従野ひよりと地盤と浮動票
五月から六月にかけては校内で特にイベントの類はない。三年は進路について決まり始めたり、一年は文理選択が行われたり、と言ったところだ。
それでそんな退屈な五月某日、放課後の教室にぞろぞろと人が集まってきた。
クラス中央に陣取る従野に、声をかけたのは毒島である。
「おい従野、我々は大事な話があると聞いて来たんだが、聞き違いか? クラスほぼ全員いるじゃないか」
毒島組に護道組、ポンコツヤンキーズから影山組……と名前を挙げるまでもなく、毒島の言う通りほぼ全生徒がそこに揃っていた。
来ていないのは数名、曽根崎のようにいかにも来なさそうな奴もいるが、神崎と影山がいないことを訝しがる者は多い。
従野らしからぬ仰々しい呼び集め、そもそも彼女が招集を行うということが珍しいのだ。
いつもはふらっと立ち寄って話をするのだから、彼女自身が遊びの発起人になることもない。
ともすれば、これが初めての従野の招集ということになる。
「みんな集まったから、それじゃ話すわ」
トテテと軽い足取りで教卓の位置につくと、従野は堂々と頭を下げた。
「神崎のために、夜行月先輩を生徒会長にしたい。だから、協力してください。お願いします」
120度深々と曲がった体は、教卓に頭が隠れるほどに誠意を示す。
彼女らしからぬ態度、行動、そして言葉遣い。天知でさえ絶句した。
「どうしてそこまで、神崎に」
「幼馴染だし」
「幼馴染だからって普通そこまでしない」
護道が尋ねた後、従野を責めるように言ったのは市ヶ谷であった。普段、笑い上戸としてムードメーカーのようである彼女の追及はただの言葉以上の棘を持っていた。
だが従野はそんな驚きや怖さを億尾も見せず、毅然としたまま言う。
「じゃ、なに。特別な存在だとか好きだとか恋人って言えば納得する? ぶっちゃけそこはどうでもいいよね。……私が、そうしてやりたいと思ったから。そんだけ」
シンプルな動機は、それ以上の理由がないからこそ議論にもならない。
ただの感情だからこそ、従野と反対の言葉も簡単に出る。
「……じゃあ、私は従野さんにそこまでしたくないから、手伝わない」
「……そか。来てくれてありがとね、チガッちゃん」
護道組の市ヶ谷が冷たく切り捨てるも、それを従野は追及しない。来てくれただけでありがたいというのも事実だ。市ヶ谷が一番神崎を嫌っているのだから。
「待って、都。話を聞くくらいはしてあげてもいいんじゃない?」
「……それはそうだけどさ~、ん~わかった、護道が言うなら話くらいはね」
が、最もふわりとした軽い雰囲気があるのも市ヶ谷である。緊張した岬やピリピリした鹿目に比べて、市ヶ谷の嫌いという言葉にも妙な引っ掛かりがある。
とかく、市ヶ谷が簡単に屈したことで話は進む。
「や、マジ助かる。ってかそうだよね! まず何してほしいか話せって! やありがと六華! それじゃ早速!」
こほん、と咳払いをして、まるで教師のように従野は話し始める。
夜行月が置かれた現状と、朝明日向が生徒会選挙で優勢であるということ。
「あのいつも挨拶している子か」
「俺もあの子に投票しようと思ってたしな~」
「そもそも夜行殿と言われて顔も出ませんね」
「朝明はこないだスカートパタパタしててパンツ見えそうだったんだよなぁ」
生徒会選挙になど興味がない一年の意見など、その程度のものだろう。他のクラスの人もきっとそうだ、5~6クラスのほとんどの浮動票が朝明に向かうことは予想できる。
「それで、協力っていうのは夜行先輩に票を入れること?」
「や、違う。もうちょい難しいかも」
仮に、一組の全員が夜行月に投票したところで浮動票に敵うことはない。一クラス分の地盤ができることは大きな力だが、それでも30/575。部活や交友関係でできる地盤と同じ程度、むしろ少ないかもしれない。
朝明の地盤でさえもう少し多くあると考えていい。それなのに、300は超えるだろう浮動票の10分の1を獲得したところで意味はないのだ。
