第31話 味方に居て頼もしい奴は敵に回ると恐ろしい
──ある所に隣り合う二つの国、ヴェローナ帝国とボローニャ王国がありました。
──その二つの国は大層仲が悪く、長い間小競り合いを起こしています。
──もちろん国交はなく、お互いの国の人同士は交わることはありませんが、唯一の例外がありました。
──それは第三国、聖ロレンス公国への留学です。
──両国の名家、貴族の男女は幼い頃から成人するまで聖ロレンス公国にある学園に通う事になっていました。
──これはその学園で惹かれあうロミオとジュリエットの禁断の恋を描いた物語です──
「これが文化祭のために作った脚本の原案よ。皆どうかしら?」
放課後、二回目の文化祭の準備会。
壇上に立った志乃が皆に脚本を配って、そう言った。
「ロミオとジュリエットのパクリやろ? 俺はええと思うで」
「パクリじゃなくて、パロディーよ。人聞きの悪い言い方は辞めて頂戴」
大吾の言葉に目をキッと吊り上げた志乃が反論した。
にしてもさすが志乃だ。
よくこの短期間でここまで仕上げてきたな……。
「いいんじゃないか?」
「ロマンチック~。こういうの好きよ」
志乃の脚本は好評だったようで、誰からも反対の言葉は出なかった。
まあ、ロミオとジュリエット、と言えば文化祭の演劇の演目としては定番だからな。
でも……。
「なあ志乃」
「どうかしたの? 誠には何か気に入らないことがあるのかしら?」
「いやそんなんじゃないんだけどさ……」
「じゃあ何?」
「確かロミオとジュリエットって最終的に心中してしまうんじゃなかったっけ?」
そう。ロミオとジュリエットは非恋の物語だ。
勘違いから最終的に二人は心中してしまう。
「ええそうよ。よく知ってたわね」
「それってどうなんだ……?」
「そんなの改変するに決まってるじゃない。考えてもみなさいよ、楽しい楽しい文化祭での観劇。それが突然の心中って言うバッドエンドで終わったらどうなるか。想像できないわけじゃないでしょ?」
「確かに……」
「雰囲気ぶち壊しやな」
想像しただけでまずい事になりそうだと理解できる。
大体高校生の文化祭の演劇に、純粋な演技力が求められることはあまりない。
クラス一丸となって作り上げたドタバタな空気感を求めて見に来るのだ。
後方で腕組みして、採点するようなおじさんは多分いないだろう。
「分かればよし。それで相談なんだけど……脚本のセリフ回しとかまだ細かい所は定まってないのよね。時間もないことだし、誰か一緒に作ってくれる人はいないかしら?」
志乃の言葉に普段から志乃と仲よくしている女子生徒の何人かが手を挙げた。
確かその中には志乃と同じ演劇部の生徒もいたはずだ。
この辺は任せておけばいいだろう。
これから色々配役とか、それぞれの役割が決まっていくんだろうけど……。
俺は何をやろうか。
主役は怜央とかになるだろうし……小道具とか照明とか、裏方の方を手伝おうかな。
俺は表に立つ側の人間じゃないし。
適材適所ってやつだ。
仮に舞台に立つことになる必要があるとしても……ノーマルレアの俺にはモブが、【生田誠】としてでも、主人公の親友ポジくらいの役割が一番の適任だろう。
それが甘い考えだと知るのに時間はかからなかった。
※※ ※
というのも、それから一週間後。
九月も中旬を迎え、さすがに蒸し上げるような暑さも和らいで、夜になれば寝苦しさを感じなくなる日も出てきた、そんな日。
第三回目の文化祭準備の会議で想定外のことが起こってしまった。
「脚本が出来上がったから、今日は演者とか裏方とかの配役決めを行うことにしようと思うの。
皆脚本は軽く読んでくれたかしら?」
すっかり学級委員長として、まとめ役になった志乃が今日も壇上で手腕を振るっている。
「うん、見たよ。現代ラブコメディー風にアレンジしたんだね」
「そ、怜央くんの言う通り。今回は文化祭の演目の定番、ラブコメディーチックな路線に仕上げてあるわ」
「なんか腹立つけど普通におもろかったわ」
「一言余計なのよ、あんたは」
皆台本を見てここがどうだ、あそこがこうだ、だのワイワイ言い合っている。
実際に俺も台本を目にしてみたが、原作の流れをちゃんと踏襲しながら笑いあり、涙ありの見どころが素人目にも分かりやすい台本に仕上がっていると思う。
これなら観客からの反応もよさそうだ。
「というわけでね、今日は差し当たってロミオとかジュリエットとか、メイン所の配役を決めちゃいたいと思うの」
教室がより一層大きくざわめきだす。
文化祭の演劇で主人公を演じる……プレッシャーはあれど、一度くらいスポットライトを浴びてみたいかな、と思う気持ちはあるだろう。
ただ……。
「それじゃまずは、主人公のロミオから決めようかしら。誰かやってみたい人は……ってあら?」
誰も手を挙げなかった。
自分じゃ役不足だから。演技に自信がないから。理由は色々あるだろう。
でも立候補するものがいない大きな理由が二つあった。
一つ、ロミオは最終的に衆目の前でジュリエットに向かって愛を叫ぶ、という心理的にハードルの高いシーンがあること。
そしてもう一つ、このクラスには生まれながらにして主人公が適任に思えてしまう……怜央がいること。
それらの理由が合わさって誰も手を挙げなかったのだ。
「困ったわね……だったら他薦にしてみる?」
志乃がそう言った瞬間。
一斉に怜央の方に視線が集まった。
怜央は「え、僕?」と四方からの視線に戸惑った様子を見せている。
「えと……僕は裏方の方がいいんだけどな……」
そこまで主人公オーラをバリバリに出しておいて裏方志望とは……?
