第27話 モブにラブコメは似合わない
その後も勉強会はつつがなく進み、陽も暮れる頃になってようやくお開きとなった。
「一日くらいええやんか! なあ!」
と泊まろうとする大吾を追い出したのは、夜七時を過ぎてからだった。
本当に着替えまで持ってくるやつがあるか……。
午後になってからのそれぞれが持ち回りで先生役をする、という勉強方法は一見効率が悪いかと思いきや、かなり効果的だった。
適度に集中しながら、それでいてまったりとした空気が流れ、そろそろ帰るかという時間になるまで一度の休憩も挟むことなく勉強ができた。
特にSSRで、基礎ステータスの高い皆の勉強法を余すところなく聞けたのが何よりの収穫かもしれない。
学問に王道なし、とは言うが出来るやつから聞いた勉強法をパクるのはとても効果的だ。
自分で勉強法を模索して道を作っていくより、舗装された道を歩いて行けるのだからそれは当然というものだろう。
俺は新たに覚えた勉強方法を勉強会が終わった後も実践し続けていた。
これがまあ楽しいのだ。
新しいトレーニングが解禁されたような……脳の使った所のない部分が活性化されていくような……そんな気分になる。
これでまた効率よく【生田誠】を育成できるようになった。
鼻息の荒くなるくらい興奮して、時間を忘れたように勉強していると不意に部屋のドアがとんとん、と軽く叩かれた。
それはあまりにも遠慮がちで、もしかしたら俺の勘違いかも? と思うほどに小さい音だった。
「マコくん、今大丈夫?」
少し間が空いて莉愛の声がした。おそるおそる、といった様子だ。
すぐにペンを置いてドアを開ける。
開いた先では、一抹の不安の浮かぶ儚げな表情の莉愛が教科書とノートをキュッと抱えて立っていた。
「こんな時間にどうした……? 分からない所でもあったのか?」
「うん、そうなの。もしかして邪魔しちゃったかな?」
「いや、そろそろ休憩しようと思っていた所だからちょうどよかったよ」
「そっか、ならよかった。この部分……解説見ても分からないんだけど、どうやったらいいのかな」
そういって莉愛は問題集の中のとある一問を指さした。
「あー、このタイプの問題か」
その問題には見覚えがあった。
先生の口調的にテストにも似た問題が確実に出てきそうな、重要な問題だ。
「ちょっと立ちながらじゃ難しいから、書いて説明するよ」
「うん、ありがとう」
そう言って俺は莉愛を自分の勉強デスクに座らせた。
あれ……? これってもしかしてだいぶ大胆なことをしているのでは? と気付いたのはこの時になってからだった。
当たり前のように異性を部屋に招き入れて、自分が普段座っている椅子に座らせる……。
できる好青年【生田誠】を演出するにしてもやり過ぎではないのか?
これだとやっていることは尻の軽いチャラ男と同じではないのか?
