第29話 彼女には扇動者の才能がある
週明け、月曜日。
いつもであれば、週末が終わってしまったことに対する憂鬱で、下を向きがちに登校する生徒が多いのだが、この日ばかりは例外であった。
意気揚々と弾むような足取りで歩いている生徒が目立っている。
それも無理はない。
テストという重圧から解放され、その上高校生活の中でも屈指の思い出に残るイベント、文化祭の準備が始まろうとしているのだから。
何か新しい、それもとてもいい事が始まろうとしている予感。
それぞれがそんな思いを胸に宿している様な感じがした。
とはいえまだ登校には早い時間だ。
生徒の数自体はいつもよりかなり少なかった。
それもそうか。
テスト明けだし普段より遅い時間に家を出たくなる気持ちもあるよな。
そんな中、昇降口で一際跳ねるように、楽し気に歩いている大吾を見つけた。
「おはよう大吾、なんだいつもギリギリなのに今日は早いんだな」
「おう、だって寝てへんからな!」
「あのなぁ……」
大吾らしいと言えばらしいが、徹夜はさすがにやり過ぎだ。
この分だと今日の授業はハナから全部寝る気でいるのだろう。
席が近いから、先生に睨まれないようにいちいち起こしてやってもいいのだが、いちいち気にしなきゃいけないのもめんどくさい。
莉愛と大吾を合わせた三人で教室に向かう。
教室にはまだかなり早い時間だと言うのに、一人だけ、いつも通り一人だけがいた。
「おはよう、志乃。いつも通り一番だな」
「おはよう、皆も早いのね」
「というか皆がいつもより遅いだけなんだろうな。俺と莉愛はいつもこの時間だし」
「ね、今日は人が少ないから休みなのかと心配しちゃったよ」
「にしても……オマケに大吾がついているのは何かの間違いかしら」
「なんや、俺やってやろうと思えばこのくらいの時間にこれんねん」
「どうせ徹夜でもして時間を持て余すかしたんでしょ」
「う……バレとる」
他に誰もいない教室だ。
誰にも気兼ねなく笑うことができた。
「それにしても……志乃っていつも一番だよね」
その誰もいない教室をキョロキョロと見渡して莉愛は言った。
「ええ、だって誰も使っていない教室を最初に開けるのって優越感に浸れるじゃない?」
「そのためだけにやっとるんか……おもろい女やで」
「皆私の開けた教室に入ってくるの。それって何かいい気分じゃない」
目に妖しい光を灯した志乃がくっくっと笑う。
その様子はさながらマッドサイエンティストか何かだ。
少なくとも悪役のそれにしか見えない。
「でも早く来て何やってるの?」
「普段はその日の予習とか……読書とか……かしら? でも今日は普通にやることがあるから早く来たのよ」
「やること……?」
今日はテスト返却以外に何かやることってあったか?
何か忘れ物をしたのかと思い、少し不安に駆られた。
しかし、それは杞憂だったようで……
「そう、今日は放課後に最初の文化祭のクラス会議があるでしょ? その準備をしてたの」
「あーもう今日からいきなりやるんか」
「そうよ、出し物を早く決めちゃわないと。期限は来週までなんだから」
そうか、志乃は学級委員長ということもあって、会議の進行をすることになるのか。
志乃の癖とはいえ、よくそんなめんどくさいことができるものだと感心した。
ただ……。
「その分やと何か企んでるようやけど……」
そう、志乃がただ会議を円滑に進めるためだけにこんな入念な準備を進めるとは思えない。
何かよからぬことを企んでいるに違いない。
と、考える程度にはこの手のことに関して志乃に対する信用はない。
「ちょっとね……フフフ」
「志乃……? 笑い方、怖いよ」
「あら、ごめんなさいね莉愛。ちょっと地が出ちゃってたみたい」
「いや……駄々洩れやったで……隠す気ないやろ」
放課後の会議、何か一波乱ありそうだ。
※※ ※
そして放課後、ついに文化祭でのクラスの出し物を決める第一回目の会議が始まった。
「それじゃ、始めるから静かにね」
がやがやと静まらない雑踏を切り裂くような志乃の声が壇上から響く。
途端、水を打ったような静けさが教室を包んだ。
「よろしい、じゃ、始めましょうか」
にこやかに、それでいてどこか威圧感のある笑みを浮かべた志乃が滔々と話しを始めた。
「皆も知っての通りクラスの出し物は三種類の中から選ぶことになっているわ。出店、演劇、研究発表の三つね。皆はどれがやりたい」
志乃が問いかけると口々に、出店! 演劇! と各々が希望する出し物を叫んだ。
……研究発表と声を上げるものは一人もいない。
「聞いてみた感じ出店が六割、演劇が四割って所かしら」
あれ? 聞いてみた感じ出店の方が圧倒的に多かった気がするんだが……?
まさかな。
「これだったら出店に決定、ってしたいんだけど……みんなも知ってるでしょ? 出店には制限があるって」
「確か、出し物の種類ごとに枠が決まってるんだっけ」
……怜央? こういう時に声を上げるイメージってないんだけどな。
今日はたまたまそういう気分だったのか?
「そう、怜央くんの言う通り出し物にはそれぞれ枠があって出店が四、演劇と研究発表がそれぞれ二枠なの。そこで毎年問題になるのは……研究発表の圧倒的不人気よ」
そう、この学校は一応進学校という都合上文化祭でも真面目な一面を見せる必要がある。
それがこの研究発表枠だ。
各学年ニクラスずつ、学術的な分野からテーマを決めてクラス毎に発表するというものである。
これが生徒からは圧倒的に不人気なのだ。
せっかくの祭りなのに勉強なんて……という気持ちは痛いほど分かる。
「そして圧倒的に人気なのが出店よ。ちょっと生徒会から資料をもらってきたからそれを配るわね」
そう言って、志乃が配ったのはここ五年の各クラスの第一志望の提出票の統計だった。
これ……どうやって入手したんだ?
にしても……志乃が朝準備していたのはこの資料だったのか。
資料を目にした生徒が途端にざわざわと騒ぎ出した。
俺もその資料に目を通した。
うわ……これは……。
「そう、皆理解してくれたようね。出店の倍率は毎年かなりのもので、去年に至っては全クラスが出店を希望しているわ」
志乃はざわつきをあえて収めようとはせず、よく通る声で焦燥感を煽った。
「この中で、研究発表をやりたい人はいるかしら」
当然、誰もいなかった。
いたとしても手を挙げられる空気ではなかった。
この手法……まさか志乃の狙いは最初から……。
「その一方で演劇の方はここ五年、一度も抽選になったことがないわ」
数字は嘘を付かないが嘘つきは数字を使う。
恐らく志乃の狙いはクラスの出し物を演劇に持っていくことだと気が付いた。
研究発表、というリスクを煽ってからノーリスクで妥協するには充分の選択肢を提示する。
上手いやり方だ。
「私、出店じゃなくて……演劇の方がいいかも」
「私も……研究発表はちょっとね……」
そのタイミングを狙ったかのように志乃と仲よくしている女子たちが、教室中に聞こえるような比較的大きな声で話を始めた。
おそらくこれも志乃の演出だ……。
「それじゃあ今のを踏まえて、もう一度アンケートを取りましょうか」
目の内側に狂気を宿しながら、にこやかな顔で……まるで悪魔の囁きのような甘い声で志乃が言葉を放った。
その言葉がトドメになったのか、出店に大差をつけて演劇に表が集まった。
さすがSSR……やることがえげつねえ……。