第19.5話 チートデイが必要だ
チートデイ、というものがある。
これは食事制限などのダイエットをしている人が、胃を小さくし過ぎないために普段の食事制限を取っ払って好きに飲み食いできる日のことを言う。
要するに人間無理に何かを抑え込もうとすると良くないから、たまにはガス抜きが必要だということなのだろう。
これは別にダイエットに限った話ではない。
シビアなリソース管理が求められる育成ゲームでも、毎ターン毎ターントレーニングをすればいい、というわけではなく、大抵は体力ゲージとかがあって、トレーニングをする度に体力が減る仕様が採用されている。
そしてターンを消費することによって体力ゲージが回復して、また効率よくトレーニングができるのだ。
いつ休みを取るか、どれだけ質のいい休みが取れるか。
休みを制する者こそ育成ゲームを制すると言っても過言ではない。
──つまり何が言いたいかと言えば。
俺にも休みが必要だ、という事である。
普段はノーマルレアの平凡な人間【生田誠】を育成するプレイヤーに徹している俺だが、そんな俺にだってたまにはハメを外して素をさらけ出したいこともあるのだ。
「人生は育成ゲームだ」という言葉を格言にしているくらいだから、当然のように俺はゲームをするのが好きだ。
RPGもアクションもカードゲームもソシャゲだって何でも楽しくできる雑食系ゲーマーだ。
ただ、俺がプレイヤーとして育成している【生田誠】にはゲーム好きという設定は存在していない。
大人気ゲームでも、
──ああそれ流行ってるよね面白いの?
──へーだったらやってみようかな?
というスタンスで通している。
それに普段は【生田誠】を育成するのが最優先事項のために他のゲームをしている時間はほとんどというか全くと言っていいほどない。
そこでチートデイ、だ。
普段はキャラを作っている俺が、全ての皮を剥ぎ取って気の向くままにゲームだけをする日。
それが俺にとってのチートデイなのである。
頻度は不定期だが、大体月一回のペースで俺のゲームやりたい欲がマックスになり、そうなるとチートデイに突入する。
そうなった時は例えテスト前だろうと何だろうと関係ない。
全てを忘れてゲームに没頭するのだ。
※※ ※
八月も終盤に差し掛かったその日、いつも通り朝四時に目を覚ました俺は、起き上がった直後に呟いた。
「ゲームしてえ」
この言葉が合図だ。
その瞬間、今日の予定は全てキャンセルされチートデイに突入することが決定する。
「そういえば……莉愛が来てからチートデイに突入するのは初めてだな」
莉愛が来たのはお盆の時期。
前回のチートデイが夏休み突入直後だったので、その時は莉愛もいなかった。
「まあどうせ普段からそんなに部屋から出てないし、大して心配しないでいいよな」
莉愛と一つ屋根の下で暮らしているといっても常に一緒にいるわけではない。
食事の時間は必ず顔を合わせるが、それ以外だとどっちがリビングにいる時にたまたま一緒になったとか、用事があって互いの部屋を訪ねたとか、案外そのくらいしか会話する機会はない。
いつも通り部屋で過ごしてれば問題ないだろう。
「そうと決まれば朝飯だな。パンをかじるだけでいいか」
ちなみに独り言が多くなるのは仕様である。
俺は普段から【生田誠】のキャラに合った言動をするために、発現する言葉一つ一つに気をつけるようにしている。
その縛りもチートデイには存在しない。
だから思ったことが口に出やすくなるのだ。
ちょうど日の出の時間。
部屋を出るとちょうど薄明るくなり始めていた。
足を踏み外さないようにゆっくりと階段を下って、キッチンへと向かう。
普段なら朝から一汁三菜を意識した献立を考えていろいろ作ったりするのだが、今日に限ってはそんなのクソくらえだ。
キッチンにあるパンとハムやバターなどの付け合わせをテキトーに皿に盛り付ければ朝食の完成だ。
今日はもう料理もしないと決めている。
莉愛には悪いが今日の飯は手抜きだ、出前だ、皿洗いもなしだ。
いつもならリビングで食事をするのだが、もう一秒も無駄にしていられない。
ゲームをしながら獣のごとく貪り食ってやる。
部屋に戻ると速攻でゲーム機の電源をオンにした。
「何からやろうかな……」
普段とは別の意味で貴重な時間だ。無駄になんかしていられない。
俺は積みゲーになっていたRPGの一つを遊ぶことにした。
──さあ、宴の始まりだ。
※ ※ ※
あまりに夢中になっていたせいか時間が過ぎるのも早い。
苦戦しながらもボスを討伐して、一区切りがついたついでに時計を見ればもう昼前。
