草野春海・第一楽章
根が暗い、なんて思ったことはないけれど、あまり会話が続かないからそうなのかなって思う。
今まで、誰とも打ち解けたことがなかった。
勉強するのは苦じゃないし、そうしていると褒められるからむしろ好きだった。
でも成績はあまり良くなくて、期待を裏切ってしまうのは少し悲しい。
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学校は、あまり楽しくなかった。
小学校の時から変わらずこんな調子なので、でどこに行っても平凡くらいの成績は取れるから、どこでもたいして目立たず、それなりにつまらなく、やっていけるから。
特別誰かに嫌われたことはないし、誰かに好きだと思われたこともたぶんない。
私ってなんなんだろう、とたまに思う。けれど私は私、としか言えないし、私自身、誰かに深く意識を向けることもなかった。
クラスメイトはクラスメイト、先生は先生、家族は家族。
……特別ってなんなんだろう。
私には、物事を入れる箱が頭の中にあって、その箱の通りにしか何かを扱えないような気がした。
勉強は勉強、遊びは遊び、そんな風に区別をつけて物事を扱い、行動する。
それが普通だと思っていた。ただ、私には友達や恋人という箱がなくて、だから少し空虚なのかとも思った。
あまり寂しいと感じないのも、私が普通の範疇にあるから。
普通の人、という箱にいれられているから。
そうじゃないと気づけたのは。
私が特別の意味を知ったのは。
従野さんと出会えたから。
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ノートから目を離すと、机の上に顔が乗っていた。
驚いて椅子の背もたれに体を打ちそうになる。
「わ、ごめん」
「……従野さん?」
そんなに驚いた様子もなく、従野ひよりは体をのっそりと持ち上げて、申し訳程度に頭を下げた。
従野さんは神崎美空と毎日のようにキスをしている変なクラスメイト。
背は低めで、なんだか野暮ったい雰囲気のギャルだ。ダウナー系というか低血圧というか。忙しなくあちこちで喋っている割に、大きな声を出しているところを見たことがない。
派手な金髪だけれど、髪の毛自体はまとまっていて、よく見ると結構綺麗。
「やっほ」
間近にいるのに、従野さんは子供がお別れの時にするみたいに手を振った。
私も小さな動きで手を振り返す。つい、反射で。
「ありがとう」
「どうしたんですか?」
「草野さんと喋ったことないと思って」
喋ったことない人とはまず喋る、それが当然だと言うような姿に目眩のような、恐怖のような、変な気持ちを持った。
私とは相容れない、私とは違う人。
「私、あんまり面白くないから……」
「かわいいよ?」
「かわ……、かわいいと面白いは別だし……」
「かわいいって認めるんだ〜」
揚げ足取りだ。ふへ、とほくそ笑む従野さんは満足そうに笑って、また机の上に顎を乗せた。
距離感が近い、というか、馴れ馴れしい。
「ごめんごめん、冗談だって。や、草野さんがかわいいのはホント」
「……別に、怒ってはいません」
「嬉しかった?」
「何が」
「かわいいって言われて」
私は口説かれているんだろうか。
そう考えると従野さんが水のようにクラスに浸透していく理由が分かった気がした。人を誑し込む達人かもしれない。
妙にニコニコしている従野さんは、かわいいけれど、不信感がある。彼女を信用していいものか、というような。
「普通です」
「普通なんだ。それはそれでびっくりした。かわいいって言われなれてる?」
「い、いえ、そんなことは……」
「かわいいよ」
「何がしたいんですかさっきから」
「草野さんと仲良くなりたいの、フツーに」
言って従野さんは私の手を取った。駄々をこねる子供の手を親が取るような、優しくて暖かい手だった。
ーー引っ張られてしまう、体も、心も。
「なんで……?」
「え? 絶対その方が楽しいし。私も、草野さんも」
「……子供みたい」
「まだまだ子供じゃん、うちらって。楽しいこととかしたいことしとかないと損だよ?」
そう言われても。楽しいこともしたいことも思いつかない。きっとあれば、していると思う。
「従野さんは私と喋りたいんですか?」
「うん」
「どうして?」
「だって草野さんのこと何も知らないし」
私の手を握る力が増した。ぎゅう、と熱がこもっていく。
「……ナンパされているみたい」
「……うふっ! 確かにそうかも。ナンパしてるわこれ」
なんて言いながら、従野さんは手を離そうとしない。従野さんなりのナンパのテクニックなのだろうか。彼女いるのに。
「いや〜、こうしてたら草野さんと仲良くなれるかもって思ってるもんねぇ、私」
言いながら、にぎにぎと従野さんは私の指を揉み解すみたいにした。
しばらく、その指の動きを見ていた。
……。
ボディタッチで仲良くなれるって発想が、本当にナンパだ。
「……軽く見えますか?」
「軽く……、んー、なんて言うかな……」
従野さんは私の指を解きほぐすみたいにして、指と指を絡めていく。刺々しく怒る気にはならないけど、誑し込むみたいな動作に心がささくれだっていくのを感じた。
「……草野さんにはこれくらい強引にした方がいいと思ったかなぁ」
そうやって、私だけに対して特別な意識を向けさせようとしているんだろうか。
「……暑い」
「そう? ごめんごめん」
私が不快感をやっと表に出すと、従野さんはすぐに手放した。
空いた手を開いて空気に触れさせると、自分の体が戻ってきたような感覚になる。
「じゃ、またね草野さん」
「…………」
返事をするのも億劫だった。従野さんに対して、他の人のように親しくできる気がしなかった。
それでいいとも思う。他の人のように今までしていなかったから、今更だった。
神崎さんが教室に来たから従野さんが戻ったのだろう、後ろ姿が。
くるりと振り返って。
ぱたぱた、と手を振られて。
つい、振り返した。
「かわいいね」
「…………」
ノートに目を落とすけれど、満足そうに微笑む従野さんの顔が妙に目に焼き付いた。




