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草野春海・第二楽章

 クラスの友達、という言葉はよく私も使っていた。

 クラスが一緒になればもう友達だ、って小学生の時は考えていたから、それが友達の距離感だと思っていた。

 一緒に遊ぶわけでもなく、頻繁に会話するほどでもないけれど友達。

 そんな言葉が徐々に嘘臭く思えてきて、所詮はクラスという括りの中に入っただけで、私にとってはそれ以上の意味を持たない、何の変哲もない他人でしかなかった。

 きっとそれを、今ここに一緒にいるのは奇跡的な確率、運命的、なんて言う人もいるのだろうけど。


――――――――――――――――――――――――


 そんな何の変哲もないクラスの、LINEグループの中の「従野ひより」という名前も、何の変哲もない。

 私も入っていて、他のクラスメイトもほとんど入っているグループの中にその名前が一つあるだけ。

 別に会話することもないし、名簿や戸籍と同じ程度の情報でしかない。

 なのに。


「……むふ」


 妙な嬉しさがあって、そんな自分が異様に恥ずかしい。喜びの数倍以上の恥ずかしさがある。

 たったの四文字にどうしてこんな風になってしまうのか。

 嬉しい、と言ったけどこれは嬉しいではないかもしれない。

 従野さんのことを思い出して、従野さんが妙に恥ずかしい絡み方をしてきたせいで気恥ずかしさがフラッシュバックしてしまっているのだ。

 嬉しいと感じてしまったのは錯覚――ではなく、ほんのわずかに私にも従野さんと会話出来て嬉しいと思うところがあったとしよう。

 ちょっと意地悪なところはあるけど、私に親しくしてくれた人だし、そういう親切心に対して嬉しいと感じるのは普通だと思うし。

 そんな嬉し恥ずかしな気持ちが従野さんの名前を見るたびに思い出してしまって、妙な笑いと恥ずかしさが出てくる、と考えれば少し自然に受け入れられる。

 護道さんや影山くんみたいな名前を見ても何も思わないのは、やっぱり従野さんがその二人に比べて全然雰囲気が違うからだろう。

 影山くんは少し騒がしすぎるし、護道さんはちょっとピシッとしすぎてて怖い。あの二人はまるで演劇の主役だ、声が大きくてどこまでも通る、一つ一つの振舞がどこか絵になる主人公って言うような人。

 私は、別に幼稚園や小学校の時の演劇で木や石の役をやってはいないけど、今は演劇でもないのにそういう背景をしている気分だ。

 このクラスの30人のうち、主役がいるならそれは決して私ではなく、私は名前さえ出ずにクラスメイトの一人として舞台装置としている程度の人だ。きっと誰かが主役をやっていて、その物語に私の名前が呼ばれることはない。ただクラスという舞台の背景にいたりいなかったりするだけの舞台装置。

 何故なら、教室で誰かと記憶に残るような会話をしていないから。

 従野さん以外は。

 私が寂しいと感じる暇もないのは、それも従野さんのせいだ。

 彼女が物語になるならきっと目まぐるしいけれど、私が物語になるなら、従野さんのこと以外ないかもしれない。

 それでも問題ないのは、私が従野さんたった一人のためにいっぱいいっぱいになっているからで、自分のキャパシティの少なさに呆れてしまう。

 従野さんが、護道さんや影山くんと違うのは、そんなに明るすぎないところ。

 元気なところを見たことがないかもしれない。その静かな感じが私は、いつまでも喋っていられるような雰囲気があって好き。

 たぶん影山くんなんかはずっと喋っていたり一緒にいると疲れちゃうけど、従野さんの声はむしろこうやって自分のベッドに寝そべっている時に囁いてほしいような、落ち着く効果があると思う。ヒーリング効果だ。


「……ん」


 携帯が音を立てると、ちょうどそのグループでメッセージが届いていた。

 発信者は影山くんで、クラスでカラオケに行こうっていう提案だ。場所と時間とお金がきっちりと書いてあって、自由参加になっている。

 あまり魅力を感じない提案を何度か読み返して、寝返りを打った。

 全く参加する気が起こらない。別に強制されて行くものではないけど。

 こういう場所でみんなと仲良くなろう、ってするのかな。あんまり仲良くない人とこういう場所に行こうって思わないし、そもそも仲良くしようっていう気持ちもないから行く理由がない。

