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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

はかりごと~ほんとはこれくらい短い話だったのにどうして書いても書いても終わらないんだろう~

作者: 紀野 須

着飾った紳士淑女たちがさざめくホール。幾百もの蝋燭が明るく照らすホールは多くの花で飾り立てられ、揺らめく灯が淑女たちのドレスに縫い留められた石や金糸銀糸で描かれたさまざまな模様を美しく輝かせる。

ソフィアは父母の後について一人会場に入る。ソフィアが一人で入場すると、一瞬会場が静寂に包まれ、その後、寄せ返すようなさえずりに満たされた。

父が心配そうにソフィアを振り向くのに、彼女は微笑みを返した。

この状況は仕方のないことだ。

このパーティでソフィア・スチュアートは婚約者であるこの国の第一王子、アンガス・アサス・エイクとの婚姻を発表することになっていた。

彼女の入場に、アンガス殿下のエスコートがなくてはおかしい。それなのに、ソフィアが父母について一人で入場してきたのだ。周りが訝しみさえずるのは当然のことだ。

分かっていたからこそ彼女は泰然と微笑むことができていた。

アンガスからの伝言があった時点で覚悟をしていた。だから、なにも思わない。嘲笑も侮蔑も心には響かない。

しかし、父母はそうではなかったらしい。父はさえずる周囲を軽くにらみつけ、母は屈辱に扇の根元を握りしめる。

誰も近づいてこない。いつもなら、父には領地との取引を望む者たちが、母には王妃との縁や家の助けになる情報を求めてたくさんの人が群がるのに。ソフィアが一人で入場した。それだけのことで周りはスチュアートを遠巻きにする。

「スチュアート家の令嬢はアンガス様の不興を買った」

「スチュアートは王家に見放された」

「学園では、アンガス様はほかの女性を側に置いていたらしい」

無責任な憶測があたりに飛び交うのをソフィアはいっそ楽しむ気持ちで聞く。

会場内のざわめきが一層大きくなった。王族の入場が知らされ、王子であるアンガス・アサス・エイクが重厚な扉をくぐる。

その隣、ソフィアの場所だった彼の左側、その左手には細い女性の手がのせられていた。小柄な可愛らしい女性だ。幸せそうに、しかし、少しだけ不安を顔にのぞかせて女性はアンガスの隣に立っている。

アンガスはソフィアの姿を認めると、まっすぐに向かってきた。彼の腹心である王弟の息子、ギルバート・ベルヒュートと騎士団長の息子のベネディクト・オラニスも彼の後ろを守るように付き添う。

ソフィアは彼らに礼をとる。マナーの教師に「国で一番美しい」と言わしめた礼を。

「ソフィア・スチュアート侯爵令嬢、顔をあげてくれ」

アンガスがそっと隣の女性の肩を抱いた。

「・・申し訳ない。婚約を破棄してほしい」

ふと隣に父の気配を感じた。ソフィアは口をだしそうな父を目線で制する。普通のご令嬢なら許されない礼儀に反した態度だ。しかし、父は何も言わずにソフィアに主導権を渡してくれた。

ソフィアは父に微笑みを向けると、改めてアンガスに向き合った。

「理由を伺っても?」

「私は、真実の愛を見つけてしまった」

アンガスは隣に立つ女性の手にそっとその手を重ねた。8年のも間、隣に立っていたのに、一度も触れ合ったことのない手。その手が壊れやすい宝物を扱うようにほかの女性を触ることに、ソフィアは何も思わない。

気持ちが一ミリも動かないことにソフィアは思いのほか驚いていた。愛はないけれど情はあった。だから、その様子を間近で見たら少しは負の感情が湧き出るかもと期待したのに、まったくもって気持ちが動かない。

