キス魔と幽霊と生徒会選挙
生徒会長選挙の当日になり、今まで平気なフリをしてきたが流石に不安が少し募る。
従野と夜行月に全てを任せていたため、今更私が何かを言う必要もないと思うが。
「あ、美陸」
「……」
相変わらず私を無視して家を出ようとする兄の腕を強引に掴む。少し驚いた表情で目を剥いて私を見ていた。
「何がしたいんだ、お前は」
何年かぶりの会話だが、私はこんな感じだったろうか。そんなふわふわした感覚で、出てきた言葉は妙に刺々しい気がした。
「……答える必要はない」
「……そうか」
今更、何か言えたものじゃない。手を離すと彼は掴まれた部分を軽く撫でてから、家を出た。
私も準備をしよう。
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「どうしよう美空ぁ~! 結局朝明さんの弱点なんてわからなかったよ~!」
「ふむ、そう簡単に見つけられるものではないか。今までご苦労。あとは従野たちを信じる他ない」
登校中に合流した星は元気に困りながら周りをぴゅんぴゅん飛び回る。
懐かしい……なんだかんだ一ヶ月くらい経つのか。でも懐かしむというよりもま~た戻ってきたよこいつ、という感覚があるのは、体をすり抜けたりする異常な飛び方をしてくるからだろう。
「そんなに不安か」
「……あんまり。正直、私、朝明さんは生徒会長にならないと思う」
「なんで?」
「……うまくは言えないけど」
なんだそれ。下馬評では多く票を集めていたて、新聞部によると夜行月に迫る二位の成績だったはず。
天知に票を入れる数寄者は尽く朝明に入れると考えると、楽観視はとてもできない。
……だが、ずっと朝明を見ていた星がそういうのなら、そうなのだろう。妙にしょぼくれた顔をしているが、どうせ朝明を心配してのことだろう。
お人好しの星は、実の姉を心配しながら、そんな相手のことも心配するだろうから。
「……夜行月が念願の生徒会長になるんだろう? そんな顔では心配をかける」
「そ、そうだね。うん……うん……」
「キスしても?」
「……えっ! なんでさ!?」
「お前も従野も忙しくて美海にしか最近キスしていない。もう耐えられない」
「もうすぐつーちゃんとキスするんだから我慢してよ~!」
嫌がって飛んでいく星を見ると、そこまで嫌われたかと少しショックを受ける。
だが、確かに夜行月とのキスの可能性が高まってきた。
今日の選挙を終えて、明日の開票が終われば。
夜行星は成仏して、夜行月とキスをする。
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生徒会長立候補者の演説。
全生徒による投票。
それが今日のプログラムとなっていた。
普段と違う点は立候補者の多さのせいで授業を一つ潰してたっぷり時間を当てることだ。
普段なら放課後に立候補者の演説放送をして、教室で投票用紙を配布し、教師が集計。
しかし今回は体育館に全校生徒が集められステージで演説をすることになっている。
投票用紙も以前は立候補者の名前と空欄があり、信任ならば○を書き込むものだったが、今回配られるのは白紙で、気に入った人の名前を書いて投票する。
「始まるねぇ、始まるねぇ!」
「盛り上がっているな」
「だってつーちゃんからだよ! いっぱい応援してあげてよ!」
演説の順番は、立候補した順になっている。
夜行月、神崎美陸、藤岡、朝明、従野、あと有象無象という流れでそれが40人近く続く。
「……みなさん、こんにちは、生徒会長に立候補した夜行月です」
「わぁーっ! つーちゃーんっ!」
演説の内容はあらかじめ教師と相談して決められている。これは従来からの規則だが、今回は蔵馬による選抜作業によって数名の生徒が心を折られ会長を辞退することとなった。
閑話休題。
厳かな雰囲気の夜行月に対し、星のような態度を取る生徒も少なくなかった。従野が盛り上げ続けた成果であり、あるいは彼女を応援する者の熱意であったり。
だが、月は表情をピクリとも変えず、微笑むこともなく、まるで星や美空と共にいるときのような静かな闇をたたえていた。
「私が生徒会長になったなら、よりこの学校を良くするために…………」
淡々と。
有り体に言えば、つまらない。
静かな時間だった。ただ一人の生徒の抑揚のない声がマイクで体育館に響き渡ると、毒にも薬にもならないような目標を掲げた、月の演説がやがては終わる。
夢を見ていた生徒たちは、現実という冷や水を浴びせかけられたようなものだった。
ただまばらな拍手が生徒たちから響き渡り、終わった。
「…………大丈夫かな!? 大丈夫かな!? あんなのでつーちゃん生徒会長になれるかな!?」
「……ああいう人が生徒会長になるべきだろう、むしろ」
天知りんごのような人間が生徒会長になったなら、それはそれで面白いかもしれない。そういうノリの人間もこの学校にいる。
だが、そうじゃない者もいる。もしふざけた人間に冗談で投票して、そいつが生徒会長になったならば。
投票というのは責任を伴う行動である。
夜行月のリアルな演説というものは、その現実を彼らに教え直す効果があった。
「続きまして――神崎、美陸くん」
