虫の故郷
こんな夢を見た。
六畳ばかりの和室に横たわっている。起き上がろうとするが、布団がひどく重くて起き上がれない。首だけを動かして辺りを見渡す。隣に部屋があるのだろうが、襖が閉められていて様子は分からない。唯一左手の障子が開けられており、其処から縁側が見えた。二つの影が並んで座っている。男と子供らしかった。親子だろうか。
庭では蛍のほの青い光が舞っていた。
ふと子供が男を見上げた。影に包まれた幼い横顔の口が動く。
「だれかがないているよ」
「虫の声だよ」
男は静かに答えた。すると子供はあどけない声で、何故ないているのかと尋ねた。
「哀しいからだよ」
「どうしてかなしいの」
「失くしてしまったからだよ」
「なにがなくなってしまったの」
男は黙った。子供は辛抱強く男の返事を待った。どうして黙っているのか。早く教えてやればいいじゃないか。
「故郷だよ」
ようやく男はそう言った。
「どんなところなの」
「燃えるような夕日が綺麗なところだったよ」
私は故郷を想った。しかし、其処には空虚な闇が広がるばかりで、何も浮かんでは来なかった。
「どうしてなくなってしまったの」
「誰も帰ろうとしなかったからだよ」
「どうしてだれもかえろうとしなかったの」
「皆、忘れてしまったからだよ」
子供はだまった。
ふいに虫の声が止んだ。子供は頭を垂れているようだった。少しして顔を上げると、庭を真っ直ぐ見た―ように思われた。
「だれかがないているよ」
子供はまたそう言った。
「虫の声だよ」
男は静かに答えた。
ふと故郷のことを思い出した。私にもそれはあったのだ。
そして、今はどこにもないのだと知った。