幽霊とシカトと未練
夜行月にキスしてもらえる可能性、そこまでこぎつけた私の努力は喝采されるべきものだが。
(実家から音沙汰なんもないのに、お祖母ちゃんと喋るなんてなぁ)
「また何か考え事? 最近多いじゃん、どうせ夜行先輩のことでしょ」
「まあそうだが、今は家のことだ」
「ああ、あのデカい屋敷? 里帰りすんの? 今のマンションは?」
「里帰りはしないよ。ちょっと霊についてお祖母ちゃんに聞こうかなって」
「……ああ、結局夜行先輩絡みね。大変そう」
このクラスでそういう話ができるのは従野だけだ。その従野も全てを知っているわけではない。
いろいろと面倒臭いことがあってマンション暮らしになったのだ。
「まさか、先輩とのキスのために実家と向き合うなんてね」
「マジで馬鹿じゃん?」
「言い方」
従野は呆れているけれど、重要なことだ。今人として生きている時間を無駄にはしたくない。
キス、そうキスがしたい。
「あ、いた」
「……! 星」
「え、なに? どしたん」
従野が気付いていないが、壁からにゅっと、夜行幽霊が現れた。
一瞬驚くが、こういうことも慣れっこだ。声を出さない、表情もできるだけ変えない、くらいはできる。
それがちょうど今話していた意中の人と同じ顔をしていてもだ。
「馴れ馴れしく呼ばないで、星ちゃんは夜行星だから夜行さん……紛らわしいか。じゃあ星でいいよ」
「星でいいんじゃん」
「……もしかして見えない奴と喋ってる? 私邪魔?」
「ふむ、少し私と会話してるフリをしてほしい」
「りょ」
何かぼそぼそとひよりは話し出す。これは特に意味のない独り言である。
「……で、何の用だ。夜行月に憑りついているのでは?」
「え? そんな悪いことしてないよ! つーちゃんが離れてって言ったら離れるし」
「浮遊霊なのか。それだけの存在感と意志を持っているのは稀だ」
「何言ってるかよくわかんないよ~! っていうかキャラ違くない?」
「あれはあれ。少し、色々あって。……まあ、私の感想はいいとして」
きょうび地縛霊でもこんなにしっかりしていない、なんて適当な感想もどうでもいい。
ただ、人と間違えるほど、っていうのは本当に貴重だ。だからこそ、嫌な思いをしているけれど。
「何の用か、に話を戻す。何しに来た?」
「それなんだけど、あのさ、幽霊の成仏って、人が死ぬっていうのと同じことだよね?」
前の従野の席にダブるように座って、星はそんなことを言う。
「そうだな。人は死んで幽霊か何かになり、幽霊は成仏してまた人か何かに生まれ変わる、と思っている」
「つ、つーちゃん私に死んでほしいのかな……どうして……?」
「いや既に死んでいるだろう。生者が幽霊に成仏してほしいと願うのは一般的ではないか?」
「でもでも! ホシちゃんとつーちゃんはずっと一緒だったんだよ!? それなのに……ひどいよ……」
「さあ、どうだかねぇ」
夜行月と夜行星、二人の言い分はどちらも理解できる。
ただ、人間と幽霊という異なる立場だから当然そうなるだろう、という程度の理解だ。
人としては、自分にしか見えない存在はたとえ愛していても消えてほしいのかもしれない。その方がやすらか、なんていう考え方もある。
でも、この幼げな少女にとって死んでほしいと思われているようなものなのだ。悲しくて辛い、と考えるのも当然かもしれない。
「意見をまとめて今後どうするかは改めて決めるべき……」
「ちょっと、神崎、神崎」
「……どうしたの従野。今私は」
「なんか土愚さんがめっちゃ見てくるんだけど」
従野がなんか怯えながら横の方を見る。クラスの中心くらいにいる土愚さんは……普段と違う表情だ。
「グルルルルル……バウッ!!」
「ひっ! ど、土愚さん?」
牙を剥きだしにして、虚空を、いや夜行星を見ていた。
見えている、かどうかは定かではない。
でもホラー映画とかでよく見るやつだ、子供とか犬とかが見えない存在を見えてしまうやつ。
「土愚さんどうしたの!?」
「グルル……なんだか嫌な臭いがするから、つい……バウッ!」
「ひっ! や、やだ怖い! なんとかしてよ神崎!」
「ゆ、幽霊が犬を怖がんなぁ! いや犬じゃないけど、土愚さんだけど! 土愚さんはたぶん犬じゃないけど!」
星との言い争いの最中、ついにガタン! と椅子が倒れて土愚さんが立ち上がった。
両手をこちらに向けて唸る姿は……いやなに? なにこれ? プロレスラーっぽい……。単純に化け物だけど……。
「グルグルルル……わ、私の野性が…抑えきれないッ!」
「野性!? だ、誰か……っ!」
「任せてっ!」
助けを求める声に、反応があった。
あれは確か西木戸さん、これといって私とも土愚さんとも面識はないと思うけれど。
彼女は徐々に距離を詰めて、土愚さんの首元や頭に手を伸ばした。
「私、家がペットショップだから! お〜よしよしよしよし……」
「わふっ! わふっ!」
土愚さんの張り詰めていた尻尾が徐々に緩み表情からも力が抜け始める。
そうか、動物をよく扱い心を知る西木戸さんならば、土愚さんが犬であるかどうかはともかくとして、落ち着く撫で方や宥め方を熟知しているのだ!