 どうしよう、従野さんは行くのかな。

 こんなこと従野さんは関係ないと思うのに、従野さんが行くなら私は行くだろうし、従野さんが行かなかったらきっと行かない。

 自分の意思が無い、あまりにもチョロい意志しか持っていなかった。従野さんという風の向く先を向く風見鶏だ。

 ある意味、従野さんに忠実という自分の意思があるけれど、それを意思とは認めたくないような。

 でももう、それはそういうものだ。

 ぽん、と小さな音で「いーね、参加」と従野さんが参加を表明した。

 じゃあ私も参加表明を……、いや、いや。

 今このタイミングで参加表明をしたら私が従野さんを意識していると思われるかもしれない。他の誰が何とも思わなくても従野さんがそれを一目見て「私の後に参加したね。もしや私目当てとか」なんて冗談めかして言われても私はきっと変な感じになってしまう。

 そんなに意識することじゃない、そもそもちょっとした友情っていうのはそういうものじゃないだろうか、と思ってもこの妙な気恥ずかしさは止まってくれない。

 散々悩んだ挙句、返事をしたのは次の日になってからだった。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


 音楽は流行りのものを聴くくらいはする。暇な時は音楽番組なんかも見る。

 歌も嫌いじゃないし、むしろ好きな方だと思う。掃除している時とかお風呂に入っている時に口ずさんだりするから。

 でも、カラオケに行ったことはなかった。歌うイメージと同じくらい、人との親睦や交流をイメージさせる場所だから。

 一人でカラオケ、というのも流行っているけれどわざわざ歌を一人で歌うためにお金を払って外出しようという気にはならなかった。そもそもイメージが良くないし興味もないから、今の今まで行く機会がなかったというだけだけど。

 緊張する。

 学校の外でクラスメイトと待ち合わせる、という経験がそもそもなかった。友達の家に行ったり、呼んだりというのは昔していた気がする。それすら幼稚園の時くらいかもしれない。すっかり遊ぶこともなくなったのに、人が賑わう中で人を待つなんていうのは、経験がない。

 学校というよく知った場所に比べて、外で見るクラスメイトはまるで大人に見える。


「おー草野さん! オッスオッスこっちこっち! 早いね!」

「か、影山くん……」

「私服超可愛いね! いや超可愛いじゃん……ってかカラオケとか好きなん?」

「えっと……それは……初めてで……」


 既に待ち合わせ場所のカラオケ前には影山くんがいた。どうも普段通りの変なゴーグルと動きやすそうな軽装で普段の雰囲気のままだった。

 彼が言うには既に部屋を取っていて、ある程度の人は中で歌っているとのことだった。


「で草野さんは誰かと一緒の部屋がいいとかある?」

「……別に」

「おけ。とりま部屋入ろうか」


 そうして、私は従野さんのいない部屋に案内された。


――――――――――――――――――――――――――


 知らない人たちとのカラオケは、楽しかったけれど、生きた心地がしなかった。

 名前を知っている人が半分、知らない人が半分。私は緊張したフリをしながらみんなの会話を聞いて名前を覚えながら、順番が来るたびに歌が下手かどうか不安に思いながら歌う。

 上手だねと褒めてくれるのがお世辞なのか何なのかわからないまま、よくわからないテンションで盛り上がって、私はそれに乗り切れないまま妙な緊張をして硬くなって座ってドリンクバーのジュースを飲んでいた。

 スリリングとさえ思えたけれど、みんなも楽しみたいという気持ちが先んじているのか、わざわざ私の態度を非難するようなことはない。

 ただ、終わった感想とすれば「疲れた」になってしまう。

 