「私は、自分を偽り続けることも、ソフィア嬢を欺くことも、愛しい女性の手を離すこともできない」

アンガスの宣言に会場が騒めく。しかし、それも一瞬。ざわめきはすぐに静寂へと変わる。会場にいる者たち全員が成り行きを固唾を飲んで伺っている。

「私はソフィア嬢との婚約を白紙に戻し、ここにいるマグリット・ニッサル男爵令嬢の手を取りたい。もちろん、その代償をも覚悟の上だ」

アンガスは、会場をぐるりと見渡した。たくさんの人々がこの茶番を見つめている。オーケストラも演奏をやめた。風の音がやけに大きく聞こえた。

アンガスは一瞬迷うように目を伏せ、そして助けを求めるようにマグリットを見た。アンガスとマグリットの視線が絡むと、アンガスはふ、と気負いを吹き飛ばすように息を吐き、とろけるような笑みをマグリットへ向けた。

アンガスがソフィアを見据えて静かだがよく通る声で宣言した。

「私は、王太子の座を降りよう。王位継承権第一位を叔父である王弟、オースティン・ベルヒュート公爵へと移譲する。私は王籍を離脱し、ここにいるマグリット嬢と婚姻を結ぶ」

アンガスの宣言に会場はどよめいた。

王の直系はアンガスただ一人。このまま何もなければアンガスの王位継承はつつがなく行われるはずだったのに。たった一つの恋に溺れ、王太子の座を捨てて、王籍を離脱する。

なんと愚かな。

アンガスを侮蔑する視線が集まる。

うまいわねぇ、とソフィアは扇を広げて笑いそうになる口元を隠した。ふと、視線をアンガスの後方の腹心二人に移すと、二人も顔をゆがめうつむいて、「無念だ」というような態を取っているが、その肩は細かに震えている。

大爆笑だ。

アンガスとマグリットは大真面目な顔で真実の愛を貫く物語の主人公を演じている。

「なんの騒ぎだ」

重い声が会場のどよめきを消した。

王が、王妃を伴って会場に入ったことをだれ一人として気が付いていなかった。会場にいるものすべてが、慌てて王に臣下の礼を取る。

ソフィアは表情を引き締めた。

一瞬、アンガスと視線を交わす。

さあ、これからだ。

「なんの騒ぎだと聞いている」

王がアンガスに向かった。アンガスは、一度息を吐くと王を見据えた。

「私はソフィア・スチュアート侯爵令嬢との婚約を白紙に戻し、ここにいるマグリット・ニッサルを妻に迎えます」

「何をばかなことを」

「その代償として、王太子の座を下り、王位継承権も放棄しましょう。もちろん王籍からも離脱し、アンガス・アサス・エイクではなくアンガスとしてこの後の人生をマグリットと過ごします」

王はアンガスをにらみつけた。気の弱いものならその場で卒倒しそうなほどの強い視線だ。しかし、アンガスは引かない。同じように鋭い視線を王に返す。

先に力を弱めたのは王のほうだった。王は周りを見渡すと、皆の者、と呼び掛けた。

「今日は大儀であった。我々は離席するがゆっくりとこの場を楽しんでいってくれ」

アンガスに顎で会場を出るように指示すると、王は踵を返す。

ソフィアたちスチュアート家と、真っ青な顔でことの成り行きを見守っていた王弟ベルヒュート公爵夫妻、そして会場の隅っこで震えていたニッサル男爵夫妻を伴って、王は会場を後にした。

父母たちの後ろについて、ソフィアは姿勢を正す。

さあ、正念場だ。とっととこの茶番を終わらせてしまおう。

*#*#*#*#*#*#*

案内されたのは王族の控室だった。アンガスとマグリットは引き離され、この場にいるのは、王と王妃とアンガス、ベルヒュート公爵夫妻とその嫡男ギルバート、そしてスチュアート侯爵夫妻にソフィアだ。

