UFDS・神崎美空
幽霊になれば人には戻れないだろう。
死は不可逆的なものである、それを私は十数年生きてきて学ぶことになった。
だがそれでも、幽霊の方に強い憧れがあったのは確かだ。
人よりも幽霊の方が獣に近い。彼らは考えずに済む生活をしているし煩わしい人付き合いもない。
地に足つかずふらふらしながら、どこか気持ちよさそうに漂っている。
……ここ最近は特に疲れた。高校生活というものは、わたしにはあまりにも騒がしいし、気苦労も多く、従野にも迷惑をかけた。
夜行月とのキスはそんな疲労感の全てを吹き飛ばすほどに激烈だった。この一心を元に幽霊になれるという確信さえあった。
満足感……一言で表すにはあまりにも激しい昂りだけれど、言葉を費やして示すのも無粋なところがある。
しかしあえて月並みなことを言わせてもらうのなら。
「この瞬間のために生きていた」
――充足したと同時に、久しぶりに渇望している。胸の奥から溢れる期待感は、これから起こる幸福を予感させていた。
新しい未来が、華やぐ人生が私を待っている。
もう、すぐそこに。
流れに身を任せるように、重力に従って落ちる全身に浴びる風が心地よくすらある。
それを邪魔したのは、肩が脱臼するほどに、堕ちる私の右腕を掴む腕。
「何やってんのさ美空ぁぁぁっ!」
夜行星、浮き上がって昇天しかかっていたくせに、もはや私と夜行月以外の目にも映らなかったくせに、ここ一番で存在感を取り戻して私の腕を引っ掴み、落ちる勢いを殺してしまう。
私の死を、目的を邪魔している。
――それでも怒りや憎悪が浮かばないのは、不幸中の幸いというか、その激痛をも忘れるほどに、星の表情が見たこともないものだったこと。
感情は、驚愕だろう。怒りや殺意にも似た必死な表情は、今までの成仏を受け入れたどこか大人びたものと違う、本物の未練を前にして自分で行動を起こしたような表情。
「これは、なかなか……おぅっ」
背中に何か柔らか固いものとぶつかって、バウンドして体が地面に打ち付けられる。砂の感触と、打ち付けた頭を抑えつつ、右腕はまだ星に掴まれたままだった。
「…………」
犬が、いや犬とは思えない大きな四足獣がこちらを伺うように見ている。
「土愚さん……いや、まさか」
「そうだよ」
それに獣は答えない、だが星が代わりに断言した。
「何故そう言い切れる?」
「美空が飛び降りるからでしょ!? 誰だってそれを助けようとするよ!」
「怒っているのか?」
「当たり前でしょ!? どうしてあんなこと……」
「それを言う必要はないが、強いて言うなら私は私の未練を果たしたからと言ったところか。……ぐ」
背中がずきずきと痛むし、右腕も動かない。死んではいないが体にはしっかりとダメージが残っている。
「とにかく、もう一度……」
「……もう一度、なに? まさかまた落ちる気? させるわけないでしょそんなの!」
「ちっ……」
そうこうしている間に、獣がどこかへと去っていく。
――その下には、従野が倒れていた。
「なっ! 従野!」
従野の表情は眠っているようだがうなされているように痛みに悶えている。すぐに駆け寄るも、体のどこかを痛めているらしい。
私が落ちた犬の下にいたのならば、落ちた衝撃はむしろ従野にかかってしまっている。しかし何故こんなところに。
「救急車……、安静にするべきか。まず保健室に……」
「その前に、お前は何故死のうとしたかくらい教えてもらおうか」
右腕の次は左肩を、掴んできたのは生徒会選挙のスピーチで話していた風紀委員だ。
「そんな場合か!? ひよりが意識を取り戻さなかったら……」
「……怪我人優先か。どのみち、人が集まってきている。怪我人は一人じゃないしな」
風紀委員が見た方には、誰か男が倒れていた。少し距離があるが、あれは恐らく影山か。
何が、どうなっているか私にも把握できていない。
確かなことは、私が死んでいないということと、それなりに大きな事件になりそうな予感だけだった。