「影山から歌う部屋と歌わない部屋に分かれようってきたけど」


 部屋による人員の交換。

 それは、私が従野さんと一緒になれるチャンス。

 正直に言うならば従野さんと一緒になりたいと言えばそれだけで済む話だった。

 けれどそれは私は避けたかった。友達だから一緒になりたいという安易な言葉にしたくはないし、私がそれ以上に従野さんを意識していることも自覚したくない。

 私にとって従野さんは、まだ何なのかはわからない。

 けれど今私にとって選ぶべきは。


「草野さん歌上手いしもっと聞きたいなぁ~」

「ね、次はデュエットとかしない?」


「……私は、もう疲れたし歌はいいかな。ごめんね」


 私は従野さんが選びそうなものを選んだ。

 私の気持ちなんでどっちでもないしどうでもいい。

 従野さんはそもそも歌を歌いたいというような自分の気持ちを優先する人には見えない。人と交流するためにカラオケに参加しただけ。だからきっと、この後の選択はじっくりと会話できる方を選ぶはずだ。

 従野さんと会話できなければ、今日ここでカラオケをした意味がない。

 けれど、そのために私が従野さんと一緒にいたい、とみんなに喧伝するのは間違っているように思えた。

 私が、私の意思で従野さんと一緒にいられる方法を模索して選んだ、という事実が今、一番重要に思えた。

 その結果は間違っていなかった。


「草野さんめずらしーね。カラオケ好きなん?」

「えっと、カラオケは別に、そこまで」

「あそう。つか理由はどうでもいいけど来てくれるだけで嬉しいわ。草野さん来てくれるなら次あったら頑張って神崎誘うくらいには嬉しいよ」


 私は別に、神崎さんはいなくていいけど。

 でも既に感無量で私が言うことはなかった。

 ただの二択で従野さんと一緒になれただけだというのに、自力で勝ち取ったスポーツの大会の優勝のように栄えある状況のようだった。

 実際、私にとってこの状況はそれだけのご褒美で。

 わざわざカラオケに来て、目標を達成するというのはほとんどありえない経験だった。

 もはや、同じ部屋にいられるだけで幸福に感じていた。

 これはなんだろう。


「ってか草野さん大丈夫? こういうの来るキャラと思ってなかったし」

「それは、その……うん、でも従野さんがいるから、だいじょぶ、だよ」

「そう? 辛かったら言いな? 別にこんなん途中抜けしたっていいし」


 馬鹿みたいに舞い上がったことを言ってしまったけれど、従野さんは心の底から心配した風に続けるだけだった。

 まるで病人扱いだけど、でもまあ、それでよかった。それだけ真剣に向き合ってくれたというだけで、そもそも同じ部屋にいられるだけで私は充分になってしまったから。

 この気持ちは何なんだろう、なんて考える間もなく、その満足感に酔い痴れてしまっていた。

 今日という日は、この時間のためにあるのだろう。

 そう、他に何があろうと私にとって些細な出来事に違いない、と思うほどに……。


「……は? 私と神崎が? 何それウケる。あーし恋人募集中ですけど」

「……彼女じゃないんですか、神崎さん」

「いやどこを見たら恋人になんのよ。そんなイチャついてねーし」


 落ち着こうとする脳味噌はますます動き回って整理が追っつかない。

 ただ私が思いついたのは、きっと彼女たちが恋人でないのなら、私の気持ちは恋じゃないのだろうということだった。

 神崎さんは変な人だ。変、どころじゃない。誰とも迎合せず、ばったりと出会えば誰とでもキスをする、常識の違う外国人や宇宙人と言った方が理解できるくらい私の常識と異なる人。

 従野さんは、むしろそういう神崎さんに近いのかもしれない。常識とか価値観とかと少し離れたところにあるのかもしれない。

 でも、そんなことはどうでもよかった。

 従野さんが恋人募集中であるというのが、変な受け取り方をしてしまう。

 誰でもいいのだろうか、とか、女性でもいいのだろうか、とか。

 ありえないなぁ、ありえないけど、なんて浮かれていた私はその日の夜に影山と付き合うというラインを見て気絶するような感情を覚えながらしばらく眠ることができなかった。

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