アンガスの腹心の一人であるベネディクトはニッサル男爵夫妻とマグリットに付き添っている。

席に着くなり王は侍従侍女護衛、すべてを部屋の外に出し人払いをした。

「どういうことだ」

王の強い視線はアンガスに向けられる。

「私はマグリット嬢の手を取る。しかし、マグリット嬢は王妃の器ではない。それならば、同じく王の器ではない私が王を継承する場から降りればよい、それだけのことです」

「何を馬鹿なことを」

王妃が子どもの青い考えを吹き飛ばすかのように鼻で笑う。

「王の器など、これからいかようにも作れるのですよ、アンガス。そのためにあなたにはさまざまな教育を施してきたのです」

「いいえ、母上。私は王にはなれません。私がそれなりに見えたのは、ソフィアという素晴らしい女性の助力と、ギルバートという優秀な頭脳が側にあったからです。今までだって何一つ私がたてた功績はない」

「ソフィアの助力を受けられるのも、ギルバートという頭脳を使うことができたのもすべてあなたの功績だわ。どんな優柔な人材がそろっていたとしてもそれを使えるものがないなくてはすべてが無駄なのです。あなたはその人材を使い、大罪を犯した側妃とその取り巻きを排したではありませんか」

「いいえ、あれはすべてギルバートとソフィア、そしてベネディクトの功績です。私はそばでただ見ていただけ、指一本も動かしていない」

「もういい」

王が母子の口論を断ち切った。その顔は苦渋に満ちていた。

「もう、ことは動いてしまった。あの大勢のものが見聞きする場所での婚約破棄は、こうなることを見越してのことだな、アンガス」

アンガスは答えずに、いっそ清々しいほどの微笑みをその顔に浮かべた。

気を抜くのが早すぎるわよ、とソフィアはアンガスを軽く睨む。ギルバートの表情は無表情に固められているが、その目は呆れがにじんでいる。

ソフィアの隣から、ギリギリと奥歯をかみしめる音がした。そろそろ口を挟まないと、父がアンガスを殴りかねない。

ソフィアが口を挟もうとしたとき、アンガスがソフィアの父であるスチュアート侯爵に視線をうつし、立ち上がると、その頭を下げた。

王妃とベルヒュート公爵が声なき悲鳴を上げた。王族が臣下へ頭を下げることはあってはならないこと。それなのに、アンガスは一切の躊躇もなく臣下であるスチュアートに頭を下げたのだ。

「ソフィア嬢、そしてスチュアート侯爵にはいくら謝罪しても足りない。本当に心の底から申し訳なく思う。しかし、このままソフィア嬢を偽り続けるのはできなかった。8年という長い月日を一緒に過ごした彼女を不幸にする選択は私にはできない。

マグリットとはちがう意味ですが、私はソフィア嬢を大切に思っていました。だからこそ、この婚約を白紙に戻したいのです。私とマグリット、そしてソフィア嬢が幸福になるために、絶対に譲れない条件なのです」

「・・真実の愛、と殿下はおっしゃるが、長い時間をかけて育むのが真実の愛ではないだろうか。一時の熱病のような思いは真実とは程遠い」

ベルヒュート公爵が重い口を開いた。

女にたぶらかされた愚かな王弟、女に狂い国を売ろうとした王弟。それが長いことベルヒュート公爵に付きまとう不名誉なレッテルだ。まだ学園に通っていた13歳のころ、彼は他国の駒にされていた女に騙され、兄である王や王姉を陥れようとしたのだ。もちろん、王弟に陥れようとした意図はない。ただ、女のいうがまま愚かな行いをくりかえしたのだ。

当時のその事件のことは表ざたにされていない。大事になる前に、ソフィアの父であるスチュアートとネヴィル侯爵家、そしてハワード公爵家の子弟・・つまりはソフィアの父や同年代の上位貴族の子弟たちがその女を王弟から引きはがし、女とその背後にいた者たちの思惑をつぶした。

その当時、まだ幼い王弟は彼女との恋を「真実の愛」だと信じていた。

唯一に会えたと信じていた。

しかし、それは夢幻だったのだ。

真実の愛は、そんな事件を起こし、さらに冷遇したのにも関わらずずっと自分との婚約を継続してくれ、隣に寄り添ってくれていた、公爵夫人との間にある。とベルヒュート公爵はアンガスに語り掛ける。