「マコくん、大丈夫?」
「あ……いや、何でもないよ。どこから説明しようか考えてただけだから」
危ない危ない、自分の世界に入ってしまっていた。
それに莉愛は純粋に俺を頼ってきてくれただけなんだ。
そこに邪な感情を持つのは失礼ってものだ。
「──それで、ここに公式を代入すればいいってわけ」
「ああなるほど、分かったよ!」
心にかかる靄が晴れたように莉愛の表情がパッと華やいだ。
どうやら完全に理解してくれたらしい。
俺は凡人だ。
だからこそ分からない人が何故分からないか、を理解できるのだ。
この問題だって俺も同じように解説を見てもわけがわからなくて、一人でウンウン唸りながら分かるまで徹底的に教科書を読み漁った経験があったから尚のことだ。
大体数学の問題集の回答って、言葉が足りないんだよな。
何が「したがって」だよ。
どこにどうしたがったら、そうなるんだよってツッコミたくなる時がよくある。
「どうだ、他に分からないところはないか」
「うん、今のところは」
俺の椅子に遠慮がちにちょこんと座る莉愛が、自信あり気に頷いた。
「それにしても……今日は楽しかったな」
「そうだな」
「皆いい人たちだね」
「それは本当にそうだな。大吾もあれでいいやつなんだよ」
「皆、私のために一生懸命になってくれて……嬉しかったな」
本当に嬉しかったのか、莉愛は少し照れたように言う。
「私ってさ。ちょっと普通じゃないでしょ? 皆が当たり前にしてることができなかったり……分からなかったり」
「そうか? 莉愛はいつも等身大でいるだけだと思っていたんだが……違うのか?」
「私はいつも私が思ったように、やってるだけなの。でもママとかはね、もっとちゃんと空気を読んだり、取り繕ったりしなきゃ上手くやっていけないよ、って言うの」
莉愛のお母さんが言っていることも正しい。
空気を読まないと変なやつ扱いされるのも一面として事実だ。
でも、俺は莉愛がいつも莉愛のままでいられることが──羨ましく思う。
俺は、莉愛のお母さんが言うように空気を読んで、取り繕って、徹底的に自分という元のキャラの存在を排して生きている。
そのおかげで上手く行ってるんだから、間違ってはいないはずだ。
──でも。
「俺は莉愛のそういう所、むしろ長所だと思うぞ」
「ありがとう、マコくんはいつも私の味方でいてくれるよね。昔も……今も」
「昔のことは……いいよ」
やめてくれ。
昔の話は聞きたくない。思い出したくない。
──俺は今の俺が気に入っている。
──変わった俺が気に入っている。
だから、そこに意味を見出しているから、昔の俺を肯定するのはやめてくれ。
「それだけでも嬉しいんだけどね。マコくんの友達も皆、私のこういう所を個性だって受け止めてくれて……それが嬉しかったんだ」
「友達を褒められるのは嬉しいな」
「うん、皆いい人」
今日のことを思い出したのか、莉愛は遠くを見て柔らかな笑みを携えながら言った。
「頑張らないとね」
「ああ、頑張ろうな。頑張って……一緒に文化祭を楽しめるようにしよう」
「そうだね。赤点なんて取ってられないね」
今日一日見た感じ、莉愛はこのまま勉強すれば赤点は回避できる気がする。
地頭がいいのだろう。
乾いたスポンジみたいに教えたことをドンドンと吸収していっていた。
教える方に熱が入るのも無理はないことだった。
「お礼、しないとね」
「あいつらにか? まあいいんじゃないか? 莉愛だって英語を教えてたから、それでウィンウィンだ」
「それもあるけど、一番はマコくんに」
「俺に?」
心当たりはなかった。
「皆と引き合わせてくれて、すぐに打ち解けられるようにしてくれた。家事が全然できない私を受け入れてくれた。感謝してもしきれないよ」
「そんなの……当たり前だし」
俺は俺が思う通りに、勝手にお節介を焼いただけだ。
感謝されるようなことじゃない。
「ねえ、何がいいかな。お礼。私マコくんのために何ができるかな」
ジッと上目遣いで俺を見据える莉愛の瞳。
理性のタガが外れてしまいそうだ。
俺は唇をキュッと噛みしめて、痛みで気を引き締める。
──こんな時に言うものじゃないだろ。この言葉は。
俺は卓越した精神力で、軽いヘラヘラとした雰囲気を作った。
「なら、風呂掃除……とかかな」
ふざけてみせた。雰囲気は台無しだ。
でも今は──これでいいんだ。
「もう、そういうのじゃ……ないじゃん」
困ったように、ふざけた俺をたしなめた。
頬をぷくっと膨らませる様子が可愛らしい。
そして、俺は笑った。
莉愛もそれに続いて、吹き出すようにあはは、と笑った。
今の距離感は、これでいいんだ。