もしかして怜央自身がスポットライトになるとか……そんな感じなのか?
さすがにそれは冗談にしても完全に算段が外れた形になったのは事実だ。
それは志乃にとっても計算外だったようで
「えと……強制はしないんだけど……チャレンジしてみるつもりはない?」
と、最初から主人公を怜央にしようと議論の方向性を誘導していたことを隠すつもりもない様子で説得を試みた。
それでも怜央は恥ずかしいのか、頑なに拒んでいる。
バイトでの付き合いもある分俺は知っている。
怜央は意外と頑固だということを……。
バイトでも美学があるのか、細かい盛り付けでも絶対にマニュアル通りに遂行するのだ。
そんな手間暇かかることを実行しているのは怜央くらいなものだ。
そういうわけだから、一度拒否した以上怜央がロミオ役を引き受けないのはほぼ明白だった。
微妙に停滞した空気が、ざわめきが教室を包む。
「お前行けよ」「無理だって」みたいな会話がそこかしこで聞こえてくる。
そんな淀みかけた空気を変えたのはやはり大吾だった。
少し間が良すぎる気もするが……。
「まあ怜央がやらんのやったら仕方ないんちゃう?」
「それは……そうね」
「仮にやで? 怜央がロミオ役やってみ。相手役がファンクラブの人から狙われて、身の危険に晒されるかもしれへん」
「大吾……僕を何だと思ってるのさ……」
知らないのは本人だけだろうが、うちの学校には非公式だが三苫怜央ファンクラブが存在する。
特に二、三年の先輩からは怜央の大人と子供の狭間みたいな容姿がたまらなく魅力的に見えているらしい。
今となっては学園のアイドル、マスコット的な立ち位置を築いているのだ。
そんな怜央が演技とはいえ特定の相手に向かって愛を叫ぶ……となれば過激派が暴走をおかしてもおかしくない、と思えてしまうのが怜央のすごいところだ。
「うーん、困ったわね。だったらどうしようかしら。他に誰かロミオをやってくれる人は……」
志乃が首を傾げて困った様な声をあげる。
なんだ、どうもちょっと違和感があるような……?
「それやったら誠がええんちゃうん?」
「は?」
大吾の唐突過ぎる裏切りによって、俺は突如議論の中心に放り込まれた。
「そうね……誠なら怜央と同じあのカフェ・シエルでバイトしてるくらいだものね。主役に据えるにはいいかもしれないわ……」
「ちょっと待って! 俺が、主役? 何かの間違いだろ?」
「あー困ったわ。まだこのあとたくさん決めないといけないことがあるのに……ここで躓いていたら時間が無くなってしまうわ」
「そやなー、このままやったらいつまでたっても平行線や」
こいつら……。
その時になって俺はようやく悟った。
志乃の狙いは始めから怜央じゃなくて俺だったんだ。
怜央が絶対に断るだろうことを想定した上でこのプランをくみ上げたに違いない。
「じゃ、逆に聞きましょうか。皆の中に誠がロミオじゃダメだって思う人はいるかしら?」
「うわ、その聞き方は汚ねえ!」
これは酷い。
こんなの帰ってくる答えは一択に決まってる。
誰もやりたがらない主役。足りない時間。降って湧いてきた生贄。
「いいんじゃないか?」
「異議なーし」
もうお前がやれよ……という空気が教室を満たす。
これは究極の選択だった。
俺の育成した【生田誠】は空気が読めて気が利く男だ。
だが、素の俺は主人公になることをとっくの昔に諦めた男だ。
どちらをとっても、どちらかが壊れる。
でもどちらを守るかと聞かれたら……
「分かったよ! やるよ、やればいいんだろ!」
すまん、俺よ。
俺は五年かけて育て上げてきたイメージを壊すのが怖くて、俺を犠牲にしてしまった。
許せ……。
「ありがとう、誠。おかげで次に進むことができるわ」
「志乃……あとで覚えてろよ……」
俺は恨み言を吐くので精いっぱいだった。
究極の二択を迫られたことにより精神は摩耗し、急速に老けた気がする。
「それじゃあ次はジュリエットなんだけど……」
そのせいで志乃の正確な企みに気付くことができていなかった。
いや……できていたとしても対策が打ててとは思えないが……。
その一言で視線が一斉に、一人の女子を捉える。
「え……私?」
果たして、その相手とは莉愛だった。
そう、志乃は始めから俺と莉愛をセットでターゲットにしていたんだ、と俺はこの時になってようやく気付いたのだ。