「一度、その彼女と距離を取って冷静な気持ちを取り戻してから重大な決断をしたほうがいい」

「周りから見れば一時の熱に浮かされているように見えるでしょう。しかし、だからこそソフィア嬢との婚約を白紙に戻し、王太子の位を返上したほうがいいのです。

一時の気の迷いでこのような重大なことを、大勢の耳目がある場所で恥ずかしげもなく言い放つような男が王の器であるはずがない」

王が深い深いため息を吐き出した。

それが終了の合図だった。

「わかった。アンガス・アサス・エイク。お前の王太子としての位ははく奪する。継承権第一位は、王弟、オースティン・アサス・ベルヒュート、第二位はベルヒュート公爵家嫡男、ギルバード・アサス・ベルヒュートとする。アンガスの処遇については追って沙汰を下そう。

そして、スチュアート侯爵、ソフィア嬢。この度のこの茶番はそなたたちにも大きな傷になるだろう。王家としてできるだけの謝罪と賠償を。なるべく早く、ソフィア嬢に傷がつかないよう、婚約の撤回をする。

フランシス、うちのバカ息子が本当にすまない」

ソフィアの父、フランシス・スチュアートはアンガスとソフィアに順に視線を移すと深く深く息をついた。

「いや、なにやら、うちの娘もこの茶番に一枚かんでいるようだ。ソフィアの今後のために謝罪は受けるがそのほかは・・貸しとしてもいいぞ」

友人へと向ける笑みを王へ向けてフランシス・スチュアートはソフィアに一瞥をくれる。

ああ、ばれてた、とソフィアはとりあえずにっこりと微笑んでみた。ごまかされてなどくれないよな、と内心かなり焦ってはいるがおくびにも出さない。ばれてんなら仕方ないか、とソフィアはアンガスに援護を飛ばすことにした。

「・・陛下、アンガス様をあまり責めないでくださいませ。アンガス様は本当に悩んでいらしたのです。悩み苦悩するアンガス様の背中を押したのは私です。私は、皆が不幸になる道を歩みたくはなかったのです」

怒られる前に、この計画を後押ししたことを暴露する。王妃がひゅっと息をのんだ。

「私は、学園でアンガス様がマグリットさんに恋に落ちる瞬間を隣で見て居ました。アンガス様がマグリットさんにひかれていく様子をずっと見て居ました。そしてマグリットさんがその身分故、アンガス様から離れようとしているのも、アンガス様がそれを許さなかったのも見て居ました。

見ていたのに、なんにも感じなかったのです。8年も隣にいたのに、気持ちが少しも動かなかったのです。

これから夫婦となって国をいつくしんでいかなければならない、生涯のパートナーですのに、まったく、一ミリもなにも感じなかったのです。

このまま、何事もなくアンガス様と結ばれても、きっと私もアンガス様も不幸になるでしょう。自分自身すら幸せにできないものが国の穏やかな幸福を築くことも、今の治世で得られている安穏を支えることも難しいでしょう。

ですから、私はアンガス様の背を押したのです。王太子位の返上は予想外でしたが」

「・・政略結婚とはそんなものでしょう?」

王妃が苦しそうに言葉を発したのをソフィアは微笑みで抑えた。

「政略結婚でも、陛下と王妃様は互いに想い合い、幸せそうではありませんか。私はアンガス様を弟以上に見ることができません」

弟!?とアンガスがこちらを向くのを無視する。アンガスなんて弟で十分だ、とソフィアは内心舌を出す。ギルバートとソフィアがアンガスが考えなしに動くせいで生じるさまざまな問題の尻ぬぐいに何度奔走したかわかってるのかと問いたい。とても大変だったのだ。人目もはばからずマグリットといちゃいちゃいちゃいちゃし、マグリットを糾弾したいと息巻く令嬢たちを抑えて、アンガスの真似をして婚約者をないがしろにし、浮気に走ろうとするおバカな令息たちを諫めて。

