天知りんご・本心を
護道、怖すぎる。
「いや、家はちょっと」
「え? いいじゃん。いいじゃん、ねぇ」
手と手を合わせて押し合った結果、おれはあっさりと家の中へあれよあれよと流された。いや不法侵入だぞ! 警察呼べ警察!
つっても警察を呼ぶわけにもいかず、どうしようもないから何の変哲もない一軒家にご案内した。おれの部屋だ。
「意外と綺麗」
「意外ってなんだ。いつでも女子と同棲できるくらいの部屋にしてるぞ」
実際、エロいゲームや本はこの恰好じゃ買えないからDL版で買っているし、物はそれほど増えない。人に見せられる部屋かどうかというと、それはまた別だが。
キャラクターもののポスターやなんとか集めた同人誌。背表紙だけなら週刊連載の少年誌のコミックの方が多いし、ゲームも一般的だから引かれはしないだろうが。
「そのパソコン、自分の?」
「まーなー。つってもほとんどエロいものしか入ってないけど」
ゲーミングでもない普通のノートパソコン。中学から持っていたって考えれば珍しいが、エロい同人誌とテキスト読むだけのエロゲーくらいできる程度の一品だ。3Dのゲームをするには重く、テキストやら簡単なRPGくらいならできるやつ。
「それで、用は? そんな親しくない女子を部屋に入れるの、嬉しいより恥ずかしいが勝つんだが」
「用ってほどのことじゃないけど……」
「そこはなんかあれよ!」
護道は軽く髪をかき上げてベッドに座る。座布団もあるのに。おれがパソコンデスクの前を陣取ったから距離を取ったのかもしれないが、後で座った後の匂いかいだりするからな。
男の部屋に来るなんて意味がわからないほどのやつじゃないだろうに。友達って言ってたから気にしないのかもしれないけど。
「エロゲーする?」
「それはいい」
「辛気臭い話はもういいだろ。じゃあセックスでもするか?」
「……」
黙るなよそこで。えマジで? いや護道に限ってそれはないか。
護道はベッドをぽんと叩く。横に座ることを促しているようだ。いやおれのベッド……。
誘われているのか? おれが? えちょっ、胸が苦しい……。
だが護道とおれがどうこうなることはないか。肩を並べて喋りたいとかそういうことだろう、下校の続きで。
おれもなんかシリアスな話でも振るか。セックスの準備ができていないから。ゴムとか。
ゆっくり立ち上がり、護道の横に座る。身長差を感じるし目線は胸くらいだ。服越しでも形がわかる大きさは、改めて破壊力がある。
「護道っておっぱいデケーよな」
しまった。シリアスな話しようと思っていたのに口が勝手に。
「触った感想は?」
「いや、あん時はなんか怖くて……」
「また触ってみる?」
さそ、誘われてないスカ?
あまりに踏み込んだような誘いに
「いい、気分じゃねー」
「なにそれ」
「お前って神崎のことはどう思っている?」
「今そんな話する? 奇妙な感じだけど。友達の距離感のようで、腫れ物みたいで、感覚としては友達の友達。ひよりの友達。あんたは?」
「あいつ、おれとはキスしてねえんだよな。背が低すぎるせいで。一回自分からせがもうとしたんだけど犯罪っぽいからって拒否られた」
それはもうドッキドキのウッキウキでチャレンジしたのに興醒めだった。この見た目だからってだけで女子から恋愛対象に見られることはないに等しい。
「キスしたいんだ」
「そりゃあ。神崎も変なやつだけど美人だからなぁ」
「……」
「そいやおまえはしてたよな。神崎とのKISS」
「思い出させないで……」
「えー? 良い思い出だと思うけどなぁ。美人だし」
「あんたは大堂や坂井とキスして良い思い出で済むわけ?」
「顔のレベルが違うだろ。神崎なら……誘子とか羽田くらいかな。それくらいの相手ならいい思い出で済む」
「それ、誘子や羽田が犯罪者扱いされそう」
「だろうなぁ。難儀な体だろ」
人様の顔をどうのこうの言う嫌な会話を平然としている。悪口くらいはいつものことだけど、護道との会話は普段絶対にしない内容があるから奇妙な気分になる。
じんわりと暑くなってきた季節、ほんの少しの無言の時間が妙な意味を持って緊張感が漂う。
なんでキスの話なんてしてるんだ、おれは。煩悩が強すぎる……!