陽も高く上がって、部屋にくっきりとした陰影をつけている。
「うわ……もうこんな時間か……」
夢中になっているせいかいつもより時間が早く進んでいるように感じる。
本当だったらこのまま寝るまでぶっ通しでゲームをやり続けてもいいのだが、そういうわけにもいかない。
腹が何か食べ物をよこせとぐーぐーと大ブーイングを上げているのだ。
仕方ない。いったん休憩して昼食をとることにしよう──
部屋を出ると、ちょうど同じタイミングでも莉愛も部屋から出てきた。
「あ、マコくん。おはよ~」
「おはよう莉愛、今起きたところか?」
莉愛はいつものバジャマを着ていた。
「ふぁ~、そうなの。二度寝までしちゃったんだ」
「後悔しているようには見えないけど」
「えへへ、二度寝って気持ちいいんだよ?」
「俺はしないから分からないな……」
「マコくんもすれば、良さが絶対分かるって」
「いや、遠慮しとくよ」
「う~、頑固だなぁ」
確かに二度寝は気持ちがいいのかもしれない。
けど、起きる時間がズレることによって体内時計にも狂いが生じるし、結果的に夜に眠れなくなって生活リズムがどんどん崩れてしまう。
俺はそんな一過性の快楽に身を投じるつもりはなかった。
……それでもこれだけ気持ちよさそうにしてる莉愛を見ると揺らぐものもあるが。
「ちょうど昼食にしようと思ってたんだけど莉愛も食べるか?」
「うん、実は起きたのもおなかが空いてきたからなんだ」
「ああそうだ。今日の夜は出前を取ろうと思うんだが……何か食べたいのはあるか?」
「出前、ほんと?」
寝起きでまだ開きかけていなかった莉愛の目がぐっと一気に開いた。
分かるぞ……出前ってなんかテンション上がるよな。
日常の中のちょっとした非日常というか……贅沢をする背徳感と合わせてまた御馳走だ。
「ああ、ちょっと今日は夕食を作れそうにないからな。たまにはこのくらいの贅沢をしても許されるだろ」
「そっか……ごめんね。いつもご飯作ってもらってばっかりで」
「いいって。そこは役割分担をちゃんとしてるだろ?」
「でもママからも、料理を毎日作るのって大変なんだからちゃんと感謝するんだよって言われてるからさ。やっぱり大変なんでしょ?」
「いやそうでもないぞ。莉愛が来る前からずっとこんな感じだったしな。一人分も二人分も大した違いはないよ」
実は、料理を一人分作るというのは結構めんどくさい。煮物とか汁物とか、一人分のために作るのはなぁ……っていう料理もある。
二人分ってなると一気に作れる料理の幅が広がってくる。
だからその点に関して俺は全然負担に感じていないのだ。
その日の昼食にはレトルトのカレーになった。
アメリカにも日本のレトルトカレーは売っているが、輸入しているせいかそれなりに値が張るらしく贅沢品だったらしい。
子供のように目を輝かせながらパクパクとすごい勢いで食べてくれた。
昼食を終えて部屋に戻ると、いの一番に、流れるようにゲーム機を起動した。
一瞬の無駄もない無駄な動きである。
「午後は別ゲーでもやるかな」
RPGもいいが、それだけぶっ続けでやるのももったいない気がした。
楽しみにしているゲームほどちょびちょびと進めたくなってしまう。
特にストーリーも終盤に差し掛かってくると終わってしまうのがもったいなく思えて、一気に進めるペースがおちてしまう。
RPGの代わりに選んだのはキャラクターレーシングゲーム。
レーシングゲーム自体は特別好きというわけではないのだが、無性に対人ゲームがやりたい欲が出てきたのでこのゲームを選んだ。
本格的な対人ゲームはあまり得意ではない俺にとって、パーティーゲーム要素もあるこのゲームは対人ゲームをしたい欲を満たすのにちょうどいいのだ。
買ってから二年近くが経っているが、今でもこうして気が向けばプレイする程度には気に入っている。
ゲーム機の前に陣取って、イヤホンを装着して、さあチートデイ後半戦を開始しようではないか。
※ ※ ※
カチカチカチカチ……
あ、くそ! 抜かれた。
カチカチカチカチ……
っしゃぁ! 抜き返してやったぜ! ざまあみろ!
カチカチカチカチ……
へへ、どうだ! 俺が一位だ!
「ん?」
ふと背後から人の気配がしたような気がした。
イヤホンを取って後ろを振り返れば──
目の前に莉愛がいた。
それも本当に目の前だ。
危うく額と額がぶつかりそうになるほど近くに莉愛の顔があったのだ。
「わ! ごめんね。驚かせちゃった?」
「あ……ああ、びっくりしたよ」
えと……どうして莉愛がここに?
ここは間違いなく俺の部屋だ。
というかいつのまに、入ってきてたんだ?