学園の秩序を守るため、奔走した毎日は本当に大変だったのだ。そんな奴に恋愛感情なんか湧いてたまるか。

「目をかけていただいたのにご期待に沿えず申し訳ありませんでした」

考えていることをおくびにも出さずにソフィアは王と王妃、そして父母に対して謝罪した。アンガスも、姿勢を正し同じように頭を下げる。

「陛下」

ソフィアの父が王へと向き直る。

「マグリット・ニッサルの身柄はスチュアートで預かります。うちの愚娘も殿下もさらにはベルヒュート公爵子息までも彼女を信頼しているように見受けられますが、背後にどんなものがあるのかわかりません。ニッサル男爵とともに監視をつけましょう。そして、あのような場所で大々的に殿下に請われた女性です。余計な横やりが入るでしょう。それなら、彼女だけでも我が家に匿い、その行動を制限したほうがいい。男爵のほうへは王家で対処していただきたい。

それに、彼女は殿下の隣に立つにはだいぶ足りないようだ。そこも少し何とかしましょう」

「いや、私は彼女と共に平民として生きようと」

「馬鹿なことをおっしゃるのはここまでとさせていただきましょう。あなたが平民になったとしても余計な軋轢を生むだけだ。王籍を廃して市井に降りようと考えていたようですが、そう甘くはないのですよ。市井に降りたいのなら、殿下は神殿に、マグリット嬢とソフィアは修道院へ行っていただきます」

スチュアートが宰相の顔で言い放ったのに、ソフィアもアンガスも顔を引きつらせる。何が悲しくて、神殿や修道院へ入らなければいけないのか。制限の厳しい環境は王宮だけでたくさんだ。

「そうだな、マグリット嬢はスチュアート家預かりとする。アンガスは今抱えている執務が片付き次第沙汰を下そう。それまでマグリット嬢との接触は一切禁止する。

オースティンは俺の後に王になる気は?」

「勘弁してください、兄上。私は王にはなれません」

「と、いうことだギルバート。ギルバートはすぐに立太子し、施政者としての教育を始める・・と言いたいところだが、ギルバートもアンガスとともに教育を受けていたな・・それなら、すぐに仕事を割り振るからそのつもりでいろ。手続きが済み次第、私たち夫婦の養子とし、王宮へ居を移してもらう」

「・・かしこまりました」

ギルバートが静かに臣下の礼を取ると、王が笑った。

「その礼をするのは今日で最後だ」

*#*#*#*#*#

帰りの馬車の中でソフィアは安堵の息をつく。

ようやく、はかりごとが終わりを告げる。あとは、ギルバートの立太子とアンガスとマグリットの婚姻が成せば大成功といっていいだろう。自分は、婚約者に捨てられた傷もの令嬢として領地でひっそりと暮らすんだ。静かに、気まま、思うままに暮らして身分の釣り合う程よい男性に嫁げば良いだろう。


ソフィアには前世の記憶がある、と言ったら笑われるだろうか。しかもソフィアだけではない。アンガスにも、ギルバートとベネディクトにも、そしてマグリットにも共通の前世の記憶があった。


ここではないどこか遠くの日本という土地の記憶だ。破廉恥な服装で、男性との気安い距離。そして信じられないことに、ソフィアは女性の身でありながら職を得て、一人で暮らしていた。


5人はその国で幼馴染として過ごしていた。アンガスは快進(かいしん)、マグリットは花花(かな)といい、結婚間近の恋人同士。ベネディクトは琉揮(ルキ)、今と同じく国を守る騎士であった。ギルバートは(きずく)といい、とても忙しいらしい。自分は、清香(さやか)と呼ばれ、小さな子を集めた「幼稚園」と呼ばれる学園で働いていた。


清香たち5人は、生まれ育った町の小さな神社のお祭りで「役」をこなすために集まっていた。神社に集まり、祭壇の火を絶やさないようにする神事だ。


その時期、長い間雨が降り続いていたらしい。地盤が雨を吸ってゆるんでいた。

そこに、小さな地震の揺れが襲う。普段なら、なにも問題のないくらいの小さな揺れだった。しかし、長い期間の雨で地盤が緩んでいた神社の裏山が崩れ、神社もろとも清香たちを呑み込んだ。