「エロゲーはいくつくらいからしてたの?」
「えっ、と、小6ん時には。今じゃプリペイドカードとかで買えるからな。店にいかなくても」
護道からそんな話が来るとは思わず声が上擦った。でも話題を戻してくれたのはありがたい。
と思ったのも束の間。
「キスはしたことある?」
「ぇ、と」
キスの話題で戸惑ったわけじゃない、護道が何故か上を脱いだからだ。
ワイシャツだけの姿はますます胸の大きさが実感できて、若干の熱気が隣で感じられた。
「まあ、親とか?」
「同級生は?」
「そりゃ……ねえだろ! 言っただろこんな」
護道はこっちを見ていて。
いつもみたいに冷静な目だけど、何故か妙にまっすぐで。
「見た目だから」
近づいてきて。
ためらいはなくて、流れるようにスムーズで。
「恋愛対象になんて」
怖くて目をつぶったけれど、その時には護道も目を閉じていた。
おれの言葉は最後までは出てこなかった。
少しの時間の後。
「……私は案外悪くなかった。あんたは?」
「……ぼーっとする。熱出てるみたい」
「……そう」
あたまのせいりがおいつかない。
夢見てるみたいだ。決定的な失敗をして意識が宙に浮く時の感覚に似ている。パソコンにコーラこぼした時とか、小学校の時に夏休みの宿題を忘れたと気づいた時にあった感覚だ。
そんな失敗はその時ショックなだけで全然問題なかったけど、今のこれは、どうなんだろう。
こんなことなら神崎にもっとせがんで耐性つければよかった。いや護道に近づかなければ、なんて反省が出てくる。
いや護道は平気なのか。護道は平気なのかよ!
あーわかった。そういうことね。おれがこんな見た目だから。
「おまえは、いいよな。子供にキスしたみたいな感じで済むから」
「そんなわけないでしょ。雷愛とか都は凄くからかうでしょうね。言い訳は……もう考えないけど」
「うぇ」
「好き。って言ったら? 恋愛対象として」
「……ろ、ロリコン」
「……はぁ、この際それでいい。で? ロリコンの私は嫌い?」
なんなんだこいつは。なんなんだこいつは。
話が違うだろ。おれのこと好きじゃないって言ってたのによ。
おれは、おれは。
「なんでおれなんだよ!? ないだろ好きになる要素! 見た目はこんなだし! 性格もクソ悪い不良で犯罪者じゃん! 理由がわからねえ! 同情してんのか!?」
「なんでかなぁ。でもなんでかあんたのこともっと知りたいってなったし」
「ちょろすぎるだろ! 浮気とか不倫とか絶対に」
「しないっつの。なんでそんなに怯えていんの?」
怯えている。
そう、おれはただ怯えていただけだった。
「人間が怖いんだよ!」
どーんと肩を押すけど、護道の体はびくともしなかった。
「どうして」
「理由が必要かよ! 人間が嫌いで怖いから嫌がらせして最初っから嫌われるようにしてんの! 悪いか!」
「毒島たちは? みんな嫌いなわけ?」
「それは、違う。だって友達だから」
「私は」
「おまえは、……友達超えようとした」
「……それが返事ってわけ?」
淡々と詰められると自分のペースを掴めずに言葉がでてこない。
護道を否定しているのはおれだ。
恋人になるのが、怖いと思っているから避けている。
ああそうさ、怖い。護道が怖いよ。
女と付き合うのが怖い。
大堂がいじめられていて平気だったわけじゃない、こんな見た目だからおれだって少なからず似たようなことはされてきた。
ハナから信用してない。見知らぬ他人はみんなうっすら嫌いだ、クラスメイトの笑い声だって基本は嘲笑に聞こえる。先生の会話だっておれの素行の悪さを話しているのかと疑うくらいだ。
おれが環境を作ったのか、環境がおれを作ったのかはもうわからない。でもおれはもう周りと憎み合う関係しか作ってない。
「今までどんな関係だったよ。家入られた時は殺されるかと思ったくらいだ」
言葉を返さずに護道はシャツのボタンを外し始めた。
「おまっ! なにしてっ!?」
「見たらわかるでしょ。脱いでる」
白い花柄の下着に、引き締まった護道の体が、おれのベッドの上に。
み、見てしまう。おれは見てしまう、こういうの、だって、そりゃ見るだろ。
魅力的だからでもあるし――目を離すと襲い掛かってきそうでもあるから。
「あんたが言ったんでしょ?」
「何を!?」
「テストで一番だったら、護道とセックス、って」
「は……」
スカートも脱いで、上下一体の白い花柄の下着。
身動きが取れない。動けない。
見惚れるさ。見るに決まっている。
けれど。
「怖い」
「どうしてそう思うの?」
「おれは、おれ、おれにとって、こういうの全部つくりごとだと思っていた。恋人とか結婚とか、今じゃないだろ!? だからそういうの目を背けてた。人と仲良くなるとか、そういうの全部諦めてないことにしてた。おれが実際に、こんなことになるなんて」
「気分は?」
「怖いよ。そんなの……許されるのか?」
「私以外の許しが必要なわけ?」
「……おれが、まだわからない。だってこんなの、漫画から出てきたみたいな……嘘みたいな作り事」
手を取られて、護道の胸に、触れさせられた。
服越しじゃない、下着から溢れた肉、素肌に触れる。