そうして出てきた元生徒会長の演説は、ほとんど夜行月と似通っていた。
この先輩にしてこの後輩あり、と言ったところで、結果はほとんど変わらない。ただ月の演説の後ということで、終始物静かな空気であった。
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演説の前。
従野が教室で無愛想に毒島と護道に声をかけていた。
「で、あんたら演説の内容考えたの?」
「当たり前でしょ」
「でなければここまで来ていない」
真面目な護道はともかく、毒島までここに付き合ってくれるとは思わなかった、というのが従野の気持ちだ。人前に出るのを慣れている人間とは思えないが、かといってビビって逃げ出す奴でもなかった。
危険人物、と言えば最近の奇行のせいですっかり天知だと思っていた。護道だって同じ中学の天知を警戒していた。
だが、毒島組と呼ばれるようになったのは、そんな天知以上に毒島大仏という男が厄介だからである。
「……内容、聞いてい?」
「私は夜行先輩への投票呼びかけかな。そういうのありらしいじゃん」
対立候補といえど目標が合致するならば、演説の際に他の候補への呼びかけをしても構わない。明記されているわけではないが、現実の政治選挙でも取られる手段だ。
これを護道は先生に確認してその内容と決めていた。
「そこまで? やっぱ持つべきものは六華だわ。愛してる」
「あんたの言い方冗談っぽくない。ってかそもそも夜行先輩のこと知ってたし。柔道部で。マジで尊敬してるし」
夜行月、別名『地球投げの月』。
地球で月と意味不明な異名だが、護道がマジリスペクトするくらいには凄まじい存在らしい。
「で、毒島は」
「目立った内容はないな。天知の無念を晴らすべく焼きそばパン半額は盛り込んだが」
「あ、そう。面白いじゃん」
「そういう従野はどうなのだ」
「そりゃ、護道と一緒に決まってんじゃん。ヤコセンへの投票呼びかけ」
「安定じゃん」
「つまらん女だ」
二人からちょっと期待外れだと思われたが、従野はその場を笑って収めた。
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「俺への投票は、夜行月さんにして欲しい」
晴天の霹靂であった。
夜行月も、神崎美陸も、従野ひよりさえ予想だにしなかった演説。
藤岡頼人は選挙を投げた。
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朝明日向もまた、神崎美陸に作ってもらった手稿通りの演説をして、その場が無難に過ぎ去っていく。
この時点で既に月の有利に違いなかった。なにせ4分の2の票が集まる計算なのだ。演説の内容が似通っており、知名度も同等と考えれば間違いない。
飛んだ幸運に緩む頬を噛みしめながら、従野ひよりは登壇する。
「……えー、生徒会長に立候補した従野ひよりです。……ってか、さぁ」
ただ、投票を呼びかけるだけ。そんなことを従野がするわけがなかった。護道や藤岡と同じ結論に落ち着く人間であれば、選挙がここまで荒れるわけがないのだ。
「……すいません、いっぱいご迷惑をおかけしたと思います。生徒会長に立候補する人がたくさん出たのは、たぶん私のせいです。その、そんなつもりじゃなかったんで。ただ生徒がいろんなことを決められるって凄いし、みんなに興味を持って欲しかったってわけで。
ただ、今まで演説を聞いて色々考えました。
やっぱり、その、投票できる候補はいっぱいいると思うんですけど、本当に生徒会長になりたい、できるっていう人は私より前に生徒会長に演説した人たちだと思います。
なんで、えっと、もちろん皆さんが生徒会長になってほしいと思う人に投票すべきだと思いますけど、私は、そうだな、夜行月さんに投票してほしいと思います。
これは、最初に決めた演説の内容じゃないんですけど、私の本当の気持ちです。
あとで先生に怒られると思います。
でも、私に投票するなら、そういう風にしてほしいと思いました。
すいません、ありがとうございました。」
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これが、従野ひよりの策。
予定していた演説を捨て、完全にその場でアドリブで言葉を告げる。
決まり切っていた言葉を演説し、自分が生徒会長になるための美辞麗句を述べてその気もないものが難題に挑むより、なんと簡単な逃げ道であろうか。
有象無象であったはずの、七割~八割を占める地盤になっていた票が、浮動票に戻り、全て投票先が決められたのである。
従野ひよりの推した四人の中の、夜行月に。
蔵馬秋良は何度も、従野ひよりが何を企んでいるかを考えて詰問していた。
だが、分かるわけがなかったのだ。
最初から生徒会長の有力候補であった夜行月を、確実に生徒会長にするために、それだけの混乱を巻き起こすなど。
いまだに、蔵馬秋良は従野ひよりが何をしたいのかを勘繰っているほどだ。
護道は、この直後に演説するのに夜行月への投票呼びかけで内容が被ってしまって少し恥じている。
ただ、その中で毒島だけが怪し気な笑みを浮かべていた。