自分をかばおうとした琉揮の手と黒と闇が最後の記憶。


目が覚めると6歳のソフィアになっていた。


幼馴染が同じ世界に生きていることを知ったのは、7歳のころだった。王宮で行われた、アンガスの婚約者候補を選定するためのお茶会だった。

アンガスと顔を合わせた瞬間、アンガスに快進の顔がダブった。ソフィアは驚きに目を見開く。叫ばなかったのは、アンガスも同じ顔をしていたから。


その場では、当たり障りなく挨拶をして別れた。その二日後、お忍びでスチュアートの王都の屋敷にアンガスは訪れた。ギルバートとベネディクトを伴って。


快進に築、そして琉揮。懐かしい顔を見て泣いてしまったのはご愛敬だろう。


アンガスとの婚約を結んだのは、4人で会うのにそれが一番自然な形だったからだ。アンガスと腹心のギルバートとベネディクト、そして婚約者のソフィア。4人で集まると必ず花花の話になった。


この世界は花花が好きだった、乙女ゲームの世界だとアンガスは言い張った。曰く、そういう物語を花花が好んで読んでいたから間違いがないと。

「だから、花花は学園に来る」

確信をもって言うアンガスには説得力があった。それなら、と4人は一計を案じる。

今、王位継承者は二人だ。王位継承権1位であるアンガスと第2位の兄、アルバート。アルバートは、フィアサテジアラムという国から嫁いできた側妃の第一子だ。アンガスは正妃の第一子。継承権は正妃の子が優先だ。


側妃の野心は高かった。我が子を王位に。その一念だろう、アンガスは心が休まるときがなかった。気を付けても人を変えても、手を変え品を変え、命を脅かされる。もちろん側にいるソフィアもギルバート、ベネディクトも例外ではない。


いい加減、うっとうしい。といったのはアンガスではなくギルバートだった。

「どうせ、アンガスは花花が見つかったら王位をぶん投げて、花花と逃げるんだろ?そしたらあの女の天下になる。あの女が不穏分子のお前を生かしておくわけがないし、側近だった俺んちもデュークん家もソフィアん家も無事じゃすまない。

だから、今潰そう」

「潰そうって、なんかネタはあるの?」

「そんなのたたけば埃が出るに決まっている。叩くぞ」

そして始まったはかりごと。

側妃を共謀していたのはフィッツロイ侯爵家とパーシー伯爵家。彼らは側妃のもとに侍ることを隠そうともしていなかった。この二つの家の領地には鉱山がある。鉱山には安い労働力が必須だ。労働力が安ければ安いほど、領地は潤う。その労働力をフィアサテジアラムから調達していた。

フィアサテジアラムの移民という安い労働力はここ数年、近隣の国の経済を脅かしいていて、大きな問題となりつつあった。しかし、当時はまだ移民を使役するのは違法ではない。

もっとも大きな問題は、フィッツロイとパーシーの鉱山から大量の武器が見つかったことだった。しかも、傭兵を「自衛」と呼ぶには多すぎる数を雇っていた。


国家転覆。


この事実を知ったとき4人は思ったよりも大きな事態に冷汗をかいた。大人には相談せず、ギルバートの決算書や市場調査から分析した情報とソフィアの情報網とベネディクトの潜入にて手に入れた証拠だ。4人の手には余る。そこで、さらに、はかった。証拠をこっそり宰相であるソフィアの父の書斎の書類に挟み、ベネディクトの父である騎士団長の執務室に投げ入れた。


国も側妃とフィッツロイ、パーシーの動向が怪しいと探りを入れていたからそこからは早かった。ソフィアたちが証拠をつかめたのは、子どもだったからだ。子どもだったから簡単に、監視の目をかいくぐれた。