じんわりと汗ばんでいて、湿っていて、ほのかに熱くて、思ったより固い。
「困惑するより、感動で咽び泣く方がお似合いじゃない?」
「だって、違うじゃん。こんなの。そんな雰囲気でもないし」
「ええ、もちろん。あんたが嫌われるように振る舞ってても、実際そんな大事じゃなかったし。胸触られるくらい平気だから」
杞憂だと。
茶番だと。
おれの悩みも、行動も、大したことないと護道は言う。
「……その割には、なんか、ドクドク言ってない?」
「嫌じゃない、ってだけ」
よ、悦んでいる、っていうのも違うか。
嫌われるような真似じゃない、と護道は言っている。
そんなわけない、嫌がらせだし護道は今まで嫌がってた。でも、それでも今、おれを受け入れようとしてくれてる、無理して。
応えるのが男ってもんだ、心のなかではそう思う。
でも。
おれには無理だ。
「まだ、怖い……」
「何が怖いの? 私にフラれるとか、私と付き合って毒島に嫌われるとか?」
おれは何が怖いんだろう。人が怖いから悪辣に振る舞うだけだった。いつからかその理由も忘れて形骸化していた風に思える。
「……いじめられてたんだ、昔。だから俺は攻撃する側になった」
見た目も、りんごって名前も、格好の標的だった。でもおれは跳ねっ返りだからすぐに全員仕返ししてめちゃくちゃにしてやった。
攻撃されないためには、先に攻撃するしかない。攻撃されるなら、先に攻撃したって理由があれば納得できる。とか思っていたのだろうか。
自分のことを幼稚だとは思っていたが、言葉にすればなおのこと恥じ入るばかりだ。
「先に攻撃すれば、攻撃されても納得できる。……そんな感じか。こんな自分のこと好きになるやついないと思っていたし、みんな敵だと思っていたのかもな」
「私は、好きだよ。頭が良いこと、目標のために頑張れるところも。努力と行動できる天知が」
「こんなでもか? 今もおまえのおっぱい触ってるのに?」
「それくらい平気って言ったでしょ」
ちょっと、恐る恐る揉んでみたところで、護道の表情は変わらない。
中学の時を思い出した。
勉強を頑張っていれば親は褒めるし、先生の文句も減った。一位を取ることは敵を作ると知っていたが、突っかかってくるのは護道くらいだった。
母ちゃんが体悪くして実家に帰ったくらいに、勉強やめたけど。
「おまえは、テストのたびにおれを一人の人間として扱ってたな」
「なにそれ、当たり前でしょ。人間なんだから」
漫画みたいなキャラだから、相手されないって感じてたけど、こいつは最初から、そうか、今までずっと。
「……おれが護道と向き合ってなかったんだな」
「向き合う気になった?」
「……そうだな」
思えばおっぱいもそうだ。触ればあんあんってなるゲームのイメージは強いけど実際自分の触ってもそうならないし護道も同じように無反応でいられる。テクとか感度とかじゃない。ゲームと現実の差、おれの目が曇っていた。
どこか自分の居場所に現実味を感じていなかった。画面みたいなフィルターを通していて、自分が主人公になるようなことを考えていなかった。
だから触れられると怖い、自分がストーリーを作るのが怖かったんだ。毒島たちはそういうのがない気楽な奴らだから。
「おれは、護道とも、おっぱいとも、真剣に向き合ってなかったんだな……」
「いい加減答えは出た? 恥ずいんだけど」
「正直に言うと、セックスしたくない。怖いから」
「……あ、そう。じゃあ添い寝」
「なんで食い下がるんだよ」
「親は?」
「……今日帰ってくる日かどうか確認しないと」
「帰ってこなさそうね」
バレたか。正直に言えばよかった。
「そういう日、多いの?」
「母ちゃんが実家に行ってて父ちゃんはそっちとこっち行ったり来たりしてる」
「ふぅん……」
「なんかこっちに体重預けてきてないか? 倒れそうですよ護道さぁん」
「押し返せば?」
「それは、いや手、今胸っ、胸が……っ、待って、やばい、怖い怖い怖い!」
直接は触れていないけど、俺の顔の横に手をおいて、向かい合うように覆いかぶさってきた。
体を重ねるってセックスするって意味だけど、いろんな意味で体が重なる直前って感じだ。
それでも護道の顔は無表情に近かった。ほんのり朱が刺す程度。
普段よく笑うか怒るか呆れるかだから、全くの無表情は珍しいけれど。
護道が腕立てするみたいにゆっくり体を下ろす。
ついにその時が来たかと目を見開くが、足の先が見えないくらいに大きな護道の胸が、おれの体にちょっと触れるくらいで止まった。
「まだ怖い?」
「いや、なんも解決になってないだろ! 変わらねえよ怖いよ!」
「あんたのことが好きって言ってんのに? キスも、それ以上のこともできるのに? あんたの望むこと、してあげるのに?」
「じゃあすぐ帰ってくれ! 時間くれよ!」
「……っはぁー。犯す」
「えっ!? 嘘でしょ護道さん!! やだっ! ちょっ! パンツはらめぇぇぇぇぇっ!!」
この後、いったい何が起きたのか、それはノクターンノベルにあるとかないとか。
いや、ないけど。
暴れて逃げて、部屋の隅で泣いて震えていたら、「ごめん」って呟きの後に護道は帰った。
おれはしばらく震えてた。