浮動票の全てを叩き潰す、従野ひよりの策、その正体は――
「まず私も生徒会長に立候補するから、毒島と護道辺りも立候補してほしいわけ」
――全ての『浮動票』を『地盤』に変える、生徒会長候補乱立作戦であった。
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朝明日向は、まさにみんなにとっての太陽、アイドルと言っても差し支えない存在である。
元気で目立って愛らしい、何よりそうなるための行動力に満ち溢れたエネルギッシュな存在。
日向に比べれば夜行月はまさしく月のようであった。日向と並び立ちながら、目立った活躍というものはほとんどない。
けれど、確かな存在感はあるし、地味ということもない。一年間の生徒会活動で着実に知名度を上げ、その野心を隠すこともなかった。
従野ひよりは。
「うん、そうそう生徒会長って修学旅行の行き先決められるらしいんだって。花上先輩沖縄行きたいとか言ってたっしょ? なんか立候補するだけなら楽っていうか。うちのクラスからも立候補するやつ結構いるし、ほらこないだ四人増えたじゃん? うんそうそう」
「礒田セン北海道行きたいつってたよね~。そうそう生徒会長の。あ、もう聞いてる? へ~、北海道連合。いいじゃん。ま、これからはライバルだけどシクヨロ」
「そうそう球技大会の。あ、バスケ部とサッカー部でなんか仲悪くなってんの? やだぷー。そこはスポーツマンシップにのっとってマネでも部長でも生徒会長出しちゃえばいいじゃん。これで室内球技メインか野外球技メインか投票で決めちゃうってわけ」
「え、スリッパと上履きを変えるために生徒会長になんの? ヤバ。いやいいじゃん、ガチの気持ちっぽい。そういう何事にも全力出せる奴がこっからの時代ヤバいんだって。頑張ろうね」
「あは。クラスから五人も立候補? じゃもう三年一組が生徒会室じゃん。いやこういうお祭り騒ぎで喧嘩は良くないじゃん? ウチは結構和気藹々って感じだよ。選挙なんてどうせ運だし勝っても負けても恨みっこなしってね」
影。
誰からもつかず離れず、時には光の下に大胆にありながら、時には夜の闇に完全に消える。
否、夜の闇は全て影――彼女の影響は一週間で校内中に広まっていながら、その出所が彼女であるかどうか定かでないほど混迷を極めていた。
「ひ~より、俺も部活の方でそれとなく噂流しといたぜ。そんだけでいいの?」
「ああ、うん、上出来上出来。こういうのは一人が大勢に言うよりも大勢から地道に広めていくのがいいんだって」
軽く挨拶と報告、に来た影山に、従野は挨拶するみたいに言葉を交わしながら、ぎゅーと抱き着いた。
「……え、え、なになに。突然、ビビる」
「いや流石にちょっと疲れたし誰かに甘えたくなるわけ。なに、彼氏なのにそんな甲斐性もないの?」
「いや、初めてじゃんそういう、恋人っぽいところ……」
「キスしたじゃん」
「それは……いや……」
真正面から、胸元に頭を押し付けている従野の顔も影山には見えない。
両腕を背中に回して抱きしめる力は結構強くて、その華奢な体を抱き返していいものかと手が空を滑る。
神崎美空の距離感がおかしい、なんて話はしていたけれど、従野も同じようなものではないかと思うほどだ。
そうこう悩んでいるうちに影山を解放して従野が離れる。ふー、と息を吐いて、影山をじっと見つめている。
「ないじゃん甲斐性」
「え!? いや!!」
「イヤイヤじゃないっつの。ま、いいけどね。最近私がアンタ放ってるのが悪いし」
「んなことないって! 俺が緊張しただけ! 悪い! 今度こそ!」
影山がギュウっと力いっぱい従野を抱き締めた!
「いてぇよ!!」
従野の頭突きが影山の顎にクリティカルヒット。
KNOCK DOWN!
「くるみ割り人形か。ま、いいや。引き続き神崎の監視よろしく」
「う、おう……」
くるみ割り人形ってなに? と疑問を抱きつつ、影山はただ黙って従うだけであった。