側妃とフィッツロイの共謀の証拠も見つかり、側妃とフィッツロイ、パーシーは断罪された。アルバート王子も禍根を残すと判断され、側妃とともに毒杯を煽った。

フィッツロイ、パーシーも断絶。連座でこの2家だけでなく多くの家が潰された。


これが、学園に入学する前、4人が12歳の時の出来事だ。


それから2年後。入学年齢規定ぎりぎりの14歳でマグリットが入学してきて。

入学式に、アンガスの目の前ですっころび。

その一瞬で、二人は恋に落ちた。

初めは、マグリットは前世の記憶はなかったらしいが、そのあと、すぐにギルバートとベネディクト、そしてソフィアに引き合わされると、「築と琉揮、それに清香」と叫び、アンガスを振り返って、「カイくん」と叫んで気を失った。


マグリットの目が覚めてすぐにこの後のはかりごとを立てた。

「ねえ、どうせなら、本当に乙女ゲーム風味にしようよ」

マグリットの提案に乗る形でこの2年仕込みをしてきた。

集大成が本日である。

*#*#*#*#*#

マグリットを屋敷に迎え、ソフィアとマグリットは女子会を開催中だ。パジャマ、ではなく寝間着で、ポテトチップと炭酸飲料ではなく、紅茶とクッキーだ。

「これで、私も肩の荷が下りたわ。王妃なんて重責ほんとに無理だから!アンガスとの婚約が白紙に戻ったから私はこれから領地に戻って、のんびりゆったり暮らすんだ。王妃教育ほんとに大変だったんだよ?なんだよ。紅茶を飲む角度に気をつけろって。一口で産地とかを当てろって、そんな繊細な舌、持っているわけない!」

「でも、ソフィアはできてたんでしょう?すごいわ。私はこれからアンガスの隣に立つために勉強をしなくちゃいけなくて・・。苦手だけどがんばらなきゃね」

「頑張って!マギーならできるから!私はもう無理!無理!無理!」

「でもねえ、次はギルが王太子でしょう?多分、ソフィーは逃げられないと思うよ?」

「何でよ」

「ええ?気づいてないの?ギルはソフィーのこと好きでしょう?それも築のころから。築のころは、高校で離れちゃったから、気持ちも離れちゃってたみたいだけど。今は、きっとソフィーの手を取りたいと思っていると思うわ」

一瞬あっけにとられて、すぐにソフィアの顔に熱が集まる。

「そ、そんなのマギーの推測でしょう?」

「ふふ、外れていないわ。絶対。だから覚悟しておいたほうがいいわよ」

知ってるわよ。とマグリットは花花の顔で笑う。

「清香も築のことすきだったでしょう」

「~~中学の!中学の頃の話だし!」

「知ってる。でも、今だってギルのこと嫌いではないのも知ってる」

「でも、私はもう傷ものだから王太子の婚約者にはなれないわ」

「そんなことない。だってギルが望むもの。そして、側妃を陰謀を阻止したことは中央に近い人たちなら誰だって知ってるわ。そんな女性を王宮が手放すわけないじゃない」

「でも、王妃は嫌だ」

「今はね」

なんでも知っているように微笑むマグリットをソフィアは軽く睨む。

「でも、不思議ね。私たちどうしてここに生まれ変わったのかしら」

マグリットが窓の外を見た。それは、ソフィアもなんども考え答えが出せなかった問題だった。

「前世の記憶がなくてもきっとアンガスはマグリットを見つけて、その手を取った気がするわ」

「そうかしら。そうだと嬉しいわ」

夜は更けていく。


その後。マグリットの予言通り、ギルバートがソフィアに求婚をし、ソフィアも了承したり。ギルバートの婚約者候補だった女性にベネディクトが求婚したり。

アンガスの平民になるという野望は砕かれ、王位を自ら捨てたということで謀反の可能性が低いとして、王都から遠い領地を賜り、夢の不労生活が打ち砕かれたり。それでもマグリットと仲良くイチャイチャイチャイチャ暮らしたり。

「前世」という共通の記憶を持った5人はそれなりに幸せに暮らしましたとさ。


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