イヤホンをつけて集中していたから全く気が付かなかった。
「ほら、お昼に言ってたからさ。夕食に食べたいもの決まったら教えてよって。それで決まったからきたんだけど……珍しく反応がなかったから入ってきちゃった」
「あ~、そんなこと言ってたな、そういえば」
なんの出前を取ろうか迷って決められなかった莉愛に決まったら教えてくれ~みたいなことを昼食を食べている間に言った気がする。
落ち着き払って答えているが俺の心臓はバックバクだった。
突然振り向いたら莉愛がいたこともそうだし、何よりゲームしているのを見られてしまったことも都合が悪い。
気付いた瞬間即座に【生田誠】の言葉で反応できたのは日ごろの訓練の成果だが、真面目な好青年【生田誠】が胡坐をかいて猫背のままゲームしている姿を見られてしまった。
これじゃ印象と格好がチグハグだ。
それと悟られないように自さりげなく足を治して背筋を伸ばした。
何て言い訳を……いや、ここは何も言わずにやり過ごすのが吉か。
「結局何に決めたんだ?」
「んーとね。お寿司でもいい?」
「寿司ね、了解」
メモを取るフリして、ゲーム機の電源を切ろうと試みる。
もう遅いがこのままにしておきたくなかった。証拠隠滅だ。
「ね、マコくん」
「ん?」
ゲーム機の電源に手が触れかけたところで、莉愛が言った。
「このゲームってあれだよね。ほら昔よく一緒にやった……」
「アア、ナツカシイナ」
詰んだ。
ゲームしているのがバレるのはまだいい。
息抜きにたまにやるんだーくらいにしておけばまだ修正は効くレベルだ。
だが、昔話。テメーはダメだ。
俺の黒歴史時代。
小学生の時の記憶を掘り起こすのはやめてくれ。
思い出しただけで吐き気と頭痛と発熱、その他諸々の合併症が起きてしまう。
確かにこのゲームの前作かそのまた前作かは忘れたが、当時もこのシリーズのゲームはやっていた。
莉愛と一緒に何度もやったことがある。
当時の俺は莉愛にいいところを見せたくて、普段はCPUを最弱設定にしていたのに設定を最強に変えて、ボロ負けしたことがある。
恥ずかしいったらありゃしない。
そんな黒歴史を呼び起こされた俺の心に999のダメージが入った。
要するに即死だ。
「うわ~、懐かしいな、これ。アメリカでも人気だったんだよ?」
「へー、ソウナノカ」
……いかんいかん、心が壊れて片言の棒読みになっていた。
立て、立つんだ、【生田誠】!
まだここで燃え尽きてはいけない。
なんとか軌道修正を図るんだ!
「ねえ、マコくんがいいならさ」
そんな俺の心の中で葛藤していることなど微塵も知らない莉愛は無邪気に追撃を開始する。
「また一緒にやらない?」
「え?」
「私、テスト勉強してたんだけど疲れちゃって……息抜きに私もやってみたいなーって」
ダメかな、と遠慮がちな表情で。
それでも純粋な瞳を期待にきらめかせながら、そう言った。
……選択肢はない、か。
またもや理不尽なイベントだ。
こんなことされたら選択肢は一つしかない。
「いいよ、コントローラーなら二つあるし。一緒にやろっか」
「ほんと? やったぁ」
「どうせだったらさ、下のリビングのテレビでやろうか。ここじゃ狭いでしょ」
というより、自分の部屋に莉愛が長いこといるのはどうも落ち着かない。
リビングとかならまだいいが、自分の部屋というのはとびきりプライバシーの高い特別な場所だ。
それに一緒にやるとしたらベッドの上に二人で座って……みたいな感じになる。
いくら一つ屋根の下に住んでいるからと言ってもそれは心理的ハードルが高すぎる。
「いいの? 持ち運び面倒じゃない?」
「今のゲーム機は小型化が進んでるからね。片手でも持てるから大丈夫だよ」
「そっか。じゃあそうしよっか」
ウキウキとしながら、先行する莉愛に続いてリビングに向かってゲーム機のセッティングをした。
「わ~、マコくんめっちゃ早くない?」
「莉愛こそ久しぶりにしては操作が手慣れてるな」
「へへ、アメリカでも友達とちょっと遊んだりしてたからね」
「でも、経験者としてここは負けられないな」
「あ、何そのショートカット! 私知らない」
「さすがに負けるわけにはいかないからな。手は抜かないぞ」
「う~、マコくん大人げない」
このゲームが素晴らしいのか、久しぶりに人とやるゲームが楽しかったからなのか。
莉愛とのゲーム対決はその日の夜まで続いた。
夢中になって危うく出前の最終注文時間を逃しかけたくらいだ。
夜も更けてそろそろ終わるかとなって部屋に戻ると、いつも以上の満足感があった。
「色々あったけど……ちゃんとチートデイらしく好き勝手できたから、これはこれでよかったのかな」
今度やる時は俺の方から誘ってみようか。
一人でやるのもいいけど……たまには誰かと一緒に、莉愛と一緒にわいわい遊ぶのも悪くない、な。




