
いわゆるコミュ強という人間は会話の距離を詰めるのが圧倒的に早いが、莉愛にはそもそも距離という概念が存在しない。と言うのが実際の所だろうか。
「それにさ」
一転してウキウキと上機嫌な表情に変わった莉愛が、
「発売してすぐのグッズが買えるのが嬉しいんだ」
と続けた。
相変わらず表情がころころとよく変わる。
今度はその表情の変化の理由に心当たりがあった。
「あーそっか。アメリカだと送料とかもバカにならなさそうだしな」
「それもあるんだけどね~。基本的に店頭販売しかしてないやつばっかりだから……今まではずーっっと我慢してたんだよ? このチャンス……逃すわけにはいかないよ」
「でもお金がない、と」
どうやらそれがバイトをすぐにでも始めたい理由に繋がるらしい。
「いや、でも良い事だと思うぞ。何かやりたいバイトとかあるのか?」
「……時給がいい所」
「これまた直球だな」
欲望に忠実過ぎる莉愛の言葉に、俺は苦笑交じりで答えた。
「でも、私バイトの経験ないし……マコくんと同じ所ってダメかな?」
「う~ん、難しいな。ちょうど今の時期って人の入れ替わりで募集かかる時期だと思うんだけど、うち倍率高いし」
夏休みも明けて二学期になるのをきっかけにバイトを辞める受験生や大学生も増えてくる。
そのためそろそろ募集がかかるとは思うのだが……。
カフェ・シエルはこの辺りだと、そこでバイトしている事が一種のステータスになる程度には有名で倍率が高い。
莉愛は誰が見ても美少女だ、と答えるくらいに整った容姿をしているが……うちで求められている綺麗さとは少し違う気がしないでもない。
舞衣を筆頭にカフェ・シエルでバイトしている女子生徒は皆バッチリ化粧を決めて、制服に着替えるのに気合の入った私服で来るような人が多い。
そもそも自分を着飾るのが好きな人が合格する傾向にある。
それに対して、莉愛はどちらかと言えばそう言った事に無頓着だ。
ナチュラルメイクでもなくて、そもそも化粧っ気のない顔──似た様なシャツとジーンズが中心のカジュアルな服装。
そもそものタイプが違うように思える。
本来なら別の所を勧めるべきなのかもしれないが……どうも危なっかしくて心配だ。
何かやらかさない様にサポートできるならそうしたい気持ちもあった。
それともう一つ、カフェ・シエルのバイトは結構時給がいいのだ。
この辺りだと肉体労働系を除けば屈指の好時給を誇っている。
それもあって、カフェ・シエルはお互いにとって都合のいいバイト先だと言える。
「そこはマコくんのコネでどうにか……とか」
「残念、俺にそんな権限はないよ」
「でも誰も知ってる人がいないのはちょっと怖いし……マコくんがいてくれたら心強いって思ったんだけどな~」
上目遣い気味にこちらを見てくる莉愛は少し不安そうな色を瞳に宿していた。
──ずるいじゃん、それは。
そんな事言われたら、協力せざるを得なくなってしまう。
「分かったよ。店長にバイトの面接のコツとか聞いてみるからさ」
若干ダルそうに答えつつも、既に俺はどうすればいいかというのを頭をフル回転させて考え始めていた。
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