土愚さんが犬かどうかはともかくとして!
「なら、私も手伝うよ。一度は土愚さんを虜にした」
「わふんっ! だめ、こんなクラスの中心で…わっ…オォ〜ん♡」
「声が普通に人間だからとてもいかがわしい」
女二人で手籠にしてしまっている。これで土愚さんの貰い手がいなくなったらどうしよう、と考えてしまう。
「……ねえ、大丈夫?」
「放課後、夜行月と会った場所で再会しよう。土愚さんは君を警戒している」
「わ、わかった」
「……? 神崎さん、誰と喋って……あぁっ! 土愚さんの野性が! きゃぁっ!」
土愚さんに顔を凄まじくペロペロされることになったが、なんとか彼女の暴走は事なきを得た。
落ち着いた土愚さんは照れ恥ずかしそうな声で謝ってくれたが、私の方を嗅ぐと、一度だけ低く唸って威嚇したようだった。彼女は果たして……。
―――――――――――――――――
生徒会室のある校舎と、夜行月の教室がある校舎は別である。
私が張っていたのは生徒会室の方だったので、同じように校舎を移動しようと、ふきさらしの渡り廊下を越えようとしたところで。
「あ、おーい神崎やーい」
「星、ここで待っていたのか」
二階の方からふわっと夜行星が降りてきて、大地に立った。見慣れたようで幻想的な光景だ。
「それで結局、さっきはなんで教室に来たんだっけ?」
「私……なんでつーちゃんに嫌われているんだろ?」
「知らない。本人に聞け」
「だってつーちゃん、無視するんだもん」
「無視? ふむ……」
会話をしていた気はするが、積極的に喋っている雰囲気はない。星が勝手に私に難癖をつけてくる程度だ。
そもそも出会った時も、夜行月を離れて見守っているような位置だった、曲がり角から、そっと。
霊と喋るなど、周りの人から見れば奇人なのだから当然だが。
「ホシちゃんが死んでから、ずっと無視」
「ずっとか。それは応えるな。一年間、ずっとか」
「ううん? 十年くらい」
「十年? それは、だって君は高校生で」
「星ちゃんが死んだのは年長さんの時だよ?」
「年長さん、って……」
十年前。
幼稚園、か。
「……成長する霊、本当に?」
「ホシちゃん嘘つかないよ!」
妙に態度や仕草があどけないのは、それで納得できなくもない。
でも、それ以前だ。霊が成長するなんて事例、私は生まれてこの方見たことがない。
存在感と生気、あまりにも規格外な夜行星の存在を空恐ろしく感じると、同時にーー。
「……十年間、いや幼稚園からこの間まで、ずっと無視されていたのか」
「うん。……いったん離れた時期もあったけど、だいたいずっと一緒だったよ」
「……夜行月は十年以上君を無視し続けていたのか」
見えるものを見えないということ、霊の存在を無視すること。
それで共感を覚えるほど私は能天気じゃない。
このお気楽な、姉妹の霊が日夜語りかけてくるのを、無視し続けてきた。
私と違って相談できる相手もなしに、実の姉妹を無視し続けていた。
……頭がおかしくならないのだろうか。
「……どうして成仏してほしいか、嫌われているか、ねぇ」
「何かわかったの!?」
「……どうだろ。疲れているとは思うけど」
死んだはずの姉妹が霊になって、会話もできるというのは、嬉しいことな気がする。
でもそれを、幻覚か何かだと思って、十年以上無視し続けていた。
それで今更、本物だと気付いたとして、どう思うだろう。
姉妹を、心なく無視し続けていたとして。
今となっては成仏してもらうくらいしか取り返しがつかない、と思うのかもしれない。
「……嫌う嫌わない以前の問題じゃないかな。もう考えたくない、とか」
「そんなのひどい! 私は、私はつーちゃんのことずっと大好きなのに!」
十年で枯れた感情と十年で色褪せない感情、そのどちらかを正しいとか間違っているとは私には決められない。
ただ、今後をどうするかは決めた方がいい。成仏に手を貸して夜行月とキスすると決めたのだから。
「私は君の成仏にしか手を貸さない。夜行月とキスするために。それ以外の話は聞かない」
「いいよそれで! この際成仏だってなんだってする! だから、だからつーちゃんがどう思っているかだけ知りたいの! それが未練で成仏できないのかもよ!」
「ガキのくせに口が上手な……いや、学習しているのか、成長するから」
「ふんだ!」
子供らしく怒り散らす夜行星は、怒りを示すみたいにぴゅんぴゅんと飛び回る。スーパーマンみたいになった彼女は何物にも縛られないように見えた。
未練、それが彼女をこの世に縛り付けているのだろうか。
夜行星がこの世に思い残すこと。
それは自明のようで、私の思考に深い影を落としたのであった。
今回の総括
神崎の家はきな臭い。
夜行星はだいぶ自由な幽霊。
土愚犬犬は『見えないもの』の気配を感じ取れる。
西木戸葵は動物が好き。
夜行姉妹は死別して以来ほとんど関りがなかった。